第2話 出会い

 暦に於いては春の足音が直ぐ近くに聞こえて來るような気配のする季節、三月半ば過ぎであった。

 四方を山に囲まれた、この辺りは例年ではまだまだ寒さの厳しい日が続いていたが、今年は何故か、ここ一週間程温かい日が続き、桜の木の蕾みもほんの少しであるが膨らみ始めており、目にも春の気配を感じさせていた。

 朝から雲一つ無く晴れ渡り、風もほとんど吹いていない、とても穏やかな月曜日であった。

 この場所は、北西方向の遥か彼方の天空にコバルトブルーの空を背景にくっきりと浮かび上がった、真っ白な雪を被った頂きの美しい山々が望むことができる川べりの、とある運動公園。時刻は昼になる少し前であった。

 この運動公園にあるサッカーコートでは昨日、地域の少年サッカーチームが集まり、Jリーグのサッカー選手に成ることを夢見ている少年たちが真剣な眼差しで熱気のある試合を繰り広げ、割れんばかりの声援で湧いていたが、今はその気配も感じられず、嘘のように静まり返っていた。

 そのサッカーコートの脇にある道路を隔てた向かい側にある幅広いコンクリート製の階段を十段程上がると運動公園が見渡せる、見晴らしの良い高台になっていた。

 高台に上がると、右方向の一角に年輪を感じさせるごつごつとした太い藤蔓ふじつるが幾重にも絡まっている十メートル四方程はある、大きな藤棚があった。

 この藤棚は、夏には藤の葉が全体に生い茂り強い日差しを遮ってくれていたが、今はその面影も無く葉を全て落とし暖かな太陽の光を存分に迎い入れていた。

 藤棚の下にはコンクリート製のベンチが置かれてあった。

 そのベンチの片隅に中高年と思われる年格好の男が、ひっそりと腰掛けていた。

 平日で、しかも昼になる少し前の時間帯であったためか、その男の居る辺りには人影も無く閑散としていたが、燦々さんさんと振り注ぐ太陽の光は公園に植え込まれた木々、ベンチに腰掛けている男にも分け隔てなく温かく包み込んでいた。

 ベンチの男は頭を左斜め下に向け、肩を落とし腕を腹に乗せるように組み、二時間ほど前から身動き一つもせずに腰掛けていた。

 寝ているように見えたが寝てはいなかった。虚ろな目で足元をじっと見つめ何か考えているようであった。

 服装はチャコールグレーの革ジャンバーに、黒色のコールテンのスラックスで、ジャンバーの毛皮の襟元からは薄いピンク系のカラーシャツを覗かせていた。足元を見ると黒色のカジュアルシューズを履いており、センスの良い身なりをしていた。

 髪は白髪で七三に分けており、顔は下を向いており横顔しか見えなかったが、鼻筋が通り端正な顔に思えた。頭髪の色から一見、欧米人とも思えたが肌の色から違うことが分かった。

 外見からは、最近、川べりの土手の脇に小屋を作り住み着き公園の辺りをふらついていると言われている浮浪者では無いと思えた。

 むしろその男が身に着けているブランド品の服装からは水準の高い生活をしているような雰囲気が醸し出されていたが、何故か表情に正気が無く、まるで生きることを諦めているような雰囲気が漂っていた。

 

 太陽が丁度サッカーコートのセンターラインに移動した時、近くの工場から昼休みの始まりの時間を知らせる、ゆっくりと鳴るチャイムが聞こえてきた。

 「ポンポンポンポー」「ポンポンポンポー」

 チャイムは何度か同じメロディーを繰り返し十秒ほど鳴っていた。

 目を閉じて聞いていると疲れた心を和まさせてくれる、とても心地よい音色とメロディーを持つチャイムであった。

 そのチャイムが丁度、鳴り終わった頃、男が腰掛けているベンチから少し離れた所にある、ドーム型のピンク色した公園の女性用トイレからライトブラウン色の長い髪の若い女が、左肩に掛けた真っ赤なショルダーバッグにハンカチーフをしまいながらゆっくりと歩き外に出て来た。

 女は外に出て五メートル程歩いた所で足を止め、ショルダーバッグからタバコを取り出してくわえるとライターで火を付け二、三度口から煙を吐き出すと、何かを捜しているかのように辺りをゆっくりと見渡していた。

 女の視線がベンチに座っている男の辺りに来た時、女の顔の動きが止まった。

 女は、タバコの吸い殻を携帯灰皿に入れバックに入れながら男をじっと見つめていたが、何を思ったのか、怪しげに微笑むと腰を振りながら男の座っているベンチに向かって歩いて行った。

