全くまとまりのない内容に…
2022年8月15日に書き始め、用事がある度に筆が止まり、再び筆を進めての繰り返しでした。今は16日の1時近く…
15日は終戦記念日でしたね。個人的な見解になりますが、戦争を知らない私達や親世代、そして、この日は決して忘れてはいけない日だと思います。
そう書いて置いておきながら、世はまだお盆ですが我が家には下の子と私しかいません。妻は仕事、長男は朝7時前からどこかに遊びに行ってしまいました。
振り返ると丁度、昨年の今頃は豪雨災害で、お盆どころでも終戦記念日でもありませんでした。
泥まみれな家の中、これからどうしたら良いのか現状も冷静に把握する言葉さえできませんでした。
高校生の長男と私の2人…そして、虹の橋へ渡る前の愛犬"てちち"くんと、愛猫"末蔵"くん。ただ、黙々と長男と片付けをしていた記憶しかありません。
令和元年にほぼ、物を失っていたので、助けに来てくれた仲間達のお陰で、令和元年と違い格段に片付けはできました。
もう大半捨てる物もなかったからです。
そして、あれから丸1年…。
余りにも多くの出来事が多すぎました。令和3年の豪雨前にも沢山の出来事がありましたが、振り返ると、これから来る災難を耐えきる為の前準備だったのかも知れません。
令和元年に引き続き、令和3年8月14日の豪雨被災を境に価値観が大きく変わったのは間違いありません。人であれ、物であれ…。今までは誰からも嫌われたくないという生き方でした。加えて、自分の力で届く範囲であるなら、誰でも助けようと思っていました。
それこそ、こちらが相当ひどい目に合わせられた人間に対してでもです。父と伯父がその例です。私は過去、伯父と実父から2度、家から追い出された経験があります。記憶はありませんが、2才の時から今でいう児童虐待みたいな事をされていたそうで、それまで含めると3回。親や親類から捨てられた人間という事になります。高校生までは祖父母に育てられていました。
祖父母は偶に言っていました。私達は若い時は我武者羅に家族にひもじいい思いをさせないように働き続けた結果、子供には愛情を注ぐことができなかったと…。私達がお前を育てているのは、その償いをしている風な事も…。
私の父は3人兄妹の真ん中の次男です。伯父は書くと自分の心が荒むくらいになる事を真顔でできる人なので割愛しますが、父も祖父母に依存しているような形でした。その時には余り感じませんでしたが母的には、自分で産んだ2歳の子を舅姑とはいえ、奪われる形になったは本当に辛かったと思います。
父には悪いですが、私の父は間違いなく、私の父親であるのでしょうが、父としての役目はしていなかったと思います。
私は母が他界する5日前、30年ぶりに実の母親と再会しました。私の記憶している人とは全く違う人でした。それまで知らなかったのですが、実妹や母側の叔母が看てくれていたそうです。実妹的には隠れて実母と会っていた負い目から、私に母と合せるか悩んでいたという事でした。意識がない状態で実母は「〇〇(私の名前)に、ご飯を食べさせないと、早く帰らないと…」「〇〇にと」、うなされながら私の名前を呼んでいたそうです。この言葉が妹が私を母に会わせようと思った最終的な理由だったそうです。
私が来た時には、母は意識があるのかどうかさえ分からない状態でした。ただ、「お母さん。〇〇だよ。」と手を握って話しかけた時、母は一筋の涙をながした事だけは忘れられません。
偶然だったのか、それとも、ちゃんとわかった上での涙であるかの真相も…。それから3年も経たない間に父は何度も脳梗塞で倒れ、要支援1から1年も経たない間に要介護3、半年後には要介護5…。あとを追うように他界しました。
今は私が2人の遺影と位牌を守っています。1度別れた両親ですが今は2人並んでいます。2人はどう思うか分かりませんが、私にとっては2人は親だからです。
結局、筆が止まったり進んだり、時間差があったりで、全くテーマが統一出来ないので、今回ははちゃめちゃな内容ですが、これで〆ます。次回は一気に書き上げたいですね(笑)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます