第30話 アパッシオナート・見上げる君

「ごめん、三雲クン! 清莉奈ちゃんのことお願いするとは言ったけど、色々大変だったみたいで……」


 放課後、涼花ちゃんから早々に言われる謝罪の言葉。昨日の中楚風邪騒動は部長のムラさんによって涼花ちゃんにも共有されたらしい。

 正直、この件については真冬に水着を下着代わりに着て来たあげく、美術準備室内で誰かさんに披露した中楚が悪いので、涼花ちゃんが謝る必要は微塵もない。

 だけど、その事実は絶対に伝えられないから、俺は一般的な対応をする。


「いやいや、捻木さんが謝らなくても。それに大変だったのは中楚の方で、俺はできることしただけだから」

「そう言ってくれるなら……」

「むしろ、捻木さんがお願いしてくれたおかげでテキパキ動けたとも言えるよ」

「……ふふっ。三雲クンが頼れる人で良かった」


 俺は真面目に言ったつもりだけど、涼花ちゃんは冗談を聞いたかのように笑った。

 いや、でも、今の反応は好感度めっちゃ上がったんじゃないか!? 中楚の不幸を出汁にするのは少し悪い気もするが、頼れる男子認定されちゃうなんてやっぱりいい事は積極的にするものだぜ!

 この勢いで連絡先も聞いてしまいたいところだけど、ここで焦っちゃあいけない。中楚だって最もらしい理由を付けて聞いてきたのだから、俺も然るべきタイミングで聞くべきだ。


「じゃあ、捻木さん。今日もいってきます」

「はい、いってらっしゃいっ」


 しかし、気分が非常にいいことには変わりない。自分からいってきますを言っちゃうくらいには浮かれていた。


「中楚清莉奈復活ッ! 中楚清莉奈復活ッ! 中楚清莉奈復活ッ!」


 だから、扉を開いた時に勇ましい姿でそんな台詞を吐く中楚も今日は受け入れられる……はずだ。


「それ、自分で言うやつじゃなくないか?」

「だったら、テルクニが言ってよ」

「はいはい。中楚清莉奈さん復活おめでとうございます」

「さんきゅー! まぁ、本当は昨日ここで寝た時点で歩いて帰れるくらいには回復してたんだけど!」


 中楚は未練がましく言う。問題なく迎えが来て帰れたのだからそこは掘り返さなくてもいいとは思うけど。

 そんな中楚の話を聞きながら、俺は本来この場所になかった物に視線を向ける。


「そういえば保健室に布団返さなきゃ……ってまだ広げっぱなしだったのか」

「失礼ね。ちゃんと綺麗にセッティングし直したわ」

「綺麗にしたのは褒めてやらんでもないが、畳んでくれないと運べないだろう」

「待って、テルクニ!」


 俺が布団を畳もうと腰を屈めると、中楚は目の前に滑り込んで来た。


「せっかく今後二度あるかわからない美術準備室内に布団が敷かれたシチュエーションだし、この際やっておきたいことがあるの」

「確かに二度無さそうだけど……俺は布団の上だからって服を脱ぐ気はないからな」


 俺は決め打ちでそう言った。しかし、それを聞いた中楚は真顔で喋りだす。


「何言ってるの。布団の上で全裸になった絵なんて描いたらただのスケベピクチャーになっちゃうじゃない」

「えっ」

「アタシが描きたいのはあくまで他の要素がない裸夫なの。人間の男性の肉体美やありのままの姿だからこそ見えるものがあるはずだから。そこは勘違いしないで欲しいわ」

「す、すんません」


 中楚が真面目に言っているかどうか判断が付かないが、日頃の行いから考えると、俺が怒られている風になっているのは何か理不尽だ。いつものパターンなら今の流れは無理やりすっぽんぽんにさせる理由を付けるやつじゃないか。