 男のかたわらに来ると立ち止まり、暫く、男を見下ろすように眺めていたが、男の左脇に丁度一人分程の座るスペースが空いているのを確かめると、ベンチに静かに並ぶように腰を下ろした。

 男は身動き一つせず、じっと地面を見つめており、脇に座った女に気づいていないようであった。

 女は左肩に掛けてあるショルダーバッグのベルトを左手の親指で持ち上げるようにして掛け直すと、両手を自分の膝に乗せ、上半身を前屈みに曲げながら男の顔を覗き込むようにして見つめ、静かに声を掛けた。

 「ねえ!・・・おじさん・・・」

 「・・・・・」

 男は女の声が聞こえないのか、身動きせず、ただ地面をじっと見つめていた。

 女は、更に言った。

 「ねえ!・・・どうかしたの?・・・」

 「・・・・・」

 「何処か身体の具合でも悪いの?・・・」

 「・・・・・」

 女は男の肩に手を置き、軽く揺するようにして、声をかけた。

 「ねえ、おじさん!」

 男は、ようやく女の呼び掛けに反応し、いかにも煩わしそうに、ゆっくりと顔をあげた。その男の顔は鼻筋が通り、目が大きくて日本人離れした端正な顔をしていたが、顔色は青白く生気が無く、目は充血し毛細血管が浮き出していた。黒目は小刻みに動き、焦点の定まらない目でじっと女の顔を見つめていた。

女は、その男の表情を見て一瞬驚いた顔をしていたが、直ぐに、あどけなさの残った人懐っこい顔で「ニコッ」と笑った。

 男は、突然、目の前に現れ覗き込むようにして話かけてきた女の問に、答えるが煩わしく、口を縦に開き「うるさい」と口から出かかっていたが、その女の笑顔を見ると、亡くなった娘を思い出し、催眠術にでも掛けられたかのように一瞬、口が硬直し言葉にならなかった。

