終章 見る聞く言う

3—1


 気づいた時には、もう手遅れだったのよ。

 この手で、私は彼の息の根を止めてしまった。


 彼が好きだと言ってくれたショパンを弾いた指が、彼の首に沈んでいく感触は、今も思い出す。

 ううん、思い出させるの。


 あの猿が、殺される前に殺せと教えてくれたあの猿が、まだここにいるから。

 それにね、これは仕方がないことだったのよ。

 そうよ。


 だって、そうでしょ?

 知らなければ、私の方が殺されていたのだから。

 それも、とても残忍なやり方で。


「————麗美様? 一体、何を……?」


 だから、そんな目で私を見ないで。


「これでいい。これでいいのよ。私を殺そうとした、この男が悪いの。私を騙した、愛しているなんて嘘をついた、この男が————ねぇ、あなたもそう思うでしょう? 私は悪くない。そうでしょ? ねぇ?」


 だから、そんな目で私を見ないで。


「私が殺したのは、私を殺す殺人犯なのよ。ねぇ、昔、あなたは言っていたわよね? 何があろうと、あなただけは私の味方だって……」


 あなただけは、私の味方でいてよ。

 知ってるのよ。

 私が何をしようと、あなたは私を絶対に裏切らないって。

 猿も言っているのよ。


《邪魔者が消えた。ずっと、ずっと邪魔だった。僕から麗美を奪ったあの男が……そうだ、上手にやれば…………このことを利用すれば、上手くやれば、僕は麗美と————麗美と……——————》


「ねぇ、私、これからどうしたらいい?」


《二人きりで——……ずっと————……》



「樹……」




 ◆ ◇ ◆




「人を殺した……? 何を言っているの?」


 友野にそう聞かれ、麗美は明らかに動揺している。


《どうして……突然そんな…………まさか、あの部屋に入ったの? 鍵をかけ忘れた……?》


「いいえ、鍵はかかっていました。ドアの鍵はしっかりと。窓の鍵はかけ忘れたようですけど……」


《窓の鍵……? 窓から入ったの!?》


「それに、何か儀式を行いましたね? そのせいで、あの男の霊は…………あなたが殺した男の霊はあの部屋から出られずに縛られていました」

「い、意味がわからないわ。儀式……? 一体、何のことだか……」


《なんで……知っているの? どうして……》


 麗美はなんとか知らないで通そうとしたが、心の声を猿が勝手にペラペラと代弁してしまう。

 本当に、気持ちの悪い声で、友野は気がおかしくなりそうだ。


「あぁ、本当にもう、うるさい猿だ。お前は黙ってろ!!」


《…………》


 友野がイラついて怒鳴りつけると、猿は両手で口を自分で塞いで黙った。

 そして麗美はあのペラペラとうるさい猿が、急に大人しくなり、友野にこの猿が見えていると確信する。

 しかし、猿の姿が見えていない樹や佳乃からしたら、もう何が何だかさっぱりだ。

 友野が誰に対して、猿と言ったのかわからなかった。


「な……! 一体何なんですか!? 東さんといい、あなたといい……麗美に————僕の麗美に変な言いがかりをつけないでください!! 人を殺した? 麗美が、そんなことするわけないでしょう!? それに、猿だなんて、失礼にもほどが————」


 状況的には、自分が罵られたのだと樹が思っても仕方がない。

 猿の存在を認識できない樹には、麗美を支えている自分の間に猿がいるなんて思いもしないのだから……


「あなたも、ですよ。樹さん……」

「知っていて、隠していますよね。あの部屋に、死体があることを……奥さんに首を絞められたのは、あなたではなく、あの死体の男でしょう?」

「そ……それは————」


 友野はまた、大きなため息を吐いた。


「東警部補に憑いているのは、あの死体の男です。きちんと供養もされず、部屋の外にも出られず、自分を殺した奥さんへの怨念で悪霊になってしまった、あの男のね。それに……————あなた、本当にですか?」

「えっ!?」


 これは流石に、意味がわからない。

 渚と佳乃は驚きすぎて言葉も出なかった。


「あの部屋に置いてあったウエディング写真————新郎はあなたよりずっと若い男でした。あの死体の男ですよね? 一体、あなたは誰なんですか?」






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