はるがきたならおまえのもとへ

 私がいる。

 私じゃない、私が。

 美玖みくはスマホを手にしたまま、じっと画面をのぞきこんだ。

 にやっ、とくちびるを斜めに曲げた〈彼女〉が、リラックスした雰囲気で話をはじめる。


「カミサマも気がくぜ」


 そんな第一声。

 美玖には、わけがわからない。


「おれな、願ったんだよ。カミサマがいるなら、たのむ、もう一回だけ――――」


 くりっ、と上に向けた親指と人差し指の位置を入れかえるように回す手のうごき。

 それだけで、美玖にはなんのことかがわかった。

 私が彼に、彼が私になった……ウソみたいな日々。

 まだ記憶にあたらしい、下半身のあのドクドクする〈感覚〉も、やたらと人なつっこい妹も、まわりが自分から逃げるように遠ざかっていった登下校も、赤い髪のあの人も、うしろの席の個性的な人も、人生初のなぐりあいのケンカも、そのあとのラーメンの味も、視線の高さが20センチほど上がった景色で経験した、ぜんぶ、本来はありえなかった日常だ。


 一瞬のうちに、いろいろなことが美玖の頭をかけめぐった。



「……」



 胸がいっぱいになった。

 言葉は出てこない。

 動画の美玖じぶんがこっちをやさしいまなざしでみつめていて、すこし照れ笑いしているような気がする。異性と体を交換したとまどいと苦労の思い出は、きっとおたがいさまなのだろう。

 どこか名残りおしそうに、ゆっくりとあわいピンクのくちびるがひらく。


「おまえは寝てたみたいだから、ある意味じゃ、ちょうどよかったな」


 そう言われて、美玖はくやしい。

 あらかじめ知っていたら、寝てたりなんかせずに、私も――


「こうやってスマホに動画を残してるのは、そういう事情だ。たぶん、ボーナスタイムみたいなやつで、あんまり時間はねぇだろう」


 ばか、と声もなく美玖の口元がうごく。その目はすこし、涙ぐんでいた。


「ちょっと……なんつーか、コトバが足りなかった気がしてな。ひょっとしたら、おまえを悲しませてたんじゃないか、って気になってたんだ。まあ、おれ程度の男がいなくなったぐらいで、気ぃ落とすような女じゃないことは、わかってるけどよ……そうだろ? 元気でやってるよな?」

「うん」


 美玖は動画にあいづちを打つ。


「おれのほうも元気だ。そんで、これっぽっちも気持ちは変わってない。いまでも、おまえが好きだ。大大大大、大っっっ好きだ」

「え……ちょっと……」

 ふっ、と小さく息をはいて、美玖せらは横顔を向ける。「おれは学校をやめた。やめる必要があった。おまえにふさわしい男になるために、一秒でもはやく不良から足を洗うには、その手しか――……いつか話しただろ? おれには外に七人の敵がいるって」


 美玖はうなずく。

 画面の中の自分も、シンクロするようにうなずいていた。

 二人は目を合わせる。


「こっちにその気がなくても、向こうはおかまいなしだ。クラシキのバカと取り巻きどもは片づけたが、またあいつみたいなヤツが出てきて、おまえが危険な目にあうことだってあるかもしれねえ」

「そんなの、気にしなくていいよ」

「もしおまえが『気にしなくていい』って言おうが、おれが気にする。あんなことは二度と……絶対に……」


 みじかい

 何か考えこむように、世良(体は美玖)は眉間にシワを寄せて目をつむった。

 ぴったり3秒後に目があいて、心を決めたように、またしゃべりはじめた。


「な、なあ……美玖、あのな、おれは今から、ものすごく自分勝手なことをいうぜ? でも必ず最後まで」

「きいてくれっ!!!」


 はらりと桜の花びらが目の前を横切った。

 今日は卒業式。ただし、美玖はまだ二年生なので卒業はしない。

 満開の桜の木で二人は向かい合っていた。

 余談だが、これは3月の上旬にちょうど花が咲く特別な品種であり、いうまでもなく学校側が卒業式の演出のために植えたものである。


「どうしたの、悠馬ゆうま?」

「うっ……この余裕たっぷりの態度……つい一年前までは、おれが声をかけただけでドキドキしてたと思うのに……」悠馬は自分のサラサラの髪をくしゃっとさわった。「いったい、どこで〈逆転〉したんだ……?」