 暫くの間、二人は顔を見合わせているだけで、空白の時間が流れた。

 男は自分で思っていた行動と相反し、微かに微笑みをたたえると、ゆっくりと口が開き、聞き取りにくい低い声で途切れ途切れに答えた。

 「いや!・・・何でも無いんだよ」

 「ただ・・・僕はね・・・」

 「生きて行く目的も無くなってしまってね・・・」

 「これからどのようにして死のうかと考えていた所さ・・・」

 女は、突然、男が生きて行く目的が無くなったとか、死ぬとか言っている意味が良く分からず、ただ首を傾げていた。

 「おじさん! おじさんは何故死ぬことを考えているの?」

 「一体何があったの?・・・」

 「・・・・・」

 男は黙っており、女は少し苛立っているようで、男の肩に手を当てると揺するように押しながら話題を変え、聞いた。

 「ねえ!・・・おじさん、今日は月曜日よ・・・会社に行かないの?」

 男は「会社」と聞くと、急に驚いたような顔をして、叫ぶように言った。

 「えっ!・・・会社?・・・」

 そう言うと、空を見上げ、太陽の光に眉をひそめ暫く考えていた。


 「そうか、今日は月曜日で会社だったか・・・」

 男は後頭部に手を当て、呟くと、けだるそうに苦笑いをし、女の顔をうつろな目で見ながら低い声であったが、今度ははっきりと言った。

 「会社は・・・去年の暮に首になってしまってね・・・」

 「えっ! 会社、首になってしまったの?」

 「そうなんだよ」

 「それは、大変だねー」

 「仕方がないさ・・・」

 男は何か言いたそうな口調であったが、それ以上何も言わず、俯いていた。

 女は男の顔を覗き込むようにして見つめていたが、首を傾げながら聞いた。

 「おじさんは見かけない人だけど、何処に住んでいる人なの?」

 男は女の問に対して、ゆっくりと顔を上げるとベンチに腰掛けた身体を少し南西方向にずらしながら、上半身を右側に捻り、後方を振り向いた。

 そして、運動公園の北側の方向に見える高台の高級住宅街を指さして言った。

 「あの赤色の屋根の家が僕の家だよ」

 男の家は高級住宅街の中でも際立って洒落た洋風作りの大きな家であった。

 女は一瞬、男に分からないように顔を横に向け、何故か不気味に微笑むと、今度は首を傾げ不思議そうな顔をしていた。

 「えっ! 本当に、あの赤色の屋根の家がおじさんの家なの?」

 「ああ、そうだよ、何かおかしいかい」

 男の返事に、女は死ぬことを考えている男が、まさか、この付近でお金持ちと噂されている赤色の屋根の豪邸の主人であることが信じられなかった。

 「それじゃあ、おじさんはあの有名なABC工業の社長になると噂になっていた取締役開発本部長の平田裕一郎さんなの?」

 女は首を傾げながら疑いの眼差しで男を見つめながら聞いた。

 男は、見も知らない女の口から突然、自分の名前と役職を言われ、しかも社内での噂話まで知っているのに驚き、愕然とし、うなだれていた顔を起こすと我に返った。

「この女は何故、僕の事をこのように詳しく知っているのだろうか?」

 男は、不安と疑いの目で、この女に対して見つめ始めていた。そして、鋭い目で女を見つめながら、はっきりした言葉で問いただした。

 「貴方は何故、僕の事をそんなに詳しく知っているのかな?」

 女は不思議そうに首を傾げ、疑いの眼差しで睨みつけている男の目を見つめ返すと微笑みながら手の平で、そっと男の目を包んだ。

 「おじさん、そんな目で見つめないでよ。怖いわ!・・・」

 「私はね、以前。おじさんと同じ会社に勤めていると言った人と。たまたま、この公園に遊びに来た時、その人がおじさんの家を指してね、あの家の人はうちの会社の取締役開発本部長の平田裕一郎と言う偉い人の家で、何か凄い新製品を開発しており、成功したら社長になる人だと聞いた事があっただけよ。それに、この辺りの人は、皆、あの高台の赤色の屋根の大きな家の住人はお金持ちの平田さんと知っているわ。奥さんと娘さんはとても綺麗で素敵な人だと有名よ」

 平田は女の返答内容から特に疑うような所は無い思うと、一瞬ほっとした顔になっていたが、妻と娘の評判を聞くと、急に態度が変わり、おろおろとし落ち着きが無くなり身体を震わせていた。

 「た、た、確かに僕は平田裕一郎だ! しかし、僕は貴方の思っているような人間ではない。どうしようもない男なのだ・・・」

 平田はそこまで言うと、声を詰まらせた。目には涙が溜まっていた。

 「どうしてなの?・・・」

 女は平田の急変した態度に驚いていた。

 平田は深く息を吸い、ゆっくりと吐き出し、気持ちを落ち着かせると話した。

 「実は、娘と妻が苦しんでいる時に僕は何もしてやらず、ただ会社の仕事のみに没頭していた。そのため娘を二年前に、妻を一年半前に死なせてしまった・・・」

 平田はそう言うと、そっと目を瞑り、うつむきながら呟いた。

 「僕が二人を殺してしまったのだ!」

 「えっ! 平田さんが殺してしまったの?・・・」

 女は驚きのあまり、咄嗟に叫んでいた。

 「そうだ!・・・ 僕が殺したようなものだ。その報いにより、僕の手掛けていたビックプロジェクトは見事に失敗し、責任をとらされ、会社を退職することになり、五十五歳にして全てを失ってしまったのさ。もう、僕の人生はおしまいさ・・・」

 平田の声は震えていた。その震える声で更に話を続けた。

 「僕は全てを失い生きて行く目的も無くなり、死んで黄泉の世界で娘と妻に合いたいと思った。しかし、何もしてやれなかった自分が今さら会って何を話せば良いのかも分からず、会う資格がないと気づき、死ぬことも出来なくなってしまった」

 平田は話終えると、次々に押し寄せて来る悲しさと苦しみをじっと耐えていたが、耐えきれずに身体を震わし嗚咽していた。目に溜まった涙は溢れんばかりになっていた。その涙は大粒の滴くとなり滴り落ちると、堰を切ったように止めども無く流れ出し、頬を伝い乾いた地面に落ち滲みこみ、地面を点々と茶褐色に変えていた。


 女はこれが現実とはとても信じられなかった。大きな家に住み優雅な生活をしていて羨ましいと思っていた平田家が、まさかこの様な悲惨な状態になっているとは思っても見なかった。

