第6話 死線、死戦、死閃
少女を狙った魔物の脚爪には、残骸がぶら下がる。
ポタポタと滴る液体を見て、ラニは震えた。
魔物が貫いたのはラニではなかった。
残骸は昨日作った水筒である。
少女は飛び退いて魔物から距離をとり、自分の幸運に感謝した。
(危なかった……気付かなかったら、ああなってた)
『GGOE…GOE……EOZH』
魔物は八本脚でゆっくりと樹の裏から出てきた。
黒糸の主はギチギチと嗤う。すでに獲物を捕らえたかのように。
いや、周囲に張り巡らされた黒糸が、そこは既に主の掌の上だと主張する。
ラニは後ずさりしながら考える。
(もう一歩、下がって……逃
ドシュッ‼
逃げようとする獲物の頭部を狙った一撃は、虚空を切り裂く。
少女の優れた身体能力が、またも命を救った。
魔物の動きが自分と比べ鈍重と悟ったラニは、冷静さを取り戻す。
「……ああ、そういうコト」
本来、森に生まれた者以外は入れない。
それが魔物でさえも曲げられぬ、ここの条理だ。
ならばこの魔物は何故ここにいるのか?
その答えは―――
「どーゆー理屈か知らないけれど……」
「森生まれってわけね、アンタも‼」
魔物の追撃が来るより迅く魔法を放つ!
風の刃が、魔物の四対の眼を切り裂かんと迫る!
黒糸の主は脚爪でそれを防いだ!
なんと硬い外殻か!僅かな傷にとどまる!
魔物は怯みもせず三度目の攻撃を放った!
だがラニの姿はそこには無い!どこへ⁉
―――魔物の直上だ‼
「大地穿ちし烈風の剣よ!その威を示せ‼」
「ウィンドオブ…クレイモアッ‼」
全力の詠唱。これが彼女の出せる、最も強い魔法だ。
跳躍するラニの上、巨木よりも遥か上、魔力で編まれた風の大剣が……突き立てられた。
ドォオオォ……ン
『G…G……GO…E………』
魔物は腹部を貫かれ、地に伏せる。
ギシギシと痙攣するように八本の脚が動いていた。
「……やった…魔物を……倒した…!」
ラニは安堵して地面に大の字で倒れこんだ。
倒した魔物を見て、改めてその大きさを実感する。
魔物退治なんて寄り道をしてしまったが、降りかかる火の粉は振り払えた。
それは朧げな目標に、少しでも近づけたような気がして…
……そんな感慨に浸っていると、誰かが走ってくる音がする。
「……ラニ!ラニ‼」
この声は……
体を起こして声の方を見る。
「とー……お父様⁉」
遠くに彼女の父親、エピーズの姿が見える。
随分と血相を変えて走っている。息も絶え絶えではないか。
「…あーあ、ここで終わりか」
ラニは、自分の目論見が失敗した事を知った。
そして同時に、成功した事も知った。
あんなに必死な顔をしている父親は、一体いつぶりに見ただろうか……
よく見れば服は汚れきって、ヒゲも伸びている。
きっとロクに休みもせずに、ラニを探していたのだろう。
少女はその苦労に報いるために、手を振って返事をした。
「おーーい!お父様ーーー!」
「ラニ‼」
少女は見た。父親の手に見覚えのある輝石があることを。
少女は聞いた。父親が唱えた呪文を。
そして―――
「――え?」
リーンバックの森に、なにかが刎ね飛ばされた音が響いた。
致命の一撃が少女を襲う。
彼の放った風の刃が――断ち切った。
『G……EEEE‼』
黒糸の主は絶叫する。己の脚の一つを失った叫びだ。
油断をしたラニの背後から不意打ちをしかけたのだ。
「なっ……まだ生きて⁉」
『EEE‼』
魔物はなりふり構わずその全身で、その質量で少女に襲い掛かる。
だが。
「風塵‼」
『E……⁉』
旋風が空気を歪ませ、魔物の体は泡がはじけるように消滅した。
たった一言の呪文で、黒糸の主は粉々になったのだ。
――エピーズは全力を以て、脅威を叩き潰した。
虚しく地面に遺された脚爪が、黒い粒子となって消滅する。
同様に黒い糸もほどけて、風に流されていく。
木漏れ日を遮るものが無くなり、二人を照らす。
「まったく、心配させてくれるよ。しかし……」
「すごいじゃないか、ラニ。まさか魔物に勝っただなんて」
「だけど詰めが甘いぞ、魔物はしぶといんだ」
エピーズは輝石をしまいながら小言を言う。
朝日に照らされた顔は、数日前とは別人のような顔だ。
「そりゃドーモ。次があったら気を付けまーす」
肩をすくめてラニは小言を聞き流した。
「で?何しにこんな所まで?」
ラニは立ち上がって笑顔で質問する。
分かっていても、聞きたい言葉があった。
エピーズはため息の後に応じる。
「おまえを探しに来たよ、ラニ。待たせたね」
「遅いよ、とーさま!」
親子は互いを抱きしめた。
―――本当の意味で、それは何年越しの抱擁だっただろうか。
少女は、緊張の糸が途切れて眠りに落ちた父親に告げる。
格式ばった呼び方でなく。
今の自分らしい呼び方でなく。
昔の…幼かった頃の呼び方で。
―――おかえり、パパ
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