1—3


 赤い血が混ざり、乳白色からまだらな薄紅色へ変化した温泉。

 切断された女の首には、濡れた髪がベッタリと張り付いて、その隙間から見開かれた目がこちらを見ている。


「これは……」

「首無しの死体の……なくなった首の方——ですかね?」


 慌てて女湯の方に移動した友野に、渚はそう聞いた。

 いくらオカルトや都市伝説で慣れているとはいえ、実際に目の前に人間の首が浮いているこの状況には、さすがに渚も恐怖を感じたのか、声が震えている。


「いや、見つかった首無しの死体は、男のものだったんだろう? こっちは女性だ……別の首だ」

「あぁ、そうでしたね。それじゃぁ、二人、殺されているってこと……ですよね」

「そうだと思う。それに——……」



 ————カシャッ


「こりゃぁ、すげぇ……本物の生首なんて、初めて見たぜ……」


 悲鳴を聞いて、駆けつけた番頭も蛍も駆けつけたが、その光景は誰もが目をそらすほど悲惨なものだというのに、須之部は嬉しそうにスマホで写真を撮っていた。


「ちょっと、須之部さん! 何してるんですか! やめてください! 不謹慎です!!」

「そうですよ! それに、渚さんが——……!」


 番頭が須之部を止め、蛍はバスタオルを渚の体にかけた。

 生首が浮いているという状況で、誰も気にしていなかったが、ここは女湯で、渚は何も着ていない。

 渚本人は何も気にしていないが、若い女の子の裸が写り込んでいたらどうするんだと、蛍は怒っていた。


「……とにかく、警察を呼びましょう。警察が来るまでは、誰もここに近づかないように……!」

「は、はい!」


 友野の指示で、騒ぎを聞き後からきた他の職員が急いで警察に連絡した。

 とりあえず、近くの駐在所から時期に警官が来る。

 それまで各々、着替えて浴場の前の広間に集まることになった。



 * * *



 叩きつけるような強い風が吹いて、旅館の窓がカタカタと揺れてる。

 浴場前の広間には、先日発見された身元不明の死体の件もあり、たまたま駐在所に身を寄せていた狐のような顔をした西村にしむら刑事がすぐに警官と共にやってきた。


「いいですか、ここにいる皆さんは事件の重要参考人です。まだ鑑識が到着するまではなんとも言えませんが、私の見立てでは血の量からして、切断されてからさほど立っていないはずです」


 日頃、どっちが犯人だかわからない、人相の悪い刑事とばかり会っているせいか、とても頼り甲斐があるようには見えないのだが、西村は独自の推理をまるで推理小説の主人公のかのような振る舞いで語り始める。

 大げさに長椅子の周りを歩いたり、急に止まって見たりしてトレンチコートの裾をなびかせ、白い手袋をつけた手で舞台役者のように動き回りながら……

 しかし、今ここにいる客や従業員は、この若い刑事の話より、さっさと自分の部屋に戻るか、家に帰りたいという思いでいっぱいだった。


「そ、それで、いつになったら私たちはここから出られるんですか?」


 首の第一発見者であり、女湯で悲鳴をあげた鈴森すずもりという女性は真っ青な顔で、ガタガタと震えながら訴える。

 鈴森の話によれば、自分が湯に浸かって数分で乳白色の湯から赤へ色が変わり、その中心に黒い髪がべったりと顔に張り付いたあの女の首が浮き上がってきたとのこと。

 あんなものを間近で見てしまって、冷静でいられるはずがない。

 今すぐにでも、こんな旅館から逃げ出したかった。


「それは、鑑識が到着して、あなたたちの無実が証明されてからですよ。それに、今のところあの首の……女性の体の方は見つかっていないのですから————まぁ、こちらの屋根裏部屋で見つかったあのご遺体の首も……ですけどね」

「屋根裏部屋……?」

「おや、ご存知ないのですか? つい先日ですよ? この旅館の屋根裏部屋で首のない男性の遺体が発見されたのは……」

「そ……そんな……っ」


 鈴森はそのことを知らなかったようで、さらに顔色が悪くなる。

 確かに、首のない死体が見つかった……とは直接的な表現で報道されていない。

 むしろ、知っている方が少数派なのだ。

 この村の住人以外では……


「ところで、皆さんは発見された女性の顔に見覚えはありませんか?」


 女性の顔……と言われても、あんな恐ろしいものをまじまじと直視できるはずがない。

 鈴森は大きく首を振り、知りません、知りませんと泣き出してしまう。

 森田も須之部も女の顔に見覚えはないと、蛍や番頭もわからないと首を横に振った。


「あなた方は……?」


 渚もわらからないと応えたが、友野は何も言わなかった。

 ただ、ずっとカタカタと風に揺れる窓の方を見ていた。

 あの首が誰のものだとか、そんなものはどうでもよかったのだ。


 それよりも、窓の外に見えるものの方が気になっていた。


「聞いてますか? 質問に答えなさい」

「…………」


 友野が何も言わないので、探偵気取りの西村にはそれが気に障ったようで……


「あなた、怪しいですね! わかりましたよ、犯人はあなたですね!?」

「……は?」


 その冷たい感覚に気づいた時には、友野の手首に手錠がかけられていた。


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