「じゃあ、やっておきたいシチュエーションってなんなんだよ」

「フッ。それは……床ドンよ!」

「床ドン」

「あっ、床ドンって言ってもスーパーヒーローが地面に着地することや神を引きずり出すために地面に手を叩きつけることじゃないからね?」

「いや、床ドン自体は知ってるよ。というか、そういう意味で勘違いすることはないだろ」


 床ドンとは、仰向けになっている相手の上に覆い被さり、床に手をついて逃げられない状況にすること、あるいは2階にいる人が1階に対して何らかのアクションを起こすことで、今の状況だと中楚が言っているのは恐らく前者の方だ。

 それがちょっとエッチ少年漫画だと、ドンする箇所が床じゃなかったりするのだが、俺は正しい床ドンについても暁葉が持っている少女漫画で見たことがある。


「それが布団と……」

「あら? テルクニは見た事ない? 微妙な距離感の男女がどちらかの家にお呼ばれして、片方がベッドを椅子代わりにしている時に、じゃれ合ったはずみや見られたくないものを見られそうになった流れでそのまま押し倒しちゃうやつ」

「見たことあるよ。具体的に作品名出てこないけど、絶対どこかで見てるやつ」

「でしょ? それをやろうと思ってるの。ちなみにテルクニは上と下どっちがいい?」

「女子が上のパターンもあるのか」

「そりゃあ、最近は肉食系女子と草食系男子とか、イケメン系女子と子犬系男子とかあるし、同性はもちろんのこと、異種やクリーチャー、触手まで何でも取り揃えるわ」

「最後の方は知らなくても良かったが、なるほどな」

「それなら……」

「やらないが?」

「なんでぇ!? 今の食い付き方絶対やる流れだったのに!?」


 中楚は想像通りの驚き方を見せる。


「今回は服を脱げとかじゃないのに!」

「服を脱がなければ何でもいいわけじゃない」

「アタシのわがまま聞いてくれるって言ったじゃない!」

「だから、俺は全部聞くとは言ってないし、そもそも返事を聞く前に寝てたろうが。借りた物なんだし、早いところ返却するぞ」

「うー、嫌だぁー!」


 子どもみたいなことを言いながら中楚は自らがセッティングした布団へ勢いよく寝転んだ。それほど厚くない布団だから、もしかしたら寝転んだ衝撃が後者の意味の床ドンになっているかもしれない。


「やってくれるまでアタシはどかないんだからね!」

「なんでツンデレっぽい言い方なんだよ」

「フッフッフッ。どうだ、困っちゃうでしょ」

「いや、困るのは保健室の先生だぞ」

「もう。ちょっとやれば済むことじゃない! それともテルクニはアタシの上に覆いかぶさったら辛抱たまらなくなっちゃうの?」

「べ、別にそんなことはないが」

「じゃあ……やってもいいじゃん」


 そう言った中楚はいきなりさっきまでの勢いが無くなって何も言わなくなる。対する俺もまだまだ言い訳できるはずなのに、何も言えなくなってしまった。


 俺が暁葉の少女漫画を読んで知っている限りでは、床ドンした後はお互いに赤面して終わることがほとんどだ。

 だけど、時折出てくるちょっと大人っぽい男性が主人公に床ドンすると、なぜかその後の描写が不自然に飛んでしまうことがある。それは中楚が言うところの辛抱たまらなくなっちゃったのかもしれない。

 更に言えば、だいぶエッチな青年漫画ではもう最初から辛抱たまらなくて押し倒している。


 そのような危険性があるにもかかわらず、それをちょっとやって済むと言うのは……中楚が単にソフトな少女漫画の定番シチュエーションを試してみたいだけなのだろうか。

 いや……よく考えたら床ドンはイケメンだから成立するものであって、量産型主人公系男子の俺がやったところで何の効果もない気がしてきた。


「わかった、やるよ。ただし、中楚はぜっっっっったいに動くんじゃないぞ」

「もちろん。動かないようにするための床ドンなんだから」


 中楚に念押しした後、俺は寝転んでいる中楚の傍に近寄く。そして、片方の手を床につけた。


「……テルクニ」

「なんだよ。今からやるんだからちょっと待ってろ」

「いや、なんで逆さまでやるの?」


 中楚が指摘する通り、俺は体を跨ぐ形ではなく、中楚の頭上から逆方向に体を伸ばしていた。

 でも、考えてみて欲しい。体を跨いで床ドンするのは絶対良くない。筋力に自信があるわけじゃないから、何かのはずみで体が触れ合ったりしたら、俺は免罪を主張できなくなってしまうし、それ以外にも俺が上にいることで生じる不都合はいくつもある。

