あの時、ちゃんと好きだって言えばよかった

本町かまくら

 


 俺、斎藤孝志(さいとうたかし)には彼女がいた。


 名前は日高志帆(ひだかしほ)。

 親同士仲が良く、小さい頃からずっと一緒にいた。いわゆる、幼馴染だった。


 志帆は俺にはもったいないくらいに可愛くて、人気者で。

 何度も魅力的な奴から告白されたのに、それを断って、パッとしない俺と付き合ってくれた。


 嬉しかった。志帆が俺のことを好きだって言ってくれた。

 こんな俺を好きでいてくれるのは、志帆しかいない。

 だからずっと大切にしようと、そう思ってた。


 そう、思ってたんだ――






 吹きつける風が寒々しい、十二月。


 放課後、いつもなら志帆と二人で帰るところだが、今日もまた用事があるようで、別行動。

 別に家に帰ってもやることのない俺は、俺と同様に暇なクラスメイト達とお菓子を囲んで雑談をしていた。


「そろそろクリスマスだなー」


「その前に定期テストじゃね?」


「うっわ思い出したくないこと思い出したよ……ってか、思い出させんなよ!」


「悪い悪い! っでも、お前のクリスマスが楽しみだったら、別に嫌じゃなかったんじゃね?」


「それお前が言うかこの万年童貞クリぼっちがぁぁ!!」


「お前だってそうじゃねぇかこのぉぉぉ!!!」


「やめろってお前ら」


 高二にもなって相変わらずガキなこいつらを、年上面して静観する。

 と言っても、俺もまだまだガキなんだが。


「うっわ出たよリア充の余裕! これが一番ムカつくんだよなぁ」


「おまけにあの日高さんが彼女とか、お前どんだけ恵まれてんだよ……」


「そ、そんなんじゃねぇよ」


 何も考えずに否定すると、水を得た魚のような表情で、


「……あれれ? もしかして、最近仲悪い?」


「っ……! そ、そんなことねぇし?」


「でもこいつ、最近全然日高さんと帰ってなくね?」


「それは、志帆が放課後用事あるからって!」


 図星を突かれ、思わず強く返してしまう。

 しかし、こいつらにとっては嬉しい反応だったようで。


「……もしかして、他の男とどっか行ってるかもよぉ?」


「っ……! し、志帆に限ってそんなことは……!」


「噂に聞いたんだけどよ、日高さん、どうやら三年の槙島先輩に告白されたらしいぜ」


「え……」


 そんなこと、志帆から聞いていない。

 天然で何も考えていない志帆だから、そういうことは言うはずなのに。


「あぁーあの推薦で早〇田決まった! イケメンでハイスペックとか、お前叶わねぇじゃん……」


「これは破局の匂い……。孝志、お前もこっちの世界に」





「うるせぇよッ!!」





 思わず叫んでしまった。

 

 静まり返る教室。

 クラスメイトは目を丸くさせて、息を切らす俺のことを見る。


 ……やってしまった。


 そう思った頃には遅くて、俺は悪気のない視線に耐え切れなくなって、鞄を肩にかけた。


「……わ、悪い。もう帰るわ」


 下を向いて、ガラリと扉を開く。

 すると冷気が勢いよく吹き付けて、身震いをした。


 教室はクーラーのおかげで温かく、つい最近マフラーを無くし、防寒具を身に着けていない俺は教室に戻りたくなった。

 だけど、今戻っても気まずいだけだから、ポケットに手を突っ込んで、下駄箱に向かう。


 柄にもなく、いつものからかいに怒鳴ってしまった。

 それは、あいつらの言っていたことが、俺が必死に自分の中から消そうとしていたことだから。


 最近、志帆は確かに付き合いが悪い。


 恋人になってから初めて、一週間連続で一緒に帰らなかった。

 その理由がもしかしたら……槙島先輩なんじゃないかって、さっきの話を聞いて思ってしまった。


 その時、心が握りつぶされるような感覚があった。

 あんなに俺のことを好きだ、と言ってくれた志帆が浮気。


 そんなこと、信じたくもないしきっと俺の行き過ぎた勘違いに違いない。

 ……だけど、最近の色々が重なって、疑心暗鬼になりつつある俺が居た。

 

