第29話 なにが彼女の気持ちを気まずくさせるのか

「……はっ!? アタシ、寝ちゃってた!?」


 眠る前よりも明らかに元気な声で中楚が起きたのは下校時刻の10分ほど前だった。その間は寝息を立ててぐっすりと眠っていたので、そこそこ回復できたのだろう。


「まさか、アタシが寝てる間にテルクニからあんなことやそんなことされるなんて……」

「勝手なこと言うな! その間に美術部の皆さんに状況説明しなきゃいけなくて大変だったんだからな」

「まさか、アタシが寝ている間に他の女の子とキャッキャウフフしてたなんて……」

「良くなったのは喜ばしいが、ツッコむのが面倒くさい」


 俺がそう言うと、中楚は満足そうに笑った。こんな仕打ちをしてくる奴を心配していたのか俺は。


「それはそうと、そろそろ迎え呼ばないと下校時刻になるぞ」

「い、いや、もう自分で帰れるし……」

「保健室の先生がそれは駄目って言ってただろうに」

「テルクニ、わがまま権を行使したいです」

「俺はわがまま聞くとは言ってないから却下」


 それに対して中楚は「えー」と言って心底嫌そうな顔をする。寝る前に不用意なことを言ったせいで俺はとんでもないわがままモンスターを生み出してしまったのかもしれない。


「親は仕事中なのか? 今は大丈夫でも体調悪くなったのは事実だし、理由を話せば……」

「その……仕事中じゃあないんだけど……」

「何か困ることがあるのか」


 中楚は目を逸らしながら頷く。さすがにその事情までは聞けないけど、迎えに来て貰えないならそれはそれで困った状況だ。


「しょうがない。うちの親を呼ぶか……」

「ええっ!? いきなりテルクニのご両親とご挨拶!?」

「挨拶は勝手にしてくれたらいいが……親父ならもう少しで仕事終わるはずだ。ちょっとだけ待って貰うことになるけどいいか?」

「ほ、本当に呼ぶつもりなの!?」

「だって、歩いて帰らせるわけにはいかないし……」

「それを言うならテルクニのお父さんを迎えに来させる方が……わかったわ。ちゃんと連絡します」

「大丈夫なのか?」

「大丈夫。来られないわけじゃないから。よし、連絡するぞ……するんだ……できる」


 意外にもすぐに引き下がった中楚は取り出したスマホへ念じ始める。そんなことをされると余計に大丈夫かと思ってしまうが、意を決した中楚は大きく呼吸してから電話をかけた。


「もしもし……お母さん。うん。ち、違うの。夕飯がどうとかじゃなくて。その……今日学校にいる時に熱が出て……だ、大丈夫。今は下がってるし、保健室の先生に診て貰ったから。うん。それで歩いて帰らない方がいいって言われた。うん。わかった……本当に大丈夫だから」


 悪いとは思いつつ中楚の受け答えを少し聞いていると、俺が想像していたよりも中楚母との話はスムーズに進んでいた。

 それと同時に中楚の口調が普段話している感じと全く違うのが少し面白い。


「……20分くらいで迎えに来てくれるって」

「おお。それは良かった。でも、学校が先に閉まっちゃうだろうから外で待たないと」

「うん。テルクニは……」

「この時間まで待ったんだから迎えが来るまで待つよ。保健室の先生にも任されちゃったし」

「ありがとう。でも……何か言い訳考えといてね」

「言い訳?」

「アタシは別にいいけど、お母さんにテルクニがどう思われるかわからないから」


 中楚は心配そうに言うけど、俺はその意味がよくわからないので適当に返事をしておく。


 それから美術室の鍵を閉めて職員室へ返却した後、俺と中楚は校門前で迎えを待つ。状況説明をした時に鍵を預けて貰っていたが、こんな時間まで居座ることになるとは思っていなかった。

 時折出てくる生徒を見送っていくうちに、辺りはどんどん暗くなっていく。


「冬だとこの時間帯でもほとんど夜だな。中楚はいつも歩いて帰ってる時大丈夫なのか?」

「うん。露出狂には会ってない」

「なんでそこ限定なんだよ。まぁ、会わないに越したことはないが」

「……テルクニ。ちょっと聞いて欲しいことがあるんだけど」


 時間つぶしに会話する中で、中楚は改まって言う。


「どうしたんだ?」

「今日はテルクニが来てくれて良かったけど……本来ならアタシが学校を休んでいればこんなことは起こらなかったと思うの」

「思うというか、その通りだが」

「もう、反省してるからいいじゃない。それで、これからもアタシが学校へ行かないことはあると思うから……」

「うん?」

「……連絡先、教えてくれない? アタシが休む時は連絡入れるから」


 中楚は少し恥ずかしそうに言う。それを聞いた俺は……思わず笑ってしまった。


「な、何? 今は変なこと言ったつもりないんだけど……」

「すまんすまん。わかった、交換しよう」


 中楚に怪訝そうな顔で見られるけど、俺は別に中楚の言動を笑ったわけじゃない。

 中楚が俺と同じような下手な振り方をしているのが勝手に面白くなってしまったのと、聞きたいと思っていた涼花ちゃんの連絡先よりも中楚の連絡先の方を早く知ることになったのが、これまた面白くなってしまったのだ。

