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「————……ある日突然、首を絞められたのです」


 それぞれの部屋に荷物を置いた後、この民宿の主人————いつきはリビングで友野たちに妻の様子について話し始めた。


「妻の家はとても裕福でしてね、僕はそこで使用人として働いておりました。いつの間にか互いに惹かれ、親の反対を押し切ってこの地へ来て二年が経つのですが、喧嘩もしたことがなかったんですよ? それなのに突然でした」


 最初に妻に首を絞められたのは、樹が眠っているときだったという。

 苦しくて目を覚ますと、隣で眠っていたはずの妻が樹の上に馬乗りになり首を絞めていた。


「気がついてすぐに振り払いましたから、大事には至りませんでしたが、なぜこんなことをしたのか聞こうとしても妻は眠っていたんです。きっと、寝ぼけていたんだと思いました。翌朝改めて聞いてみても、覚えていないようでしたし……でもそれから同じようなことが週に二度、三度とありまして——……」


 問いただしても、やはり妻にはその記憶がないようで、これはあまりに危険だと寝室を別にするようになったそうだ。


「寝室が別になったことで、僕の命の危険はなくなりました。でも、それもわずかな間です。夜に気づいたら、また妻は僕の上に乗って首を——……」


 寝室は別にしたが、鍵はかけていなかった。

 客室の部屋には鍵がついていたが、樹の寝ている部屋の鍵は壊れていたのだ。

 仕方なく、今は鍵のかかる客室の一室で寝るようにしている。


「妻は自分がしている行動を全く自覚していないんです。医者に見せてもなんの異常もありませんでした。僕に対して不満もないと言っていますし……でも、やはりおかしいんです。最近話しかけてもどこか上の空な感じもしています。顔色も悪いし、目が合わないんですよ。何かに気を取られているんじゃないかってことが多くて——……それでふと思い出したんです。この島に……岩張島に古くから伝わるあの入江にいる妖怪の話を」

「妖怪!?」


 渚は妖怪という言葉に過剰に反応した。

 何しろ渚がこの島に来た理由はそれだ。

 噂の妖怪と会うためだ。


「ナギちゃん、落ち着いて。それで、樹さん、その妖怪が奥さんの行動とどう関係しているんです?」

「え、ええ、その……思い返してみれば、妻がおかしくなったのはあの入江に行った後からだったのではないかと」


 岩張島の西側には入江がある。

 そこは魚が良く獲れるのだが、高い崖に囲まれており必ず船で移動することになる。

 崖の上は未開の地で、野生の動物の住処になっているそうだ。


「観光で来られた方に入江を案内したとき、妻も一緒に行ったんです。その方から妖怪の噂を聞いた妻が、ちょっとした好奇心で……そのとき、言っていたんですよ。と」


 妖怪の噂を聞いた後だったため、ふざけて言っているのだろうと樹ははじめはその言葉を信じていなかった。


 だが、その異常な行動に疑いを持ち始める。

 もしかしたら、それが本当に噂の妖怪で、妻はその妖怪に取り憑かれているのではないかと……


「僕の母はこの島の出身でして、幼い頃、数年ですが僕もこの島に住んでいました。そのとき実は一度妖怪に取り憑かれた人を見たことがあったんです。今の妻の様子が、その人に似ているような気がして——……当時は、たまたまこの島に観光で来ていたが、妖怪を祓ってくれたんですけどね」


 友野は樹の話が本物なら、そのとき祓われた妖怪が再び悪さをしているということだろうかと思った。

 渚はもちろん信じているし、何度もそういう類のものに遭遇してる東も妖怪の存在を疑いはしていない。


 だが————


「妖怪なんてそんなの、いるわけないじゃない。みんな何をそんなに深刻な顔しているの?」


 東の婚約者である佳乃はそんな話は全く信じていなかった。

 そして、彼女は自分の考えが正しいと思っている。


「妖怪に取り憑かれるとか、みんなホラー映画の見過ぎよ。そんなこと実際にあるわけないわ。何か他に必ず理由があるのよ。それを見落としているだけ。もし奥さんがあなたを殺したとして、それが妖怪に取り憑かれたから————だなんて、おかしいわよ。そんなことがまかり通ったら、みんなそういうことにして人を殺しちゃうじゃない。妖怪のせいにして、自分は無実だってね」


 東は何も言わなかった。

 佳乃がそういう類のものを一切信じない性格であることも知っていたし、むしろ信じて欲しいと思っていなかったからだ。

 知らないでいて欲しい、関わらないでいて欲しいと思っていたからこそ、東はこれまで遭遇した幽霊や妖怪が関わっているような怪事件のことは話していない。

 見えない、聞こえない人間に、わざわざ言うことでもない。

 たとえ言ったとしても、信じないだろう。


「まぁ、信じるか信じないかは人によりますけど……」


 渚は少し残念そうな表情をしていたが、普通の人間ならそういうものだと割り切っている。

 経験したことのない、体験したことのない人間に信じろといっても無駄だ。

 逆に今それを経験しているからこそ信じていて、樹は恐怖を感じている。

 だからこそ少しでも安心させようと渚がはっきりとそう言い切った。


「大丈夫ですよ、樹さん!! うちの先生は本当に見える人ですから!!」


 ところが————


「————?」


 いつの間にか二階の自室から降りて来た若い女が階段の前で青白い顔で立っていて————


「麗美……!」


 その女の背に何かがおぶさっている。

 それは毛むくじゃらの————腕の長い猿のような何か。

 猿のような何かは、女の首の横からぬっと顔を出し、その大きな丸い目で友野を見据えた。


《見える?》

《見える?》

《見える?》

《見える?》

《見える?》


《…………この声が聞こえる?》


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