 だから、安全性を考えて体は覆い被さらないようにしたのだ。


「……こういうのもあるだろ。初代蜘蛛男の映画であった雨のシーンとか」

「アタシは見たことないからわからないけど……まぁ、いいわ」


 中楚に何とか納得して貰ったので、俺はそのまま両手をついて自分の顔が中楚の顔と重なるようにする。これだと首から下は自由なので、床ドンしている意味がないようにも見える。

 それでも、お互いの顔は普段よりもかなり近づいているし、中楚が起き上がろうとする、あるいは俺がもう少し体を屈めれば、否が応でもお互いの顔は更に近づく。


 だが、ここで体を逆方向にしたことがまた活きてくる。逆さまに見えた顔はどうあがいてもシュールに映ってしまうから、たとえお互いの顔の距離が近くても、ドキドキすることなんて――


「……………………」

「……………………」


 無理だった。逆さまだろうが、元々顔がいい奴はどうやってもいいように映ってしまう。

 寝転んだ際に乱れた長い髪。

 整った目じりや鼻筋。

 目線の先にある少し開いた小さな口。

 その全てに吸い込まれそうになる。

 それに加えて、このタイミングに限って中楚はまるで抵抗できないかのように全て受け入れる表情になっていた。


 いや、普段の元気の良さはどこへ行ったんだよ!? そんな風にされるとただの……清楚な美少女になってしまうだろうが!? なんか適当な下ネタでも言って空気を変えてくれよ!?


「な、中楚。これ、いつまでやればいいんだ」

「……………………」

「中楚……?」

「……はっ!? ご、ごめん。もう大丈夫……」


 その言葉を聞いて俺はすぐに体を起こして、一旦布団から距離を取った。

 危なかった。腕の疲れよりも心臓の方がどうにかなりそうだった。あのまま続けていたら……いや、さすがにそれはない。俺はシチュエーションに流されるタイプではないんだ。


「これで満足したか?」

「……うん」

「……ところで、今の床ドンはいったい何の絵を描く時の参考になるんだ?」

「え……?」

「いや、中楚は漫画を描いてるわけじゃないんだろ? だから、てっきり絵の構図の参考にするためにやったのかと」

「そ、それは……いつか描く時に役立つ……と思う」


 中楚は歯切れが悪い答え方をするけど、芸術に詳しくない俺がそれ以上聞いても無知を晒すだけだ。それに今の俺は話し過ぎると、別の意味でボロを出してしまいそうだった。


「それじゃあ、布団は畳んで持っていくけど、いいな?」

「ま、待って。アタシも……一緒に持ってく」

「えっ? ありがたいけど、保健室に行く……というか、この時間に準備室から出ても大丈夫なのか?」

「アタシが使ったものだし……テルクニと一緒に行くならたぶん大丈夫」


 そう言った中楚は決して無理しているわけではなさそうだった。

 一方、俺はその中楚の言葉は少し嬉しく思ってしまった。本来なら中楚が返却するのが普通なのかもしれないけど、中楚の事情を知っていて、その中でも少しだけがんばろうとしてくれているのがわかったからだ。


「わかった。枕と毛布を頼むよ」


 その後、保健室に向かったけど、中楚は問題なくたどり着くことができた。その間に俺と喋ろうとしなかったのは、この時間帯に校内を歩くから緊張していたからだろう。


「あら、返却ありがとう。昨日はお楽ししみだった?」

「……ううん。楽しんでたのはついさっき」

「へぇ~さっき 三雲くん、やるねー」


 ただ、保健室に入った途端に先生とそんな会話を始めたので、さっきまで見ていた中楚は幻だったのかもしれない。というか、保健室の先生もそっちタイプのかよ!?

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