「一人ごと長すぎ。そんなんじゃ、女の子にモテないかもだよ?」

「み、美玖っ」

「ん?」

「好きだ。おれとつきあ――――」


 あ、の口のまま、悠馬は止まった。

 ちょうど、すこし遠くにいる卒業生たちの間で爆笑が起こっていて、彼の声が美玖には聞き取りづらい。


「え? なに?」


 悠馬の目の前で、ニコニコ顔で首をかしげる幼なじみ。

 ふわっと風にふかれる髪に、花びらがついた。


「あ、ありがと」

「いや……」とった花びらが手からはなれて飛んでいく。空気にのって高く舞い上がる。「美玖。これからもよろしくな。幼なじみとして」


 さっと手をさしだすと、美玖も応じてくれた。

 握手。

 青い空と桜吹雪を背景にしてほほ笑む美玖は、はっきり言って、かわいさ全開だった。

 くやまれる。

 どうしておれは、いままで彼女の本当の魅力に気がつかなかったのか、と。


(もしフラれたら教えてくれよ――っていうのも、言わないでおくか)


 それが最後のプライドだ。

 悠馬は背中を向けた。


(負けかくのつまらねー告白して、ちょっとでも動揺させたくなかったからな……ちっ、どこの誰だか知らねーが、美玖のハートを捕まえてるヤツ、そいつを一発なぐりたい気分だぜ!)


 やめておいたほうがいい。

 たとえ、もう〈そいつ〉はけっして反撃してくることはないとしても。

 世良はこのとき、一心不乱に勉強していた。

 寝食しんしょくの時間以外は、それしかしていないほど徹底的に。

 だが、いったん世良のことにはふれないでおく。


(あいかわらず、イケメンなんだから)


 遠目にみる幼なじみの悠馬は、はやくも女子たちにとり囲まれていた。


(……でも、私は――――)


 スマホで連絡して、待ってもらっていたモカと合流。


「おーっ。なんかスカッとした顔してる」

「うん」

「みくぴは一途いちずだからにゃあ。タイミングをまちがえなきゃ、悠馬クンもチャンスがあったのにね~」

「モカ、なんの話してるの?」

「……コクられてたんでしょ? ずーーーっと片思いしてた男の子に」


 むむ? と美玖はむずかしい表情で腕を組んだ。

 そして「あっ」と眉毛をあげて目をみひらく。


「そっか! それで私、あいつに呼び出されたんだ」

「おお……今気づいたんかい……」肩にのったツインテールの片方を手で背中にはらう。「でもみくぴらしいな。ようするに、それほど〈あの人〉のことしか考えてないってことだよね」


 そう言った彼女には、目だけで返事した。

 その返事の返事で、うりうり、とふざけて美玖をひじでつっつくモカ。

 ノリで、言わなくてもいいことまで口にしてしまう。


「あーあ、ほんとは世良先輩も、ここにいたはずなんだけどね」

「うん……あいつもね」


 しんみりした顔になってしまった。

 あわててモカは話題を切りかえる。

 天気の話とかネットで話題になっていることとか、そんな他愛のない話。

 二人で会話をしながら、頭の片隅に思い浮かべているのは、


(今日……っていう意味じゃなかったのかな)


 あいつが口にした言葉。

 動画や画像がなくても、いまだに鮮明に思い出せるあいつの顔。というより、鏡をみるときは必ず思い出してしまうのだ。なぜならその顔が、自分の顔だったから。


(『学校の桜が咲くころに迎えにいく』なんていうから、期待しちゃったじゃない)


 だんだん不安になってくる。

 こんな私をまだ想っていてくれるのだろうかと。

 思えば、永次も永次で、かっこよかった。態度は堂々どうどうとしてるし、背も高いし。たない、のが原因で女子とつきあうということはなかったが、体の入れかわりが元に戻った現在では、たぶん勃っているはず。だったら、知らない土地で知らない女の人と関係ができていても、なにもおかしくはない。