 用事がある、と言われたのが三日続いたとき、俺は志帆に聞いた。


『最近用事多いけど、どんな用事なんだ?』


 でも、志帆は教えてくれなかった。

 しつこく聞いてみたけど、教えてはくれなかった。


 そのモヤモヤした感情は繋がって、爆発してしまったんだろう。


「ったく、俺らしくねぇな」


 そう呟いたとき、


「あっ、タカくん」


「……志帆」


「偶然だね。まだ帰ってなかったの?」


 キョトンとする志帆。


――モヤッ。


「……お前、先帰るんじゃなかったのかよ」


 消えかけていた、さっき抱いた感情が蘇って、俺は責めるような視線で志帆を見てしまった。


「た、タカくん? ど、どうしたの?」


「どうしたの、じゃねぇよ。志帆、帰るって言ってたじゃねぇか」


「っ! そ、それはね、その、なんというか、ち、違くてね!」


 慌てながら弁明しようとする志帆のバッグから、ポロっとボロボロのお守りが落ちた。

 志帆がいつも、肌身離さず持っているものだった。


 それを拾おうとすると、



「ダメっ!!!!」



 志帆は俺より先にお守りを手に取り、バッグに閉まった。

 その行動に、俺は何かがパチンと切れた。


「……お前さ、いつもそれもってるけど、何なんだ?」


「そ、それは……言えない」


「なんでだよ」


「それは……は、恥ずかしいからで」


 なんで教えてくれないんだよ。

 苛立ちが募るまま、さっきの話題に戻る。


「じゃあ、なんで帰るって言って、帰ってないんだよ」


「それも……言えない」


 言えないの一点張り。


――恋人になったからには、隠し事はなしね!


 そう言ったのは、志帆だったじゃねぇか。

 

「……ハッ。そうかよ。わかったよ」


「タカ、くん……?」


 純粋で、汚れのない瞳で俺のことを見つめる。

 それが余計に、気に障った。


「もういいよ、好きにしろ。俺に秘密で、こそこそすればいい」


「ち、違うよ? そ、そういうことじゃなくてね」


「いいよ、別に。槙島先輩(・・・・)と堂々と付き合えよ、もう」


「え……」


 心にもないことを言ってしまった。

 それに気づいたときには、もう後戻りはできなかった。


「な、なんで……」


 志帆がありえない、と言いたげな表情を浮かべる。


「ハッ。別に傷ついたりしねぇよ。だってそもそも、俺とお前が釣り合うわけがなかったんだもんな――」



――バチン。



 乾いた音が、廊下に響いた。

 遅れて頬に、痺れる痛みが走る。


 視界に入る、志帆の悲しそうな表情。

 ハリのあるほのかに赤みがかった頬に涙が流れ、綺麗な顔がくしゃくしゃになっていた。


「なんで……なんで、そういうこと言うの!」


「なんでって……」


「ほんとに私とタカくんが釣り合ってないとか、そんなこと思ってたの⁈」


 俺のことを責めるような口調で。

 なんで、なんでそんなに――悲しい顔してんだよ。


 だけど俺は、素直に言えなかった。

 言いたくないって、意地が足を引っ張った。


「……思ってたんだろ。お前はそう、思ってたんだろ‼」


「質問の答えになってないよ‼」


「俺が思うとか以前に、そもそもお前が!」


「勝手に私の気持ち、決めつけないでよ‼ 私の質問に答えてよッ!」


 志帆の鋭い声が、冬に染まった廊下に響き渡る。

 はぁ、はぁという呼吸音が、こだましていた。


「……じゃあなんで俺の質問に答えられねぇんだよ」


「っ……! そ、それは……」


「…………ほら、お前も言えねぇじゃねぇか」


 そう言うと、志帆は苦しそうに顔を歪めて押し黙った。

 その顔に胸がズキッと痛んで、唇を噛む。


 重たい沈黙が横たわる。

 それを破ったのは、俺だった。


「……じゃあな」


 逃げるように、踵を返す。

 これ以上何か言ってしまえば、どうにかなってしまいそうだったから。


 志帆は何も言わなかった。

 志帆は何も、言わなかった。




 初めて喧嘩をした。

 ひどく醜くて、どうしようもない。

 

