1—3


「ぎゃああああっ!!」


 江中が悲鳴をあげたことにより、近所の人たちが集まってくる。

 もちろん、マンションの住人もだ。


「なんだ!? また誰か落ちたのかい!?」

「いや、烏が————」

「烏!?」

「ちょっと! ねぇ、そこって落ちた場所でしょ!?」


 人間ではないが、烏が落ちた位置はまさに二人がなくなり、自動車事故の起きたその場所である。

 不吉なものを感じない方がおかしい。

 マンション前は騒然となった。


「やっぱり、魔女の呪いよ……!!」

「ほんと、もう嫌になっちゃう。気味悪いことばかり」


 渚は烏の潰れた頭をみて、やはりここには何かがいるのだと確信する。

 魔女の仕業かまではわからないが、こんな偶然が次々と重なるわけがない。

 見えない自分に少し苛立ちながら、スマホの画面を確認する。

 まだ、友野へ送ったメッセージに既読はついていなかった。


「まったく……先生は一体何してるのよ。こんなに先生にうってつけな事件なのに……」


 渚がブツブツと文句を言っている間、騒がしかった住人たちが急に静かになる。

 スマホ画面から目を離して、住人たちの方を見るとそこに一人、全身真っ黒の装いの女性が立っていた。


「————渚さん、何かあったの?」


 約束の時間になっても現れない渚を、迎えにきた麻里子だ。

 大きなつば付きの黒い帽子とサングラスに、黒いロング丈のワンピース。

 低い鼻の多い日本人の中では珍しい外国人のような鷲鼻の麻里子の姿は、やはり魔女にしか見えない。

 周りがよくいる日本人顔のせいで、余計に際立っていた。


「烏が落ちてきて……ねぇ、江中さん」

「…………」

「江中さん?」


 先ほどまで饒舌だった江中は、渚の問いかけに何も応えなかった。

 それどころか、こちらを睨んでいるかと思うと急にそっぽを向かれてしまう。


「————無駄よ。私の関係者だってわかったから、もう喋らないわ」

「……なんですかそれ」


 まるで、いじめだ。

 いい歳をした大人が、みんな麻里子を避けている。

 麻里子は何もしていないのに。



 * * *



 501号室は事故や自殺が相次いで起きている現場とは反対側にあり、陽の光に弱い麻里子は遮光カーテンを常に下ろしていて、昼間は外の景色を見ることはほとんどない。

 それでもこの最上階の部屋を買ったのは、夜景が綺麗だからだそうだ。


「それで、やっぱり何かあるのかしら? このマンション……」

「ええおそらく。でも、申し訳ないんですけど、そういう類のものが見えるうちの先生とちょっと今連絡がつかなくて————先生が来るまで、ちょっと他の場所を見せてもらってもいいですか?」

「他の場所……?」

「例えば、妙な足音が聞こえた部屋とか」

「それは隣の502号室ね。中に入るなら管理人さんに聞かないと……入り口を入ってすぐのところに、管理人室があったでしょ?」

「ああ、あのオジさんですね」


 渚はエレベーターに乗る前に見た管理人室の小窓からこちらをジロジロとのぞいていたハゲ頭の男を思い出した。

 実は事故の被害に遭っていた104号室が管理人夫婦の部屋だったのだが、流石に直さないと生活ができないため今は近くの親戚の家から管理人室に通っているそうだ。


「お隣の部屋だったなら、その足音を麻里子さんは聞いていないんですか?」

「ええ、私も人が話してる————ほら、あのおしゃべりな204号室の江中さんが別の住人と話しているのを偶然聞いただけだから、正確な時間は知らないんだけど……特に気になるような音は聞いていないわね。ちょうど出かけている時間かもしれないし」


 日の光に弱い麻里子は夜にコンビニや二十四時間営業の店に行くことが多い。

 昼間は用事がない限りはあまり出歩かないようにしていて、それも住人たちが麻里子を不気味だと思っている一因になっている。


 夜な夜などこに行っているのか。

 何をしているのか。

 不老不死の薬の材料を調達に行っているんじゃないか。

 あの魔女が夫たちを誘惑しているなどという、根も葉もない噂がマンション中に出回っている。


「確かに、亡くなった旦那さんたちとは何度かお話ししたことがあるわ。残業帰りとかにね……エレベーターで一緒になることもあったし。でも、私は本当に何もしてないわ……」


 少ししか関わりがなかったとはいえ、顔見知りが相次いで亡くなっていることは麻里子にもショックなのだ。

 しかも、それを見た目が魔女っぽいからという理由だけで、自分のせいにされている。

 渚はサングラス越しではあるが、麻里子の目が少し悲しそうに思えた。


「それじゃぁ、私、他の住人さんにお話聞いてきますね」

「え?」

「あのおしゃべりな江中さんが、私のことを魔女の手先だって広める前に……今なら、あの場にいた人たちじゃないとまだ私の顔を見ていないでしょうから」


 渚は麻里子の部屋から出ると、隣の502号室のドアをじっと見る。

 ここに何がいるのか……やっぱり何も見えない。


「先生、早く連絡してくれないかな」


 友野へ送ったメッセージは、まだ既読にならない。


「一体、どこで何をして————」


 ————ガチャ


「————え?」


 空室のはずの502号室のドアが突然開いて、中から出てきた男と目が合った。


「せ、先生!?」

「ナギちゃん!?」


 友野だ。

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