 むしろ、そっちのほうが自然だ。


「さてみくぴ。そろそろ帰ろっか?」

「あ、まって。もう少しだけ……いい?」


 午前中から正午に、そして昼食もとらないまま一時ちかくになった。

 ここまでくれば、さすがにモカも察する。

 ――待っているんだ、と。


「ごめんね」

「全然オッケーだよ。それよりさ……」


 あえて世良永次のことにはふれずに、モカは雑談をつづけた。

 が、さすがに限界がある。


 三時になってしまった。


「帰ろうか」美玖がいう。

「……みくぴは、それでいいの?」 

「うん」


 こくっとうなずいて、そのまま目線を地面に落とす。


(さよなら、永次)


 モカは下から顔をのぞきこんだ。

 あっ! と思ったが、ここはボケるのが一番と思って、


「ぷっふー! みくぴったら、自分が卒業じゃないのに泣いてやんの!」

「は、はぁ!? 冗談やめてよ。これは……か、花粉症とかそんなヤツなんだから」

「またまた~~~」


 言いつつ、自分も泣いていた。

 これ以上ないぐらい、美玖が涙する理由がわかって共感してしまったからだ。

 校門の近くで、二人はぎゅっと抱き合った。




 そして卒業式の日は終わり、


 365日すぎて、


 また卒業式の日がおとずれた。




 桜の花が、咲いている。


「……」


 さっき式が終わったばかりで、クラスメイトはほとんど教室に残っている時間。

 美玖は一人で立って、じっと木を眺めていた。

 胸に抱くようにもっているのは、二つ折りの卒業証書ホルダー。

 場所は校門の近く。

 やはり世良との約束が心に残っていて――――



「必ず最後まできいてくれ。美玖。おれはこれからカンペキに不良をやめて、真面目に生きる。それで……だな、もし、こんなおれでもいいっていうなら、おまえには……それまで待っててほしいんだ! けっこう時間はかかると思う。不良をやめるっていうのは、結局おれ自身の心の問題でもあるしな。我ながらムシのいい話をしてんだが……、あーっ! ごちゃごちゃうるせえか? こんなの、おれらしくなかったな」ごほん、と咳払いをして、自撮りの姿勢の背筋を伸ばした。「学校の桜が咲くころに、美玖を迎えにいく。そんとき…………今ごろノコノコあらわれても、って思ったら、一発おれにきついビンタしてくれよ。遠慮はいらねぇから。な?」

 


 そこでプツンと切れて終わった動画は、まだスマホに保存されたままだ。くりかえし何度もみた。おそらく一生消すことはないだろう。


(いい天気)