 いや、振りについては聞くことに成功しているから中楚の方が上になってしまうけど。


「これからは毎日テルクニが有事に使えそうな自撮り画像送るね」

「遠慮しておく」

「恥ずかしがらないでいいじゃない。何ならテルクニも自撮りとか送ってくれてもいいのよ? 後で目に線入れる加工をしておくから」

「どういう使い方するつもりだよ!? 絶対送らないし、必要な情報以外送ってくるな」

「じゃあ、まずはアタシのスリーサイズを……」

「必要ないわ! ブロックするぞ!」

「普通にツッコまれるのはいいけど、必要ないって言われるのはショックなんだけど!? この前の性欲ある話はどこへ行ったの!?」

「それとこれとは話が別だ! というか、親が迎えに来る前になんて話してるんだ!?」


 せっかく普通の友達らしいやり取りができたと思ったらすぐこれだ。一瞬でも中楚に安心感を覚えてはいけない。


「何よ。性欲があるのは普通のことで……あっ」


 中楚が目線を移した先にはちょうど道の横に付けたタクシーがあった。

 そして、そこから降りてきた女性が慌ててこちらへ駆け寄って来る。


「清莉奈ちゃん、大丈夫!? 頭痛は? 気分は悪くない? なんでもっと早く言ってくれなかったの!」


 中楚の身体を揺すりながら矢継ぎ早にそう言ったショートヘアの女性は中楚母だった。当たり前ではあるけど顔の雰囲気は中楚に似ていて、パッと見だと綺麗な人と言えるところも同じだ。


「今からでも病院へ行った方がいいんじゃない!? 一応うちにある常備薬は持って来たけど、これでまた熱が出たら……」

「お、お母さん、大丈夫だって言ってるでしょ……」


 だけど、あの中楚を押している姿を見ると、綺麗さよりパワフルさが目立っている感じがした。

 そんな母親に対して中楚が取る態度から、迎えに来て欲しくなかった理由が何となく察せられた。別に仲が悪いとか、迎えに来てくれないとかじゃなく、過剰に心配してしまうのが中楚にとって居心地が悪いのだろう。


「本当に? 無理しちゃダメなんだからね? あら、そちらの方は……?」

「えっと……一緒に待っててくれたの」

「まぁまぁ、それはありがとうございます。ところで貴方は……清莉奈とはどういう関係で?」


 そう言った中楚母はいきなり俺に鋭い目線を向けてきた。何も考えていなかった俺は普通に驚いてしまうが、そこでさっき中楚が言っていた言い訳の意味と今の状況を理解する。

 熱を出した自分の娘と一緒に待っている男子がいったいどういう存在か、疑問に思う可能性は十分ある。別に男友達がいても問題はないだろうけど、中楚がそういう話を母親にしていなさそうだから、突然出てきた野郎を警戒してもおかしくはない。


(だったら、連絡した時に上手いこと言っといてくれよ!?)

(アタシが言えるわけないでしょ!? こんな風に話聞かない人なんだから!)


 俺が目線で訴えると中楚は首を振っているので、この状況は俺が何とかしないといけないらしい。今までの学生生活からこういう時に男女が一緒にいても許される状況があるとすれば……


「ほ、保健委員です! 中楚さんと同じクラスの」

「あら、同じクラス……でしたら、女子の保健委員さんもいるはずでは?」

「そ、それはその……きょ、今日は用事があったらしくて……」


 完全に失敗した。保健委員やったことないから男女がいる意味をあんまり意識していなかった。

 というか、体調悪くなったからって保健委員がこんな時間まで付いているわけがない。せいぜい保健室へ送るくらいだ。

 しかし、これが駄目ならいったいどういう言い訳をすれば……


「そうだったんですね! そもそも今時男女でどうこう言うのがよくありませんでした。こんな遅い時間まで付き合ってくださって本当にありがとうございました」

「い、いえ。それが保健委員の仕事ですので」


 中楚母が素直に受け入れてくれたので俺は絶対に保健委員が言わなそうな台詞を返してしまう。中楚のクラスの男子保健委員よ。お前が何かあってもここまでする必要はないぞ。


「それじゃあ、帰りましょう清莉奈ちゃん。あっ、良ければ貴方も家まで送りましょうか?」

「いえ、それには及びません! 中楚……さん、お大事に」

「う、うん。ありがとう……ミクモくん」


 お互いに呼びなれない呼び方をした後、中楚はタクシーに乗るまでの間、後ろ髪を引かれるように時々俺の方を見ていたけど、その理由がわからなかった。

 中楚の迎えにタクシーだけ寄越すならまだしも、中楚母は自分も乗り合わせて迎えに来てくれるのだから相当心配していたはずだ。

 それに対して中楚が呼ぶの渋ったり、少々気まずそうにするのは単に過保護に対する反抗期とは何か違う気もする。


 タクシーが見えなくなるまでそんなことを考えてると、スマホの通知音が連続で鳴った。


――兄さん、帰り遅いけど大丈夫?

――いつも遅くなる時は連絡くれるのに……

――兄さん、さっきのメッセージ見ていますか?

――いつも5分以内には返信をくれるのに……

――まさか兄さん、何かあったの!?

――兄さんに何かあったら、私……

――兄さん、私も今からそっちへ行くね……


「この数分で大変なことになってるぅ!? ち、違うんだ暁葉! こんな遅くなるとは思ってなくて!」


 妹からの怒涛のメッセージに俺は口に出しながら返信した。


 まぁ、自分の家族でもこんな風になるのだから、中楚が家族の中で色々あっても仕方がないのかもしれない。

 俺は急いで帰りながら暁葉への言い訳も考え始めるのだった。

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