第16話 真実 その3

 傭兵たちは、目の前の男が何のために依頼を出したのかを知った。


 


 それが、自分たちの命を賭けるに相応しいか逡巡する。

 だが、その考えは遮られた。


 パチ、パチ、パチ、パチ。


「いや~、お涙頂戴とはこれの事だね~~」


 甘ったるい女の声であざけるように喋る者がいた。

 部屋の中の全員が声の方を向く。

 扉に寄り掛かるのは、先ほど出ていったはずのイディオだ。

 これに一番驚いたのは、隣にいたはずのリヒターだった。


「ッ⁉貴様!どうやって戻った⁉」


 リヒターはすぐさま剣を抜き放ち、イディオの喉元に向ける。

 リヒターは気を抜いてなどいなかった。嘘偽りなく、自他ともにそう認める事が出来る、真面目な人物だ。

 それがどういう事か、イディオは手が届くほどの至近距離に居る。


「ん~?聞いても理解できないでしょ~?」

「あと 邪魔」


 その一言で空気が凍り、あたかも、砕け散ったように感じさえした。

 それはまさに…



              『  死  』



 この部屋の全員。傭兵たちや、エピーズまでもがその一文字を突き付けられた。

 この者は本当に先ほどまでの、あの軽薄な男なのか?

 イディオの中身は今や、人の皮を被るバケモノに変えられてしまったのかもしれない。そう考えた方がマシだとさえ思える。

 だが、狼狽える傭兵たちを気にも留めず『それ』は更なる混乱をもたらす。


「誰かを黄泉返らせたい、そんなあなたにお得な商品!」

「死者蘇生の書ォ……ありますよ?」


 口を三日月のように歪ませながら『それ』は言った。

 懐からのぞかせた本は、異質な…いっそ邪悪と言った方がいいような禍々しさを放っている。だが『それ』の底知れなさは、その本すら可愛く見える。


「……いいだろう。その商品を買おう」


「旦那様⁉このような輩の話など聞いてはなりませぬぞ!」


 腰を抜かしたままのリヒターの後ろから、執事がエピーズを諌める。

 『それ』の存在は確実に、物だ。こんな都合の良い話がある訳もない。

 この場の誰もがそう思っていた。思うが故に、動く。


「俺が口をはさむ話でもないが、依頼人……」

「アンタ、娘さんを泣かせるつもりかい?」


 グラディウスはエピーズと『それ』の間に立った。

 彼はスリルを求めてはいたが、それは死にたい、という訳ではない。

 今、生きている事へ感謝できる。それが彼にとっての冒険だ。

 そんな綱渡りを楽しむ彼だからこそ、エピーズの行動を止めた。

 義侠心などではなく、ただ単純に、見ていられなかったからこそ。

 今、お前は確実な死に向かって進んでいる。そう言わずにはいられなかった。


「……そんなつもりは毛頭ない。だが今を逃せばどうなる?次はいつだ?」

「危険と矛盾を対価にしても、私たちにはそれが必要なんだ」

「…私は……私の家族のためならば!今こそ外道に落ちよう‼」

「地獄の業火にこの身を焼かれようとも!遺った灰で次の未来が芽吹くのならば‼」

「この身!この命‼幾らでも捧げよう‼」

「バケモノよ‼貴様の口車に乗せられてやる‼」

「だがその言葉に嘘偽りが有るならば!」

「……………覚悟しておけ」


「依頼人……」


 激情を滾らせるエピーズに、グラディウスは顔を背けた。

 …見て、いられなかった。

 だが『それ』はこの状況すらつまらなさそうに凝視する。

 嗤った表情を微動だにもさせなかったのは…『それ』の異質さを際立たせる。

 三日月の口から出る音が、地獄への呼び声だと想起させるほどに。


「ウソなんてつく意味が無いよ~?それにしても…」

「フフフ…良い演説だね~いい覚悟だよ~。じゃあ」

「商談…成立だねぇ~」


 傭兵たちは道を開けていた。

 グラディウスさえも、最後は大人しく退いた。

 誰もが、世界の異物が目の前を歩くさまを、ただ見ることしか出来なかった。

 それはまるで、叙勲される騎士の絵画のようでさえあった。

 塗料ではなく、邪悪でもって描かれた、おぞましいという概念そのもののような。

 

