第5話 訪れ

 ラニは現状を打開するため、屋敷を飛び出した。

 悲しみに暮れる家族たちを何とかする、その目的を胸に。

 そんな都合のいい物があるなんて保障はない、それでも。

 何もしていないなんて、耐えられないと、自分に言い聞かせて。


「とーさまはこの国じゃ貴族の立場、国内の情報集めはお手の物だろうけど……」

「国外はそうもいかないでしょ」

「外の方が世界は広いんだもん!」

「なら、とーさまたちをどうにかする方法も有るかもしれない!」


 ラニはまだ若木だけの果樹園を走る。

 場所は屋敷にほど近く、また手入れが殆ど必要ない品種ゆえ、今は滅多に人が来ない。

 それを知っていたからこそ、前々からルートに決めていたのだ。

 広大な果樹園を抜ければ、後は田舎道が続くばかり。

 それすら終わればセムドの国境扱いになっている、広大なリーンバックの森だ。


「ニーニャは『女傑リーンも引き返す』が、名前の由来って言ってたわね」

「そういえば、外ではおそろしの森、っても言われてるんだっけ……」


 ラニは妹の言っていたことを思い出して呟いた。

 しかしその森に怖気づいた訳ではない。

 森は危険な生物に満ちている……という訳ではないからだ。

 この森が恐れられている理由は、入るものを拒むが故である。

 しかしそれは『外』に生まれた者の話、ここで生まれた者には関係の無い話であった。

 そう、リーンバックの森を切り拓いて興された、セムド王国の者には。


「二人とも、待ってて……アタシが何か方法を探してくるから」


 ラニは日没までに森に着くため、足をさらに速めた。

 

 ――――――

 ―――――

 ――――


「……ここがリーンバックの森…」


 ラニは自分の身長を百回刻んでなお、足りなさそうな巨木を見上げて感嘆する。

 時刻は十五時前後。日が沈むより、大分早くに森に着いた。

 それだけ全力で走ったのだ。

 身体は苦しそうに肩で息をするが、彼女はそれを全く気にしていない。

 いや、それより重要な事の為に動いているという事か。


「とーさま達の心はもう限界……このまま進むしかない!」


 この広大な森を抜けるには大人でも数日かかる。

 十二の子供ではなおさら、だからこその前進であった。


「大丈夫。きっと何とかなる……」

「こんだけでっかい樹なら、根元のウロを寝床にできそうだし!」

「さあ進め!ラニ探検隊‼二人のために!」


 少女は震える心を押しつぶして鼓舞する。

 森は小さきものをあっさりと飲み込み、泰然と在った。


 ――――――

 ―――――

 ――――


 ラニ隊員の手記、一日目の記載。


 計画は順調、森の中は少し暗いけど、太陽の位置はしっかり分かる程度。

 良さげなウロも見つかって、そこに葉っぱを集めてベッドにした。

 水は緑の葉っぱを絞ればたくさん出た。結構苦かった。

 口直しにバッグの中のドライフルーツを食べて後悔した。

 乾燥させてあるから、さらに水気が欲しくなる。

 今後は注意しよう。


 ラニ隊員の手記、二日目の記載。


 水分補給の問題は朝には解決した。

 朝露が大量発生したのだよ。

 しかしそれを入れる物が無い。失態である。解決できなかった事を含めて。

 とりあえず飲めるだけ飲んで出発した。

 荷物はまだ重い、だけど先を急ごう。


 少し熱くなってきたと思ったら、太陽が頭上にある。

 一息つくために乾パンを取り出して気付いた。

 同じ失敗はしないと決めたはずだ、葉っぱから搾った水は苦いと。

 しかし他に水は無い、ので煮立てればいいと考えた。

 何たるひらめき!さすがラニ隊員である。


 結果、水はより苦くなった。森を抜けたらラニ隊員の処分を検討すべし。

 日が沈むまで数時間といったところか、早めに寝床を用意しようか。

 少し狭いが寝床を用意できた。あとは道具を作ろう。


 いい小枝を発見できた。小枝と言っても巨木の物のため、十分大きい。

 長さを調節して、魔法で中をくりぬいた木製の水筒だ。

 端材でフタも用意して、水分補給の問題は完全解決。

 木材と糸でイタズラを作ってきた経験が活きている。すばらしい。

 『狩りとトラップ』を書いた人に感謝しながら眠るとしよう。

 ……?なんだか昨日より、生き物の気配がしなくなった?

 …たまたまだろう。この森はそもそも生き物が少ないし。


 今日もまた、朝日が昇る。


「ん~~っ」


 少女はウロから這い出て大きく伸びをし、朝露を集める。

 たった数枚の葉から、水筒から溢れそうなほど水を集めた。

 周囲にはまだ朝露を湛えた葉が残っている。

 ふと思い立ち、自分のにおいを嗅ぐ。

 臭いとは思えなかったが、服は汚れきっている。

 色気づく年頃の少女としては許せない事だ。


「お風呂にするか……」

「ウォーターコントロール!ボルテック!」


 呪文とともに辺りの水が浮かび上がった。

 それは大きな水球となって、少女の前に現れた。

 水球に巻き込まれた空気が、渦の軌跡を示す。

 ラニはそのまま、躊躇いなく飛び込んだ。


「……このくらいでいいかな?」


 簡易的とはいえ、久方ぶりの入浴を楽しみ、水球から出る。

 着たままの服から水滴が、名残惜しむように戻ってゆく。


「魔法って便利だよね~」

「集中さえすれば、人力じゃ出来ない事も簡単だし…っと」


 服から水が離れきったことを確認して、魔法を解く。

 ぱしゃり、と水球は地面に吸い込まれ、その場を黒く変えた。

 そしてラニは水筒を拾い、荷物を取りに戻る。


「ふい~今日も天気がいいし、そろそろ森を抜けれそう……」


「ギイィ!キュ、ギイィイイ!」


「……なに、


 巨木の影から、おかしなものを目にする。

 ……自分が跨がれるほど、大きなウサギだ。

 いや!それでは無い!さらに

 大ウサギを絡め取る黒い糸!

 その主だ‼


「ギィイイ!キュイイイィイイイ‼」


 大ウサギは悲鳴を上げ、脱出を図ろうとする!

 しかしそれは己の首を絞めただけだ!


 ドドドッ‼


 黒糸の主は獲物を貫いた。

 で?

 自らの鋭い脚爪で、だ!


 ヤツの眼は紫の光が灯り。

 体躯は悍ましいほど黒い。

 少女はその特徴を知っていた。

 クモの姿をとっているそれは…この森に入れる筈のない。


「…ッ!……魔物⁉」


 慌てて物陰に隠れる。

 鼓動が高鳴り、呼吸が魔物に聞こえやしないかと口を塞ぐ。

 ラニは知らずしらず、あの魔物の狩場に侵入してしまっていたのだ。

 黒糸の主は、自分など一呑みにできそうな巨躯である。

 戦って勝てる相手ではないと本能がけたたましく叫ぶ。

 

(逃げなきゃ!にげなきゃ!ニゲナキャ‼)

(どこへどうやってどうする⁉)

(逃げる戦う無理ヤツが見てないときに!)

(ヤツはウサギを食べてるはず‼)

(だから今………)


 ……ヤツは。


 走り出そうとした少女の脳裏に、言葉が浮かぶ。

 魔物は……獲物を

 ただ殺戮のためにそうする。

 次の獲物は。


 ズギャギッ‼


 少女であった。

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