 だけど俺たちは決して、別れようとは言わなかった。






「おかえり」


「……ただいま」


 ぐちゃぐちゃになった心のまま家に帰り、そのままベッドに横たわる。

 外は暗く、部屋に朧げな街頭の明かりが、微かに差していた。


 目を閉じて、深く呼吸をする。

 瞼の裏に映るのは、あの時の志帆の顔。

 

 俺はそれを頭から引きはがすように頭を横に振った。


 その後。

 飯を食っても風呂に入っても、笑えるテレビを見ても。

 どんな時でもあの表情を忘れることはできなかった。


 深夜一時。


 少し冷静になってきたが、未だに心は熱を帯びていて。

 

「……クソッ」


 吐き捨てるようにそう天井に呟いて、目を閉じた。

 目を閉じても、やはり焼き付いて離れない光景。


 初めての喧嘩。

 誰が悪いか。そんなの、誰に教えてもらわないでもわかっていた。


 悪いのは俺だ。

 勝手に勘違いして、勝手にイラついて。

 

 志帆は何一つ悪くないのに、俺がただキレて。

 ガキなのはどっちだよ。

 

――ずっと大切にしよう。


 そう思っていたはずなのに、俺の身勝手な行動のせいで志帆にあんな顔をさせてしまった。

 なんて情けないんだ、俺は。


「……謝らないと」


 ようやくそう思えた。




 ――だけど、俺は何か重大な勘違いをしていた。


 きっとあいつなら、許してくれるに違いない。

 ずっと一緒にいた志帆なら、いつものように笑ってくれるに違いない。

 きっとあいつなら、俺のことを受け入れてくれるに違いない。


 あいつなら、きっと――


 そして俺は、一日、そしてまた一日、謝らない日々を重ねた。

 明らかに俺が悪いのに、俺が謝らなきゃいけないのに、変に意識して足がすくんでしまった。


 でも。


 また明日。明日言えばいい。

 

 そうやって、また謝らない日々を積み重ねて。

 そして、




 


























 四日後、志帆は事故に遭った。





    ****





 居眠り運転だった。


 志帆は居眠り運転によってトラックにはねられ、意識不明の重体。

 すぐさま緊急搬送され、迅速な対応を取られたが、志帆は目覚めなかった。


 医者曰く、志帆が目覚めるのは、ほぼ不可能らしい。


 だが、志帆は生きていた。

 いわゆる、植物状態というやつだった。


「……志帆」


 真っ白なベッドで眠る志帆の姿。

 それがあまりにもいつもの志帆とかけ離れていて、俺は地面に膝をついた。


 涙は出てこない。

 もう涙は枯れていたから。


 それでも、胸を締め付ける苦しみは変わらずあって。

 その場に倒れ込んで、嗚咽を漏らした。


 俺は言えなかった。


 明日は――来なかった。





 一週間後。

 

 俺はしばらく学校を休み、志帆の病院に通った。

 志帆が目覚めるかもしれない。


 そんな物語にしか存在しない奇跡にすがっていた。

 でも、志帆が笑うことはなく、最後に見たあの顔が頭に浮かぶ。


――なんで……なんで、そういうこと言うの!