「……確かに渡したからね~。お代は結構!いいもの、聞かせてもらったからね~」


 『それ』はケタケタと嗤った後に、糸が切れた人形のように倒れる。

 同時にこの場を支配していた威圧感もなくなり、何名かが息を漏らした。


「……こいつ、気絶してるのか?」


「ええ、そのようです。念のため、医者に連れて行った方が良いかと」


 グラディウスの問いかけに、シークはそう答えた。

 あまりにも現実感の無い出来事に、二人とも冷や汗がまだ残っている。

 机に置かれた一冊の本が、先程の出来事が嘘ではないと示している。


「一体何を企んでやがるんだか……おっと!」

「…あー依頼人、この本読む前に金の話させてくれ!」


 グラディウスは、ページを開こうとしたエピーズから本を取り上げる。

 考えるより先に体が動いていた。

 だが、睨めつけられて咄嗟に出たのが、金のことでは締まらないが。


「……そうですね、少なくとも口止め料くらいは、支払ってもらわないと」


 シークはグラディウスを支持した。

 支払いのいざこざは傭兵につきものだが、今回は事が事である。

 とはいえ、取り返しがつく内にこの場を去りたい、というのが彼の偽らざる本心だが。


「…………すまない、逸っていたようだ」

「報酬は全額とはいかないが、半分程度は約束しよう。明日、またここに来てくれ」

「そこの前金もしっかり持って行ってくれよ?」

「君たちまで『お代は結構』なんて言ってもらっては困るからな?」


「おいおい、あんまり面白くないぜ?それ」


 重かった空気を打ち払うように、ぎこちない笑いが起きる。

 彼らに前金を渡した後、エピーズは門まで見送った。

 気絶したままのイディオは、グラディウスに抱えられ手足がだらりと垂れている。


「何かあったら呼んでくれ、そのための傭兵だ」


 グラディウスは、ただそれだけを言って去ってゆく。


「……すまない、何から何まで」

「だが、これは私がやらねばならぬ事だ」


 エピーズは小さくなった背中にそう告げ、踵を返す。

 その手には、禍々しい本があった。




「…これが、真実だ」


 グラディウスは重々しく、ありのままを吐き出した。

 エピーズは死者の蘇生を目論み、そしてその手段を手に入れてしまった。

 それがいかに危険か、理解をした上で。


「そんな……なんでとーさまはそんな危ない真似を⁉」


「お嬢!落ち着いて!火に突っ込む気ですか⁉」


 ラニはあまりの衝撃に、我を忘れかけていた。目の前の焚火が見えないほどに。

 フェイがそれを引き戻す。だがそのフェイも、内心穏やかではいられない。


 何故、そこまで。

 何故、今になって。

 五年前の悲劇はそこで終わったはずなのに。


「…アンタら、迷ってる暇があるのか?」


「え……」


 ラニは聞き返す。どうして、どうやって、どうすべきか、悩んでいた頭に差し込まれた言葉。その意味が分からずに。


「だーかーら!訳わかんねぇあの本さえなきゃ、お前の父親も『あれ』も、何も出来ない筈だ!」

「『あれ』はずっと、これはどう転んでもいいって態度だったんだ!」

「今ここに『あれ』が来ないのがその証拠さ‼」

「本をちぎって燃やして、そうしちまえば事は収まる!後の事は考えるな‼」

「嬢ちゃんは、失いたくないんだろ……?」

「だったら行け!後悔したくないなら!」


「…わかった!」


 ラニは背を向けて、一瞬だけ立ち止まる。


「ありがとう。グラディウスさん」


 ラニは駆けだした。魔法まで使い、正に……風のように。

 フェイもグラディウスに一礼して、小さな風を追いかける。

 残された男の後ろから、声が投げかけられる。


「また随分と、肩入れしますね。何か理由でも?」


「いいや?けど、これで悲しい出来事が起きないってんなら、それでいい」


ほだされましたか?そんな話、いくらでも転がってるでしょうに」


「ああ、そんな話で、溢れかえっていやがる。ここも、外も」

「馬鹿な傭兵のミスで、小さな村が滅んだり、飯をくれたガキが死んだり、な」

「だから、少しでも減らしたいのさ……何を、なんて聞くなよ。察しろ」


「……察しました。ええ、貴方がそれでいいのなら」


「………火の番はやっておく。先に休んでな」


「どうぞ、お好きなように」


「そうだな……好きに、生きるしかないんだよ」

「この選択がどんな結果に終わろうと……」


 弱弱しくなった火に、小枝が投げ入れられる。

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