2—3


 東は玄関の傘立てから透明なビニール傘を拝借して、明かりがついている窓を目指した。

 雨雲と日が落ちたことにより外は真っ暗だが、隣の部屋の明かりをつけていたからこそ外からでもどの部屋か簡単にわかる。

 そして、死体があるであろう部屋の窓を外から覗き込むと、非常灯のオレンジの光がぼんやりと部屋の中を照らしていて————


 レースのカーテンの隙間から見えたのは、ベッドの上に横たわる人の手だった。

 腹の上で、指を組んでいる。


 東はスマートフォンのライトで窓枠を確認すると、鍵がかかっていないことに気がつき、開けて中に入ろうとしたのだが————



「ダメだ……!! 東警部補!! 閉めてください!!」


 隣の部屋から様子を見ていた友野が窓を開け、叫んだ。

 しかし、雨はさらに強くなり、声が聞こえづらい。


「……なんだって!?」


 東は死体がある部屋の窓を開けたまま、友野の方に近づいてしまう。

 その隙に、あの男の霊は窓から飛び出して東の背に————


「あ……」


 背筋に何か冷たいものを感じた後、東は体の自由を失った。

 勝手に体が動く。

 笑う気もないのに、口の端が勝手に上がり、自分のものではない笑い声が出る。

 ビニール傘を地面に落とし、大雨を体いっぱいに浴びる。


「ははは……ははははははははっ」


 友野はため息を吐いた。


「…………取り憑かれてどうするんですか」




 ▽ ▽ ▽




「————今、誰か外に出て行きませんでした?」

「そうよね、ナギちゃんにも聞こえた?」


 リビングに残っていた渚と佳乃は、そんな物音が聞こえたような気がして椅子から立ち上がった。

 そとは大雨で、もう陽も落ちて真っ暗だ。

 そんな状況で、一体誰が外へ行くだろう。


「先生も戻ってきませんし……」


 ついつい、樹夫婦の馴れ初め話がまるでフィクションのような話だったため夢中になって聞いてしまい忘れていたが、友野が帰ってきてない。

 少し前に同じく席を立った東も。


 しかし、この二人がこんな天気の中外に出る理由に見当がつかなかった。


「————私たち以外、お客さんはいないんですよね?」

「ええ。あなたたち四人と、僕たち夫婦以外ここには誰もいませんよ」


 樹はそう答えたが、隣にいた麗美の目は泳いでいる。


「じゃぁ、泥棒……とか?」

「こんな大雨の日に? まさか……気のせいですよ。他には誰もいません。ほら、きっと風も強いから、その音ですよ」

「そう……ですかね?」


 渚は樹にそう言われて納得しようとしたが、佳乃は少し考えてから一応玄関の方を見てこようと提案する。

 先ほどまで、弱々しい声であっても受け答えを丁寧にしていた麗美が、急に大人しくなったのが、どうも何か隠しているように佳乃には思えた。

 それに、佳乃には一つ不安要素があったのだ。


「最近この辺りで、火災が多いでしょう? 放火だって可能性もあるとかないとか聞きましたよ? もしかしたら、ここも狙われているかも知れない。この大雨だから、今火をつけられても意味はないでしょうけど……もし、犯人が潜んでいたりしたら————……」


 せっかく宿を見つけたのに、何かあってはいけないと佳乃は先立って玄関の方へ歩いて行った。

 佳乃、渚、そして体調の悪い麗美はリビングに残しその後に樹も続いて玄関の方へ。


 二枚扉のステンドグラスのドアの向こう側から、雷の光が差す。

 その一瞬の光であったが、ドアの向こう側に人影があった。

 誰かが、ドアの前に立っている。


「だ……だれ!? 誰かいるの!?」


 佳乃が声をかけると、ドアが開いた。

 雨でずぶ濡れになっている東だ。

 ただでさえ怖い顔をしているのに、雷の光を背に立っていたらまるで洋館に現れた殺人鬼のように見えてしまう。


「あ、東警部補!?」


 佳乃が驚いてそう言った。

 すると、樹はひどく驚いた表情で佳乃の方を見る。


「け、警部補……!? え? 東さんって、警察の方だったんですか……?」

「あ……」


 自分のミスに気がついて、佳乃はバッと自分の口を両手で塞いだがもう遅い。

 東が警察官であることは、この島の人間には知られるわけにはいかなったのに……驚きすぎてつい言ってしまった。

 もう一度口から出たものは仕方がないと、諦めて佳乃は素直に自分たちの素性を明かすことにする。


「え、ええ。言ってなかったかしら? 私たち、警察官なんですよ。この島に、ある事件の犯人が潜伏しているって情報があってね、それを確かめに来たの……」


 実は、東と佳乃は婚約者というふりをして、この岩張島にその犯人を探しにきた。

 そのために予約したコテージが燃えてしまうというハプニングには見舞われたが……この島にきた目的は変わらない。


「それより東警部補、いつまでそこに突っ立ってるつもり? 濡れたままじゃ、風邪引くわよ? さっさっと中に入って、ドアを————」


 東は佳乃が事情を話している間、ただ玄関の前で少し下を向いて立っているだけだった。

 雨のせいで全身がずぶ濡れであるし、ドアも開けっ放しで立っているため強い風が玄関に入ってくる。


「東警部補……?」


 佳乃の問いかけに、東は答えなかった。

 ところが……


「……————やっぱり、誰かいたの?」


 やはり心配になってリビングのドアから顔をだし、麗美がそうたずねると、東はゆっくりと顔を上げ、一目散に走り出す。

 麗美に向かって、まっすぐに。


「え……?」


 そして、東は麗美の白く細い首に、雨で濡れた手を伸ばした————


「麗美、麗美……麗美麗美麗美麗美麗美麗美麗美麗美麗美麗美麗美麗美麗美麗美麗美麗美麗美麗美れみれみれみれみれみ……」






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