何か出来る訳でもなく…過ぎ去る1日…。
2022年8月27日土曜日14時12分。天気は晴れ。
何をすべきか…。多分、無理して考えれば探せばあるのでしょうが…。それを今日中にしなければならないという理由もありません…。
今朝1番で考えていたのは、作詞を書くことでした。「交響巧姫シンフォニアグーラ」という作品で、アーティスト人形であるグーラが歌う楽曲の歌詞です。以前のエッセイにも書きましたが。このように毎日、一定文字数の文章は書けるのです。
でも、感情を込めた文章や物語が書けなくなりました。
病気のせいにはしたくありませんが…言い訳もしたくはないですが…。
この感情の希薄さはなんでしょうか…。AIでさえ自我を持つかもと言われている世界で…。
人間らしい感情が希薄になっていく…。それはまるで1種の悟りに近い状態ともいう方々もいます。
鬱病を発症を前後に「喜怒楽」の感情が徐々に希薄になってきました。欠落とも違うのです。確かに、その「喜怒楽」は自分自身の中に存在するのです。でも、薄っすらと…。後ろが透き通る非常に薄い生地のように…。
「哀」だけが、その存在を主張するよう心の上に覆いかぶさっている状態でした…。以前、「哀」は「愛」と、その存在だけが今は私の中にある感情だと書きました。
ですが、その「哀」も他の3つの感情と同じく希薄になりました。希薄でありながら、私の中にある「喜怒哀楽」の感情は、ある種の美しさすら感じます。静寂の中にある透き通る泉と形容すれば良いでしょうか。ただ、「喜怒哀楽」の感情のどれかが心に時折、波紋を浮かばせる…。どれも静かに美しく…。
ですが、残念ながらその心境では、物語や作詞を書ける心の状態ではありません…。
様々な感情を、それこそ、顕にさらけ出して表現することが、物語であり、歌という媒体を使って気持ちを伝える作詞するという事だからです。
その気持ちが大きければ大きいほど、多くの人が共感してくれます。
まだ、哀しみの感情が希薄な状態なら、哀しみのこもった作品を思い描けたと思います。実際、この状態になる前に1曲だけ、作詞できていたからです。悲しい別れの曲です。情景が頭の中に浮かび、言葉が打ち込む…。それでも、ほかの感情が希薄な分、大変でした。約4分の曲を作詞に必要な文字数は450文字前後…。
既に、このエッセイは、その曲の倍以上の文字数を打ち込んでいるという事になりますが、このエッセイの10倍以上の時間を費やしたと思います。
それだけ、物語や作詞を考えて書くことが大変だと言う事です。特に感情が希薄になっている人間にとっては…。
特に何も出来ず、現実的な仕事は結果と報告をまつだけ…贅沢な悩みだとも分かっています。
ただ、心の病人に対しては、何をしても辛く…。そして、厳しい…。
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