第17話 最悪の終幕

エピーズの暴走を止めるため、夜闇を切り裂いてラニは走る。

何も考えず、ひたすらに、ただまっすぐに。

そこへフェイが追い付く。


「お嬢!こっち!近道です!」


「…案内して‼」


先頭を変え、道なき道を進む。

屋敷への最短ではなく、父親エピーズへの最短。

若木だった果樹園の木、そのようやく伸ばした枝を乱暴に折りながら行く。

敷地とその周辺を知り尽くした者でなければ、選ばないような無法の道。


なりふりなど、とうに構わず。

外聞など、彼方に捨て。

恥を三千世界に晒そうと。


そこに在るのはただ、ただ―――――




「――ぁああああぁああああっ‼」


叫びながら、屋敷を囲う塀を飛び越え、目の前にあるのは古ぼけた小屋。


「旦那様はこの中です‼」


フェイは内からかけられた鍵を扉ごと壊す。

サボりながら、視界に映ったエピーズの姿。確かにこの小屋に入ろうとしていた。

前にリヒターから、殆ど放棄された地下研究室だと聞いていた。そこそこ古く、危ないので誰も近づかないとも。

ならば――


「フェイは来ないで‼」


地下への扉を開けようとしているラニを追おうとしていた足が、止まる。


「お嬢様⁉ですが――」


「フェイがいたら、とーさまも引くに引けなくなっちゃうから…」

「それに、きっと……私がやらなくちゃいけない事だから」


ラニは返事を待たずに、扉を閉めた。

くらい石階段を下りるラニ、その眼には、決意が宿っている。

たった一階分、それがとても長く感じた。

薄く明かりの漏れている扉に手をかけると、中から声がかけられる。


「ラニ。もう寝る時間だぞ?」


エピーズは、平然と言う。

ラニは扉越しの会話をする気はない。

だがドアノブにかけた手を動かす前に、一つだけ訊く。


「どうして、バケモノの手を取ったの?」


答える必要は無いと、沈黙のみが返された。

ならば、少女の取れる行動は一つだった。

ドアノブから手を放し、下がる。


「ウィンドブラスト‼」


暴風の襲撃によって扉が木片と化した。

硝子ガラスの研究器具が一度きりの合唱を演じる。

中にいたエピーズは……無傷!

