第8話 異変、変異せし心

「……そうか…そうだったのか」


 薄明りの揺れる密室で、本を閉じる音がした。


「魔法、魔物、そして…この世の真理」

「成程どうして……気付かないものだな、灯台の下とは」


 おびただしい数の研究器具が並ぶその部屋で、男は立ち上がる。

 その男とは――


「きっと、何もかもが全て、善くなるさ……」

「見ていてくれ、ラニ、ニーニャ」


 ――二人の父親、エピーズだった。



 再世期802年、年が変わるまで、あと少し。

 ラニの家出が笑い話として屋敷に広まって数か月、穏やかな日常が流れていった。

 そんな中――


 ――最近、お父様の様子がおかしい気がする。

 

 ニーニャは父親の仕事を手伝いながら、疑問に思った。

 エピーズは元々、血色のいい方ではなかった。

 だが最近の彼は、明らかにやつれきっているではないか。


(もうすぐ新しい一年が始まるし、仕事が多いのかしら?)

(でも書類もそんなにないし、お父様の仕事が遅い訳でもないのに…?)


「ニーニャ、この帳簿を元の場所に戻してくれるかい?」

「今日のお手伝いはこれで十分だよ。ありがとう」


 エピーズはニーニャの頭を撫でて、まだ少し残っている書類に目を通し始めた。


「お父様……無理はしないでね…?」


 ニーニャはそれだけ言って、部屋から出ていくしかなかった。

 屋敷の広い廊下をしばらく歩いて、独り、壁にもたれかかる。

 ここ数か月、父親とは問題無く過ごせていたはずだ。

 …そう思っていた、はずなのに。

 また、何かが狂い始めているような気がする。


「ニーニャ~!」


 ニーニャは、大きな窓の外から身を乗り出してきた影に驚いた。

 急に驚かされた事ではなく、影のその姿に。


「ラニ⁉また服をこんなに汚して!」


「い~じゃん、魔法を使えばこんなのすぐだし」


 ラニはそう言うと、葉っぱや土のついた服と体を、魔法の風呂で洗い始めた。


「あっ!またそんなことして!風邪ひくわよ!」


 ここ、セムドはそう寒くなる地域ではないが、それでも気温は低くなる時期だ。

 だがラニは気にせず、笑いながら身だしなみを整えている。


「大丈夫、大丈夫~!」

「それで?何かあったの?」


(…まったく、この姉は……)

(人が困ってたらすぐにやってくるんだから)


 目を伏せて、ぽつりと。


「お節介焼き……」


 ニーニャは小さく呟いた。

 ラニに聞こえないよう、できるだけ。


「?何か言った?」


「なーんでも!」

「…ただ……気になることがあって」


 ニーニャは最近、エピーズの様子がおかしいことを話した。

 自分たちに何かを隠している。隠そうとしている。

 それが何かは分からないが、嫌な胸騒ぎが止まらない。


「……とーさまが心配?」


 ラニは窓枠に座って天井を仰ぎ、横目でニーニャの様子を窺っている。

 腕を頭の後ろに回し、道化がかった仕草をしているが、その表情は真剣だ。


「ええ、体調も悪そうだし、無理をしているような気がして……」


「ふ~ん…」


 ラニはエピーズの行動が、以前より良くなっていると感じていた。

 それを喜ばしく思っていたが、その陰でまたもや別の何かが蠢いているとは気付けなかった。

 いや、隠そうとしているならエピーズの方が一枚上手だったという事か。

 ラニは姿勢を直して、自分の胸に親指を立てる。


「ならこのラニ調査隊にお任せあれ!」

「使用人の私服のセンスからサボりの証拠まで、なんでもござれよ!」


「誰かに迷惑かけるのはやめてあげなさい」


 ニーニャはどこまでも本気を出しそうな姉を引き留める。

 なんなら証拠の捏造までしそうだった。


「でも……お願いできる?」


 ニーニャは、ラニの目を見つめて頼んだ。

 もう二度と、この幸せな時間を手放さないために。


「当たり前でしょ?かわいい妹の頼みなんだから!」


 ラニは拳を突き出して応えた。

 もう二度と、この家族を壊させないために。

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