3—2


「私がいるのに、ひどいじゃない……」

「すまん、すまん……そんな顔するなよ、お花ちゃん。そうだなぁ……今日でここへ来るのは最後にしよう……へへへへへ」


 ヘラヘラと笑いながら、秋山はトイレの中にいた女に抱きついた。

 なぜここにいるのか……そんな疑問すら頭をよぎらないほど、秋山は酔っ払っている。

 秋山の目に、この花太夫は理想そのもの女の姿に見えているのだ。


 ————ドンドンドンッ


 その色香に酔いしれて、目を閉じていた秋山の背後から急に現実へ連れ戻す声がする。


「おい!! ここを開けろ!!!」


 鍵のかかったドアを激しく叩きながら叫ぶ、聞き慣れない男の声がする。


「ん? なんだ……誰だ? 今いいところだってのによぉ」

「気にすることはないよ。ねぇ、ほら、楽しもうじゃないか……」


 ————ドンドンドンッドンドンドンッ


「開けろ!!」


 花太夫は気にするなと言ったが、これではせっかくのいい雰囲気が興醒めだ。

 秋山はイラつきながら花太夫から体を離し、ドアを開けた。


「なんなんだ……うるせぇぞ」


 ドアの前で叫んでいた男と目があった。

 全く知らない男だ。

 そして、男の後方では店中の客とスタッフたちがこの騒ぎに注目していて、複数の好奇の視線が突き刺さる。


「何見てんだぁ! 見せもんじゃねーぞ!!」


 腹が立った秋山は叫び、今にも暴れ出す勢いだった。

 だが、この時秋山の視界に入った人物を見てピタリと止まった。


「…………な、なんだぁ、新入りか? おい、ママ、こんな上玉が入ったなんて聞いてねーぞ!?」

「え? 一体、なんのことだい?」


 蝶子は秋山が何を言っているのかわからなかった。

 だが、秋山の視線の先にいる人物を見て納得する。


「姉ちゃん、ずいぶん若そうだがいくつだい? こんな店で稼ぐくらいなら、俺がいくらでも援助してやるぜ?」


 渚だ。


「……私ですか?」


 秋山は渚に駆け寄り、いやらしく鼻の下を伸ばしてデレデレと笑った。

 確かに、渚は大学の準ミスに選ばれるほどの美人だ。

 本来なら、怪しい占い師の助手なんてしなくても、この美貌でいくらでも稼げるほどの。

 それに加えて、自分の魅せ方を理解していてあざといのだ。


 秋山に突然言い寄られ一瞬驚いたが、察しの良い彼女は、秋山の言葉に乗るふりをする。

 首を絶妙な角度に傾け、上目遣いでじっと秋山を見つめ、にっこりと微笑んだ。

 たったそれだけだったのに、秋山は渚に骨抜きにされてしまう。



「何よそれ……私の……私が買ったものなのに…………!!」


 秋山を渚に取られて、怒り狂う花太夫の姿は、蝶子やその場にいた他のスタッフにも見えて、そのあまりにおぞましい姿に悲鳴が上がる。


「きゃああああああっ!!」

「うわあああ!!」


 店中の照明がバチバチと音を立て、ガラス管が割れた。

 壁面の棚に並べられた酒の瓶も、ガタガタと揺れて床に次々と落ちる。


 ガラスの割れる音と酒の匂いが充満し、客もスタッフも逃げ出す中で、蝶子は立ち尽くす。

 もちろん、渚にも花太夫の姿は見えている。

 それが何よりも嬉しかったのだが、それを今表情に出してはいけないと必死で堪えていた。

 今自分に夢中になっているこの単純なおじさんが引くような、この心霊現象を楽しんでいるような表情をするのはダメだと……


「ママ、今のうちに……————下の階からあの絵を持ってきてください」

「えっ!? あの絵を!? 一体どうして——!?」


 友野は蝶子にそう耳打ちをした。

 花太夫には聞こえないように……


「絵の中に戻します。できるかどうかはやって見なきゃですが…………とにかく、急いで!」

「わ、わかったわ!」


 蝶子は小宮骨董品店の鍵を持って、階段を駆け下りる。

 渚が秋山と花太夫の気を引いている間に、友野は絵の中にもう一度封じる方法を必死に考えながら、今この店の中で使えそうなものを探した。


 花太夫は秋山の視界に入ろうと渚の背後に立つ。

 しかし、怒り狂う花太夫の姿は秋山の見ていた理想の女とは違う。

 血の気のない白い肌に、真っ赤な紅を引いた花魁が血の涙を流しながら秋山を睨みつけている。


「私が買ったのに、私が買ったのに、裏切るなんて————許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さないゆるさないゆるさないゆるさない」




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