既にアーティファクトを取り出し、備えていた。


「とーさまの……大馬鹿ヤロー‼」


「………………!」


哀しい、親子喧嘩が始まる。




地上に轟音と振動が伝わる。


「ラニ様……」


フェイは悩んでいた。行くか、行かないか。

エピーズの事など、フェイには理解の出来ぬ事だ。

別に親しくもない、ただ形式上の主従。雇用関係のように希薄な間柄。

だからこそ、迷う。

本当の忠誠を誓ったラニに、その選択がどう影響を及ぼすか。…従者として、迷う。

自分の最も大切な存在に、その選択が裏切りとならないか。…親友ともだちとして、迷う。


「おい!フェイ!何してる、こんな所で‼」


「…先輩⁉」


「さっきの音と衝撃は何だ⁉この辺りだろ⁉」


慌てふためくリヒターは顔を真っ青にして、またも『あれ』が来るのかと頭を抱えて右往左往している。

だがその姿は怯える小動物のそれでは無い。

握りしめて震えている槍は確かに、戦う為に持っている。


「………大丈夫っス。ただの親子喧嘩っスから…」


フェイは願望を込めて、呟いた。

地中ではまた、音と振動が響く。



「……ハァ…ハァ………ッ!」


ラニは大きく息を乱していた。

一方、エピーズは寝息でも立てているかのように、ゆったりと息をつく。

荒れ果てた研究室。散らばる残骸。

この研究室が崩落しないのは、ただただ幸運だったからでしかない。

だが、対峙する二人は互いに無傷。

ラニの度重なる風魔法は一切届かず。エピーズは攻撃さえしていなかった。

圧倒的力量差が二人の間にはあった。

それはアーティファクトだけに起因するものではない。

判断力。

攻撃が届く前に、最適な対処方を考え、実行する。

ただそれだけの事が、何よりも難しい。


「…ッ!ウィンドエッジ‼」


二人の間は十歩ほど。その至近距離を矢よりも疾く、風の刃たちが切り裂いてゆく。


パァン‼


エピーズの手前で風が弾け、無力化される。

大きく軌道を外れた一つだけが、壁に傷をつけることに成功した。

この繰り返しによってエピーズの後ろだけが綺麗に、球状に残っている。


「……ウィンドケージ」


「逆巻け‼ウィンドケージ‼」


ラニは風の檻を何とか乱して拘束を逃れる。

しかし、魔法の連続行使での疲弊でふらつく身体を気合で立たせているのが現状だ。

道中でも急ぐために魔法を使っていた。それが裏目に出てしまった。


「……ラニ。いい加減、おやすみの時間だ」

「大丈夫。何も心配はいらない」

「きっと……すべて良くなるのさ。だから、今は眠って待っていてくれ……」


うなされるかのように繰り返す言葉に、ラニはやっと返事をする。


「そうね…これを最後に、もう寝る……正真正銘、あと一発だけ」


ラニは息を整え、もう一度大きく息を吸う。

そして叫ぶ―――


「ストーンエッジ‼」


「⁉」


それは、ラニの得意な、今まで何度も撃ってきた風魔法ではない。

だからこそ、ラニは切り札として選んだ。

だからこそ、エピーズは一瞬、反応が遅れてしまった。


その一瞬が、それが運命を分ける事となる――‼


背後の石壁から飛び出した鋭い刃が迫る。

それはエピーズが振り向いた瞬間に砕かれた。……だが!

背にしていた机はその直撃を受け、中身を吐き散らした‼それがラニの目的……

…『あれ』が渡した禍々しい本‼


ラニは途絶えそうな意識で言葉を紡ぐ。

…唱える。

……吠える…‼


「ファ、イ…ア、ッ……ボォオオオオォオル‼」


絞り出され、放たれた、弱弱しい火球。

人に当たったところで、火傷にもならなそうな、か細い火。

それでも、足りる。

本一冊、燃やすには‼


その光景を、エピーズは時が止まったように感じていた。

宙に浮く死者蘇生の書さいごののぞみ。迫る火種。

体が硬直し、視線だけがそれを追う事が出来た。

いやな悪夢のように、ただただ、無力さのみを与える悪夢のように。

何度も見て来た………大切なものがこの手から零れ落ちていく……悪夢のように。




エピーズは膝から崩れ落ちた。

妻を生き返らせる手段を失った。

ラニとニーニャの心を癒す方法を……取り零した。

目の前で今、燃えている。地面を焦がしながら、ゆっくりと。


「……どうして………どうして邪魔をするんだ⁉ラニ⁉」

「あんなに泣いていたじゃないか⁉また四人で暮らせるハズだったのに‼」

「どうしてだ⁉」


…返事はない。

絶え間ない魔法の行使で消耗し、気絶しているようだ。


地面を殴っても何も変わらない。

涙を流しても、変わらない。

変えられなかった。

辛い現実も、苦しい過去も、空虚な未来も。

全て……全て。おのが無力さゆえりつつも。

それを変えようと足掻くことは、罪だったのだろうか?

これが、罰なのか?

……その問いに答えるものなど、いなかった。


くすぶる炎はエピーズを見限るように消えていった……


(……XZ…H…)


エピーズはその声を聞いた。


(XZLH…)


灰になった本の中に何かが残っていた。


「…?これは……黒い、アーティファクト…?」


 それを確かめようと手に取った瞬間。脳が割れるかのように叫び声が響く。


               『XZLH』


            『XZLH‼』『XZLH‼』


『XZLH‼』『XZLH‼』『XZLH‼』『XZLH‼』『XZLH‼』『XZLH‼』




『XZLH‼』『XZLH‼』『XZLH‼』『XZLH‼』『XZLH‼』『XZLH‼』

『XZLH‼』『XZLH‼』『XZLH‼』『XZLH‼』『XZLH‼』『XZLH‼』

『XZLH‼』『XZLH‼』『XZLH‼』『XZLH‼』『XZLH‼』『XZLH‼』

『XZLH‼』■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■『XZLH‼』

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「ぐっ、ぁ………ガぁアァあアアあ⁉」

「これが…お前の目的かッ!………バケ、モノめ‼」


腕があった。

その手指すべて。ぎ取られ。

その皮膚すべて。薄く細かくそぎ取られ。

その骨肉すべて。万人力でり潰されて。

その神経すべて。あかく溶けた鉛をかけられた。

否‼全て錯覚‼されどそれ以上の責め苦がエピーズを苛む‼


永劫続くかのような激痛に呑まれてゆく意識の中で、エピーズは祈る。


――――どうか、私の愛する者達から奪わないで下さい

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