CHAPTER0

過去Ⅱ

 丘の斜面を覆う密林を、熱い風が吹きさらしてゆく。

 小枝や太い梢に細長い手足を引っかけ、枯葉の降り積もった黒い腐葉土の上で何度もつんのめり、白い靴下を泥で汚しながら、ホセは斜面を駈け下りていた。遠くに、人影が見える。息をせき切らせ、ホセはその背を追いかけようと必死だった。掌で握りつぶせそうなくらい遠くにあるその小さな背中を見失うわけにはいかないと、まばたきもできずにいる。額を伝う汗が、泥や塵が滲みては、視界がぼやける。

 空は灰色だった。つい先ほどまで降り注いでいた陽は全身を突き刺すようで、生徒も教師も午睡シエスタを取ってそのうだるような熱から逃げねばならなかったというのに。今はもう、雨の予感しかない。

 エル・ノルテ校の裏庭に広がる密林は、そのふもとにある汽水湖の畔まで通じてゆく。大きなトランクをひとつ抱えてはじめての学校にやってきて、丘上からあの湖沼を見下ろしたとき、ホセはあれが海だと思った。上級生に、あれは広大な湖で、海はもっとむこうにあるのだと笑われたことを憶えている――果たして林から飛び出したとき、ホセの顔面に吹き付けたのは生臭い風だった。

 眼前に広がる湖は青潭色によどみ、死んだ魚がぷっくりと膨れた腹を見せて水面に浮いていた。さらに視線を奥へと向ければ、古びた小型船舶ランチの停泊場が見える。この湖を何マイルも進んだ先で、緑と青で色の境界線が引かれているという――その先にあるのが海だと聞く。


「人魚が死んでいるよ」

「……それは」


 ホセは言い淀んだ。

 何匹もの蠅がサンセの脇をすりぬけていった。彼の目線の先では、雌のマナティが浅瀬に打ち上げられている。長い水草が絡みついたそれは腐敗が進み、肉には蛆がたかって、白い骨が剥き出しになっていた。


「行こうよ」


 いつのまにかサンセはそれに対する関心を失っており、気が付けば熱心に見つめているのは自分だけになっていた。シャツの裾を掴まれて促されると、ホセは死骸から顔を背けた。周囲にじっとりと蔓延する腐敗臭だけが、鼻の奥に長いことこびりついていた。



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