 志帆の胸の痛みが、表情に苦し気に浮かんでいた。

 なのに俺は、さらにそこに傷をつけた。


「……最低だ、俺」


 今更そのことに気が付いても、もう遅い。

 だって、謝りたい相手は、深く眠ってしまっているのだから。

 俺の、目の前で……。





 その後。

 俺は毎日志帆の病室に通った。


 だが綺麗な人形のように眠っている志帆が起きることは一度もなく、俺は激しい後悔を募らせるばかりだった。

 そして時間は過ぎていき。


「今日はクリスマスだよ、志帆」


 二人で楽しみにしていたクリスマスの日になった。

 

 本当なら今日は、志帆とイルミネーションを見に行き、少し背伸びをしたレストランで食事をとって、その後志帆の部屋でクリスマスパーティーをする予定だった。

 その予定、だったんだ。


――ガラリ。


 音を立てて、病室のドアが開く。

 振り向いてみると、そこには志帆のお母さんがいた。


「あら、今日も志帆のお見舞いに来てくれてるのね」


「こんにちは、お母さん」


「……いつもありがとうね」


「……いえ」


 志帆のお母さんが、顔に皴を作って優しく微笑む。

 ベッドの横にある花瓶の水を変えながら、分厚い雲に覆われた、灰色の空を見上げた。


「そういえば今日、雪が降るみたいね」


「そうなんですか」


「今年は珍しく、ホワイトクリスマスになりそうね」


「……そうですね」


 ホワイトクリスマス、という言葉を聞いて、志帆の声を思い出した。


――いつかホワイトクリスマスをタカくんと過ごしたいな。


 もし、志帆が事故に遭わなければ、きっと志帆は飛び上がるくらいに喜んで、俺にとびっきりの笑顔を見せてくれたのだろう。


「……孝志くん」


 志帆のお母さんが、俺の名前をそっと呼ぶ。

 視線を向けると、志帆に似た温もりを帯びた笑みを浮かべて、俺の方に手を置いた。


「ほんとは渡そうか迷ったのだけど……これ」


「これ、は……」


 志帆の大好きなケーキ屋さんの紙袋。

 中を見てみると、そこには真っ赤なマフラーが入っていた。

 

「この子がね、一か月以上前から孝志くんにあげるんだって意気込んで作っていたの」


「志帆、が……」


「でもこの子、不器用だから、相当苦労してたらしくて。放課後、家庭科部のお友達に教えてもらいながら、なんとかここまで作り上げたのよ」


「っ……‼」


 もしかして、志帆が俺と一緒に帰らなかったのって……。

 こみ上げる、激しい苦痛。胸が縄で縛りあげられるような、そんな感覚があった。


 俺は、なんてことを……。

 

