第1話 『ラニ』
入る者のいないリーンバックの森、その中央で興された、セムド王国。
そこで起こった、とある家族の物語。
隠された真実を語ろうか。
再世暦802年、暖かな陽が差す、ある屋敷の昼下がり。
廊下に置かれた調度品の後ろに、小さな影が潜む。
その正体は、紫色の髪をサイドテールで纏めた、可愛らしい少女だ。
彼女の名前はラニ。この名門貴族家の長女だが、お転婆が過ぎる十二歳である。
「むっ!敵の気配!」
ラニは空いていた使用人用の部屋に入り、息をひそめた。
この平和な屋敷内に、そんな存在はいないものの追手はいる。
何故なら彼女は、家庭教師の追試を抜け出している只中だからだ。
「ラニお嬢様ァー⁉」
近くから家庭教師がラニを探す声が聞こえる。
だがそれは、水の飛び散る音とともに悲鳴へと変わった。
「ふっふ~ん。今頃全身びしょ濡れでしょ!」
水バケツの罠にかかった家庭教師の顔を想像し、笑みがこぼれた。
少女はヒラヒラと邪魔なスカートを脱ぎ捨て、下に履いていた短パンを露わにする。
そのままするりと窓枠を乗り越え、裏庭へ躍り出た。
ゴールは裏庭から続く細道、柵には丁寧に手入れされた蔦が絡んでいた。
よく周りを確認して、勢いよく駆け込む。
少女は一息つき、奥へと進みながら薄桃色の花弁を口にくわえ、ぼんやりと考える。
(…ニーニャも元気だな~)
(行き来するだけで息が上がっちゃうクセに)
妹の体力不足を心配しながら、蜜を吸い終わった花弁を捨てる。
ゆっくり歩いていると、つき当たりが見えてきた。
四方を緑のカーテンに隠された場所に、二人はいる。
「ニーニャ!」
入口からヒョコッと顔を出して呼びかける。
ラニのサイドテールで纏められた紫の髪が、さらりと揺れた。
中の花畑の、色彩と香りの奔流がラニの五感をくすぐる。
「…ラニ?どうしたの?何かあった?」
ラニと同じ顔、同じ髪の色をした少女は、少し間をおいて振り返った。
この少女の名はニーニャ。ラニの双子の妹であるが、姉と違い優等生である。
背中まで伸ばした長髪と、名家の令嬢らしい所作が綺麗な少女でもある。
さておき、ニーニャは、ラニがここに来た事に疑問を持った。
ラニが追試を受けている事を知っていたからだ。
「なーんでも!それより、かーさまは?」
ラニは追及されないうちに、話を変えようとする。
ニーニャは何となく察して、それでいて騙されてあげることにした。
「ええ、いつもみたいに、綺麗に」
ニーニャは目線を落として、『それ』を見る。
鮮やかで色とりどりの花が咲くこの場所に、色の無い石材でできた、それ。
母親の墓石である。
「そ、せっかくだし、アタシも何か言ってこうかな?」
「……おっ母っ様~!まぁだニーニャのおねしょが治りませ~ん」
ラニはいたずらっぽくにやけて、妹の方を見る。
ニーニャは今朝の事を思い出し、顔を真っ赤にする。
「ちょっとラニ!そんな事言わないでよ!」
「こんな口!こうしてやる!」
「むぃえええ…やっふぁな~!」
妹は姉の口をふさごうと頬をつねり、姉も負けじ、とつねり返す。
二人でむにむにと戯れている間に、おかしくなって笑いが起こる。
ひとしきり笑い転げた後、ラニは立ち上がって手を差し出した。
「さっ、戻ろう?ニーニャ」
「うんっ!」
深緑の道を、二つの小さな影が手をつないで駆けていった。
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