 ゆるふわの髪をかきあげた。

 さわやかな春風が耳に吹きかかると同時、



 ぶぉぉぉん



 と、どこかなつかしい音をきく。

 心拍数がはやくなる。

 胸に手をあてる。

 この突然のドキドキの理由は、美玖にはわからなかった。

 次の言葉を、きくまでは。


「おーーい!!! 美玖ーーーーーーーっ!!!!!」

「永次!」


 一台のバイクが校門から颯爽さっそうと入ってきた。

 まちがいない。

 二人乗りで、うしろで手をふっているのは、

 ヘルメットで顔は見えないけど、

 美玖は駆け寄った。


「おう」


 片手をあげて、世良がバイクからおりる。


「ありがとな、マキちゃん」

 かしゃ、とヘルメットのカバーが上に上がって「気にするな」赤い髪を目元に垂らした彼がクールに言った。

「マキさん!」


 呼びかけた美玖に目を向けて、一回、ふかくうなずいてみせる。

 ぎゃるっ、とタイヤが焦げるようなするどいターンをすると、バイクは走り去っていった。

 そっちを親指でさしながら、


「事故らせたヤツをとっつかまえて、ははっ、新車買うよりも高くつく修理費をぜんぶ払わせたってよ。まったく根っからのバイク好きだぜマキは」

「永次……」

「ああ。久しぶりだな」


 変わってない、なにも。

 美玖にはこの斜めに曲がった口の角度すら、以前のままに思えた。

 服装は、茶色い革ジャンにベージュのチノパン。


「あ、あの……」

「まあ待てよ」じぃぃぃ、とジッパーを下げて、ジャンパーの内ポケットから何か取り出した。「これをみてくれ」


 紙だ。一見、賞状のような。十字に折り目がついている。


「ん? 合格証書? なにに合格したの?」

「読めばわかる」

「高等学校……卒業程度……」

「コーニンだよコーニン」

「なにそれ」

「つまりな、おれに高校卒業の資格を与えます、ってやつさ」


 えっ、とおどろく美玖に追い打ちをかけるように、


「で、この春からは大学生だ」

「えーーーっ⁉」

「おい、そんな大声でおどろくことかよ」

「いやおどろくよ。永次……まさかほんとに獣医に?」


 世良は無言で紙をポケットにもどす。

 そして、きっ、と真剣な目つきになる。


「大学生とか獣医とかは、今はいいんだ。今は、おまえのことしかアタマにねえ」 


 春のそよ風が至近距離で向かい合う二人の間を抜けた。


「あの動画みただろ」

「当たり前でしょ」

「おれの想いは、もちろん変わってない。美玖。今日、おまえに会いにき――――――――」


 世良の目の前がスローモーションになった。

 まっすぐ、美玖を正面にとらえたままで、

 左のはしから右のはしに流れてゆく、指の間を思いっきり広げた手のひら。指先はすこし、そとにっていて。

 ほっぺたにヒット。

 赤い手形がつくのまちがいなしの、きつい一撃。

 目をぎゅっとつむった美玖が、こらえきれないという様子でいう。


「バカっ!!!」

「美玖……」

「『ありがとう』ぐらい言わせてよ! バカ! 行き先もいわずにいなくなっちゃって! バカ! 電話もメールもつながらないし! バカ!」

「わるい」世良は頭を下げた。「このとおりだ」


 言いわけも反論もなくそうする彼をみて、美玖はすこし冷静になった。


「ちょっとまって……えっと、べつに永次にあやまってほしいわけじゃなくて、その、たたいてごめん。まずは私がお礼を、ね?」

「なあ美玖」頭を上げずに言う。「誰か、いい男はみつかったか?」

「それって……悠馬のこと?」


 世良は顔をあげる。

 そして、首をふった。


「彼氏はいるのか、ってことだよ。どうなんだ?」

「いないけど……」

「ほんとか?」


 なんとなく視線を感じて、美玖は校舎のほうに目をやった。

 いつのまにか、窓際にはギャラリーがびっしり。一階も二階も三階も。その中には、モカもいた。彼女の口が「がんばって」とうごいた。

 世良が一歩近づく。


「美玖」

「ウソつくわけないじゃない。いないよ」

「そうか」


 しん、とした。

 風がやんで、生徒たちも全員が息をのんでこの状況をみまもっている。


「おれはもう、不良じゃない。っつっても――」世良は前髪の金色のメッシュを指でねじる。「こんなモンいれてたりするし、まわりはそうは思ってくれねぇかもな」

「……まわりなんか、いいじゃん」

「あ?」

「すくなくとも私は永次を不良だとは思ってないよ」

「だったら美玖――」世良は美玖の手をとった。「おれの女になってくれ」


 自分の想いをげたあとの時間は、彼には長く感じられた。

 しかし実際は、一瞬だった。


「なる!」


 即答した。

 気持ちのいい大声で。


「私でよかったら、なるよ!」

「いいにきまってんだろ」


 どちらからともなく、背中に腕を回して抱き合った。

 校舎では大きな歓声がわいて、あたたかい拍手と冷やかしの口笛が鳴りやまない。モカも手をたたいている。ときどき目を指でこすったりしながら。

 びゅん、と通りすぎた強風が多すぎるぐらいの桜の花を舞わせて、二人はそれに包まれる。

 次のやりとりは誰にもきかれていない、二人だけの会話。


「永次こそ、彼女とかいないでしょうね?」

「いねーよ」

「でも、つようにはなったんでしょ?」

「ま、まあ、それはな……」

「あのさ」美玖は体をはなして、世良に問いかける。「こんなときにきくことじゃないけど……勃ってる?」

「こんなときに言うことじゃねーけど」下半身に目を向ける。そして、満面の笑みで美玖の目をみながらこう言ったのだ。「ギンッギンにってるぜ!!!!!」


 下ネタにきこえるだろうか?

 だが、この二人にとっては「たつ」ことは大事なことなのである。

 これからも、ずっと。



   [おわり]


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たたない不良⇄たたせる乙女 嵯峨野広秋 @sagano_hiroaki

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