「でもまだ八割くらいしかできてないみたい」


 広げてみると、確かに途中で終わっていた。

 それが余計に、志帆が事故に遭ってしまったことを感じさせてきて、俺は思わず顔を歪めた。


 よく見れば、所々拙いところがあって、志帆を如実に感じる。

 別にこの目で見てもいないのに、志帆がこれを作っている姿が容易に想像できた。


――タカくん、喜んでくれるといいな。


 見ていないのに、聞いてもいないのに。

 志帆がそんな思いを込めて作ってくれたのだと、確信を持てる。


「孝志くん。辛いときは、辛いって言っていいのよ?」


「……辛くなんか、ないです。俺は、ほんとに……」


 俺に辛い、という資格なんかない。

 だってきっと、あの時の志帆の方が、何十倍も辛かっただろうから。

 だから俺は、辛いなんて、言ってはいけないんだ。


――ぽん。


 志帆のお母さんが、俺の頭に手を乗せた。

 そして優しく、ゆっくりと横に動かす。


「孝志くん。志帆をいつも、ありがとうね」


「いえ。そんなことは」


「そんなこと、あるわ。いつも、ありがとうね」


「…………」


 何も言えなかった。

 俺はただただ志帆のお母さんに頭を撫でられながら「ありがとう」と言われ続けた。


 それもただの「ありがとう」ではなく、もっと多くの何かを含んでいた。

 頭からそれがじんわりと滲んできて、唇が小刻みに震える。

 胸がまたキュッと縛れた。


 長い間志帆のお母さんは俺の傍に寄り添い、そしてゆっくりと手を離し、手提げを肩にかけた。

 そしてドアをガラリと開けた。


「寒いから、あったかくしてね」


 志帆のお母さんは、そうとだけ言った。

 俺は何かを言おうとして、志帆のお母さんを見る。


 あ。


 近所で有名な美人親子。

 いくら年を取っても志帆のお母さんの美しさは衰えることなく、俺の母親がよく「羨ましい」と言っていたのを思い出す。


 でも、今その面影は一切感じられず、顔は疲れ切っており、深い皴をいくつも作っていた。

 当然だ。だって突然、娘が事故に遭って、目覚めなくなったのだから。

 

 ……なのに、俺の前ではあんなに優しくて。

 俺はそんな当たり前のことにまた気が付かないで、ただ優しさに甘えて。


 俺は、いくら罪を重ねれば、気が済むのだろう。


 ドアがゆっくりと閉められ、しん、と病室が静まり返る。

 手元にある、真っ赤なマフラー。

 いつの間にか強く握っていて、綺麗な形をしたマフラーが、皴を作って歪んでいた。


 胸の奥底からとめどなく感情が溢れてくる。

 俺はそれを唇を噛んで抑え、マフラーを抱きしめた。


「俺は、俺は……っ!」


 手が紙袋に当たって倒れる。

 すると中から身に覚えのある、ボロボロのお守りが出てきた。


「これ、って……」


 志帆が毎日肩身離さず持っていた、手作りのお守り。

 俺と付き合う前からずっと持っていて、恥ずかしい、と言って俺に絶対に見せなかったものだった。


 志帆のお母さんが紙袋の中に入れた、という事は俺に見て欲しいという事なのだろう。

 だが、俺にその資格はあるんだろうか?


 志帆を自分勝手に深く傷つけた、俺に。


 その答えを求めるように、安らかに眠る志帆の方を見る。

 

「……見ても、いいか?」


 お守りを持っていると、どこか資格以前に見なきゃいけないという使命がある気がした。

 心なしかそれを志帆が後押ししている気がして、俺はゆっくりとお守りの紐を解く。


 開けてみると、中にはしわくちゃな一枚の紙が入っていた。

 

「こ、これは……」


 もしかして――


 恐る恐る紙を開く。

 


「……し、志帆っ!」



 瞳から涙が溢れる。

 もう泣かないと思っていた。

 だって涙が枯れるくらいに、一人で泣いたから。


 それに、俺は泣いて楽になってはいけないと、そう思っていた。

 だけど、俺は気づけば大粒の涙をボロボロと零していた。

 涙の雫が、紙にじんわりと滲む。


 鉛筆で力任せに書いた字がぼやけていく。

 それと同時に、俺は湧き上がる幼い頃の記憶を抑えることができなかった。


「これを、お前は、ずっと……」


 志帆がずっとお守りにして持っていたもの。

 それは――昔書いた、お手製の婚姻届けだった。


――たかしとしほは、けっこんします。


 そうとだけ書かれていて、何の変哲もない、古びた紙。

 だけど、俺は何も思わずにはいられない。

 決壊しかけていた感情のダムが、崩壊していく。


「志帆、志帆……っ!!」


 頼むから、目覚めてくれ。

 頼むから、また俺の隣で笑ってくれ。

 頼むから、また俺の隣でわがままを言ってくれ。

 頼むから、また俺の隣で泣いてくれ。

 頼むから、また俺の隣で怒ってくれ。

 頼むから、また俺の隣で感動してくれ。

 

 ――頼むから、大人になって、俺と『けっこん』してくれ。


 志帆の手を握る。


 確かに志帆は、生きている。

 だけど、会話をすることもできず、俺に笑いかけてくれることもない。


「志帆……頼むから、起きてくれよ……」


 俺はその場で崩れ落ちた。

 そして、嗚咽を漏らしながら子供みたいに泣いた。


 ふと窓の外を見てみると、気づかぬうちに雪が降っていた。

 優しく、空から感情を振りまくようにそっと。

 

――わぁーっ! 見て見てタカくん!! 雪が降ってるよ~!!!


