終章 あのこが欲しい
3—1
明治の終わり頃、ある貴族の男が遠い親戚から譲り受けた蔵の中で見つけた一枚の絵。
その絵の作者は、不明である。
畳の上に置かれた西洋の椅子の上に腰掛け、こちらを見つめている美しい遊女はまるで本当に生きているかのように描かれていた。
男はそのあまりの美しさに魅了され、最近新しく迎えたばかりの妻には見向きもせずに、その絵の中の女に恋い焦がれてしまう。
一人部屋に引きこもるようになり、仕事にも身が入らず、まるで取り憑かれたかのようにやせ細っていく男に、妻も使用人たちも心配していた。
気が狂ってしまったのではないかと……
このままでは、誰も気づかぬ間にぽっくりと逝ってしまうのではないかと……
そんなある日の晩、妻は見てしまった。
男の上に股がる女の姿を。
あの絵の遊女と同じような着物を着た女の姿を。
そして、さらに奇妙なことに絵は畳と椅子だけになっていた。
描かれていたあの遊女————椅子の上に座っていたあの女がいない。
妻は恐怖に震えながら、自分の部屋に音を立てぬように逃げ帰る。
自分の夫は、あの絵の女の霊に取り憑かれたのだと、怖くてたまらなかった。
妻と使用人は男の隙を見て、絵を寺に預けた。
絵は僧たちが封印したのだが、男は絵がないと気づいて気が狂ったように暴れ、その翌日には亡くなってしまう。
それから約十三年後、大地震によってその寺が倒壊。
瓦礫の中から発見されたその絵に魅了された画家の男がそれを密かに持ち帰り、好奇心から札を剥がしてしまう。
再び絵から抜け出した遊女の霊が、画家の男の生気を奪い……————そうして、そんなことが何度か繰り返された後、再び封印されていた。
その不思議な魅力と、噂から絵はなんども盗まれては人から人へ。
そんな絵が小宮骨董品店に持ち込まれたのは、三ヶ月以上前のことである。
「お客さん、この絵をどこで手に入れたんだい?」
「いやー、ちょっと知り合いの家から譲り受けたんだけどね……ほら、この裏に札が貼ってあるでしょう? かなり高価なものらしいけど、やっぱりちょっと気味が悪くて……家に置いておくにはちょっとね」
絵を売りに来たのは、中年の女性だった。
彼女は高価な絵だと聞かされてはいたが、やはりこの封印と書かれた札が不気味で、買い取って欲しいとのこと。
一目見ただけで、小宮にもその価値がわかり高額で買い取った。
彼女が帰った後、まじまじと絵を見つめていると好奇心が芽生えてくる。
この札を剥がしたら、本当にこの絵の女と会えるのだろうか……と。
何日か葛藤した後、結局小宮は好奇心に負けてお札を剥がしてしまった。
しかし、特に何かが起こるわけでもない。
「なんだ、やっぱりただの噂。幽霊なんて作り話だ……」
この何日か悩んでいた自分がバカらしくなって、小宮は絵を置いたままいつものように一階のスナック夜蝶へ。
浴びるように酒を飲み、よっぱらった勢いでお気に入りの百恵に抱きついたりして、なんだかいつも以上に酔いが回り、気が大きくなっている。
「トイレ……トイレ」
フラフラとした足取りで、店のトイレに入ると、小宮の目の前にとても美しい女が————
「ねぇ、ねぇ、お兄さん。私、あんたが欲しい…………銀一匁でどうだい?」
酔いが回っているせいで、よく理解できなかった。
しかし、女がとても美しく、そして艶かしい表情で見つめてくる。
小宮は頷いてしまった。
「銀一匁で俺と寝たいってことかい?」
「そうさ、私が買ってあげる」
「はははは……それはいい。買ってくれ、買ってくれ! 俺を買ってくれ!」
女はニヤリと笑うと、スッと姿を消した。
小宮はそのことになんの疑問も抱くこともなく、ぼーっとしながら用を足してトイレを出る。
そして、そこからの記憶ははっきりしないまま、朝が来て驚いた。
裸の見知らぬ女が、隣で寝ていたのだから。
それも、ものすごい美人。
まさに、自分の理想の顔と体型の女だった。
女は毎晩、小宮の部屋を訪ねてくる。
小宮は幸せだった。
だが、本人の気がつかぬまに、小太りで血色の良かった小宮はみるみる痩せて、まるで病人のような顔色になって行く。
「明日、両親の墓参りに行くんだ。君を紹介したい……」
「まぁ、嬉しいわ」
その日、小宮は住職に言われるまで、自分の身に何が起こっているのか、全く気づいていなかった————
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