第11話 涼花と清莉奈

「……あれ?」


 俺が今後飽きられるにはどうすればいいか考えながら再び美術室へ戻ると、中には誰もいなかった。完全下校時刻まではまだ時間があるし、明かりが付けっぱなしだったから帰ったということはないのだろうけど、俺は入る教室を間違えたと思ってキョロキョロしてしまう。


 すると、ちょうどそのタイミングで美術室準備室の扉が開いて……中から涼花ちゃんが出てきた。


「あっ、三雲クン。おかえりなさい。榎沢先生との話は終わったの?」

「……あ、ああ」


 俺は驚いていた。てっきりあの準備室は俺や榎沢先生しか入ってないと思っていたから。


「私、これから展示の準備手伝いに行くからこっちの部屋の電気消しちゃうけど、大丈夫?」

「て、展示の準備?」

「文化祭の展示はこの美術室じゃなくて2階の空き教室でやるの。ここはごちゃごちゃしてるし、3階だと来て貰うにはちょっと遠いから」

「そ、そうか。去年もそうだったね。ところで……捻木さん、さっき準備室に入ってたけど……」

「うん。清莉奈ちゃんとちょっとだけお話してたの」


 涼花ちゃんはにこやかな顔でそう返すけど、俺は内心更に驚く。涼花ちゃんが中楚をそういう呼び方ができるくらいには話していることに。


「捻木さんって中楚……さんと話すことあるんだ」

「えっ? 同じ美術部員だから普通のことだと思うけど?」

「あっ、いや……そうだよね。ごめん、変なこと言って」

「ううん。確かに三雲クンは私と清莉奈ちゃんと話してるところ見たことないからそう思っても仕方ないかも。今日みたいに時間が空いたり、三雲クンが先に帰った後の時間があったりすると話すの」

「そうだったんだ。それは……」


 本当に良かった。俺は思わずそう口に出してしまいそうだった。自分の中にある中楚への違和感について一つだけ安心できる要素だったから……そう言いそうになってしまった。


「三雲クン?」

「……ご、ごめん。何でもない」

「ふふふっ。あのね、三雲クン。今日話した時も思ったんだけど、最近の清莉奈ちゃん凄く楽しそうなんだ」

「えっ?」

「話し方とか雰囲気とか、全部から今は楽しいって感じが伝わってきたの。だから、三雲クンの都合もあるのはわかってるけど、できるだけ清莉奈ちゃんに協力してくれると……嬉しいなっ」


 そう言った涼花ちゃんの笑顔は……数時間前に見て可愛いと思った笑顔とは別の雰囲気があった。涼花ちゃんが中楚のことを心配していて、現状の中楚が楽しいと思っていることを本当に嬉しいと思っている笑顔に見えたからだ。

 つまり、涼花ちゃんはこんなところでも天使で……とふざける気持ちも無くなってしまった俺は展示の準備へ行く涼花ちゃんを見送った。




「あれ? テルクニ、帰ってなかったの?」


 再び準備室へ入ると、そこには珍しい姿があった。いや、ここ一週間は準備室へ入った時点で毎回罠のようなものが仕掛けられていたから普通に考えると珍しくもないんだけど、中楚は机に向かっていた。


「まだ帰るって言ってなかったから。何してるんだ?」

「何って……宿題。特にやることもなかったし。テルクニこそエノサワ先生と何話してたの? そもそも美術部の顧問なのにテルクニに用事なんてあるの?」

「あー……その……文化祭のことでちょっと。ほら、美術部って女子部員しかいないからちょっと重い物を運ぶの手伝ってくれないかって言われて。さっきもちょっと手伝ったんだ」

「……そっか」


 反射的に文化祭を言い訳に嘘を付いてしまったが、中楚は短く返事をすると再び宿題へ目を向ける。そう、本来なら美術部員であるはずの中楚が今やることがないのはおかしい。だからこそ文化祭の話題はあまり出すべきではなかったのかもしれない。


「そ、それより、さっき捻木さんが準備室から出てきたのを見たんだけど、何話してたんだ?」

「え? 乙女の会話で何を話したか聞いてくるの? テルクニのエッチ、スケベ、変態」

「確かに軽々しく聞いた俺が悪いが、お前にそこまで言われる筋合いはないぞ!?」


 こいつと話しているとわからなくなる。気遣った方がいいのか、突き放した方がいいのか。気遣う気持ちを出すとこんな風にふざけてくるし、突き放そうとすると妙に寂しい顔をされる。


「……別に大したことは話してない。単なる世間話。テルクニが期待するようなキマシな空間は広がってないから」

「いや、俺はそういうのを期待して聞いたわけじゃないんだが」

「……テルクニ。今日はもう帰っていいよ。アタシはこのまま宿題をやるから」

「そ、そうか。じゃあ……帰るわ」


 榎沢先生や涼花ちゃんから見れば今の中楚は以前よりも楽しそうだと言う。俺から見てもやりたい放題している時の中楚は楽しそうにしているのわかる。本当に。ちょっと腹が立つくらいには。

 でも、もしも中楚がそれ以外の部分でも楽しさを見出しているのだとしたら……


「て、テルクニ。ま……」

「……ま?」

「ま、ま、また……明日」


 俺の方を見ないで中楚は呟くようにその言葉を口に出す。


「ああ、また明日」


 それはこの一週間で初めて出た言葉だけど、俺は自然に返してしまった。慣れってヤツは本当に怖い。飽きられるはずだったのに、俺は明日もここに来ようと勝手に思わされているのだから。


「……口に出すってなんかエッチじゃない?」

「おい。真面目に宿題しろよ」

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