 最近では雪が降ること自体が珍しい。

 そんな時代の今日という日に、確かに世界に雪が舞い降りている。


――えへへ~。タカくんの手、あったかいなぁ。


 こんな寒い日。

 誰かの手を握って、体温を分け合って、人々は暖をとる。

 感情でちょっとだけ足された温もりは、冬を越すには十分すぎて。暑いとすら思ってしまう。


――タカくん。もうちょっとくっつこ? さ、寒いしさぁ。


 ……だけど。

 俺は相も変わらず寒々しく。

 温もりを求めて、志帆の手を握る。


「……あったかい、あったかいなぁ……」


 ほのかに志帆の体温を感じる。

 だけど、それはいつも感じていたものとは程遠くて。

 

 俺は小さな命の灯を、微量にも感じていた。

  

 きっと人が温かいのは、命が炎のようにメラメラと燃えているからなのだろう。

 だから俺は決してその温もりを離さないように、強く手を握った。


 雪が町を彩っていく。

 それはどんなイルミネーションよりも美しくて、人々を魅了する。

 雪が降るだけで、人々の心はとんでもなく揺り動かされて。

 あんなにもどんよりとした空が、愛おしいとさえ思う。


 それに加えて、隣に愛する人がいたら、どんなに幸せなのだろう。

 寒いね、なんて言ってくっついて、赤くなった鼻を見てクスクスと笑い合って。

 そんな時間が、どれだけ幸せなことだろう。


 ……でも、俺の愛する人は眠ってしまった。

 眠ってしまったんだ。


「―――――――――――」


 泣いて、泣いて泣いて。

 願うように志帆の顔を見る。



――タカくん、メリークリスマス。



 夜が更けていく。

 志帆のいないクリスマスが、終わっていく……。






 病院の外に出ると、これでもかというくらいに寒い風が吹いていた。

 寒さに体を震わせながら、赤い未完成のマフラーに顔を埋める。


 そして、一歩。


 俺は歩き出した。

 雪が舞い落ちる世界の中、頭に雪を積もらせながら、歩いていく。


 奇跡なんて、起こらない。

 だってこれは、ただの現実だ。

 

 失ったものは戻らないし、醜い過去がすっきりと清算されることもない。

 過去に戻って言いたい一言を言うこともできない。

 そんな、どうしようもない現実だ。


 ……だから、俺たちは大人になっていく。

 

 なりたくなくても、世界が俺たちを大人にしていく。

 過ちを犯して、激しく後悔して、現実にひどく責められて。


 何度も起こりもしない奇跡を期待して、いずれ叶うはずないのだと、現実を知る。

 そして俺たちは、大人になる。


「うぐっ、うっ……」


 あぁ、あの時、ちゃんと言えればよかった。

 会える時に、ちゃんと会って話せばよかった。


「うっ、ぐっ……」


 すべてのことが、明日に引き継がれるわけじゃないって、分かっていれば。

 当たり前が当たり前じゃないって、ちゃんと知っていれば。




 あぁ。あの時、ちゃんと好きだって言えばよかった。




                        完



―――――—————————————————————————————————


最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

少しだけ、書きたいことがあるので書かせてください。


私はここ最近で身近な人を二人失いました。

身近であるが故に、いつでも会えるのだから、いつか会おう、と思っていました。けど、それは間違いでした。

私は激しく後悔して、そしてこの作品を書きあげました。


私がこの作品を通して伝えたかったのは、会える時に会って、話せるときに自分の言葉をプレゼントしてほしい、ということです。

ただ、それだけの物語でした。


ありがとうございました。


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あの時、ちゃんと好きだって言えばよかった 本町かまくら @mutukiiiti14

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