 平田が涙を流し、身体を震わせ、嗚咽しているのをじっと見つめていた女の目にも涙が潤んでいた。

 「可哀そうに、平田さんは娘さんと奥さんがお亡くなりになってしまっていたんだ? 知らなかったわ」

女はそう言うと、平田の肩に手を乗せ、顔を覗き込むように見つめながら言った。

 「それじゃあ、平田さんは今一人ぼっちなんだ?」

 「・・・・・」

 「それで、寂しそうに一人でベンチに腰掛けていたんだ?」

 「・・・・・」

女は無言で俯いている平田の背中に手を回し、優しく摩りながら、悲しそうに微笑むとと、平田の耳元に顔を近づけ、ささやくように言った。

 「一人ぼっちになってしまった可哀そうな平田さん、友里が優しく慰めてあげようか?」

 平田は突然、如何いかがわしい女が言うような言葉を聞き、一瞬驚いていたが、何故かその言葉には温かみがあり、いやらしさは全く感じられなかった。

 むしろ、この女の声を聞いていると自分のすさんだ心が不思議と癒されて行くのを感じていた。もう何年もこのように心が癒される思いをしたことは無かった。平田はこの女が天使のように思えていた。

 平田は俯いていた顔を上げ女の目を見つめ、微笑むような顔をして答えた。

 「僕のような駄目な男にでも慰めてくれるんだ?・・・あなたは優しい娘なんだね?・・・名前は友里と言うんだ?・・・」

 平田は天使のような友里に出会えて嬉しかった。その反面、人を信じることが出来なくなってしまっていた自分の心の中では、また何か恐ろしい事が始まるのではないかと疑惑が膨らみ始め、この友里と言う女は何者で何処から来たのか聞かずにはいられなかった。

 「あ、あなたは突然、僕の前に現れたけど、僕はあなたの事は何一つ知らない。いったいあなたは誰で? 何処に住んでいるいるのかも知らない? 教えてほしい」

 「平田さん、友里に疑いを持っているのね?」

 平田は自分の心の中を読まれ一瞬焦ったが、冷静を装い静かに答えた。

 「そんな事無いよ、僕に優しくしてくれる、まるで天使のような不思議なあなたに興味をもったのさ」

 友里は平田の顔を横目でじっと見つめながら微笑んだ。

 「まあ! 嬉しいわ。友里はね、すぐそこの市営住宅に住んでいるのよ。名前は今井友里、家族は母親と九人の兄弟がいるの、私は長女で年齢は二十二歳よ、父はね私が十四歳の時に病気で死んでしまったの・・・」

 そこまで話すと友里は言葉を止めた。


 平田は何の隠し立てもなく、明るく素直にありのまま話す友里の姿に、心から感動していた。

 その時、ふと五年程前に亡き妻が、友里と思われる女の子の話をしていたのを思い出した。それは確か、近くの市営住宅に住んでいる、子供の大勢いる母子家庭で、生活保護だけでは食べて行けず、生活に困り、お金欲しさに未成年の娘が身体を売っていると言った話だった。

 その娘が、隣に座っている友里に違いないと思った。

 亡き妻から聞いた時はなんと不潔な娘だ、どんな顔をしているのか一度会って見たいものだと思っていた。

 その不潔と軽蔑していた娘が今、ここに居て僕の荒んだ心を癒してくれている。不思議な感じがすると共に、軽蔑していた自分が恥ずかしく感じていた。


 平田は頭の中で沸き起っている友里に対する複雑な気持ちと戸惑いが顔に現れ、寂しそうな曇った顔をしていた。

 友里はその顔を見つめ、何か戸惑っているような顔をしていたが、直ぐに平田の心を癒すかの如く、満面の笑顔を作り友里の手のひらを平田の手の上に乗せた。

 「平田さんが困っている時に、こんな事話すの私、嫌なんだけどなあー・・・」

 「いいよ、何でも話してごらん」

 平田は自分の心を癒してくれている天使のような友里に何故か、残り少ない自分の人生をかけて見ようかと内心思っていた。この娘なら本当に自分を救ってくれるかもしれないと自分勝手な期待を膨らませていたので、なんでも聞きたかった。


 「平田さん、お金持っている?」

 平田はそのぶしつけな言葉を聞き愕然とした。やはり、この娘は不潔な女で私からお金を奪い取るために近寄って来ただけなのか? 人を信じる事は出来ないのかと思った。

 「い、いくら欲しいのだ?」

 震える声で怒鳴るように聞くと、友里はそんな平田の心の中とは裏腹に明るい声で返してきた。

 「平田さん困っていて可哀そうだからなあー・・・」

 「私って、何故か可哀そうな人を見ると直ぐに助けてあげたくなってしまうの、いつもそれで損ばかりしているのよ。でも平田さんならいいわ、失業していてお金ないんでしょ? 五千円でいいよ。平田さんのこと、いっぱい優しくしてやって苦しみを取ってあげるね」

 平田は、法外な金額を提示するのかと思っていたが、余りにも低い金額に驚き、金額が間違っているのではないかと聞き返した。

 「五千円?」

 「そうよ! 五千円、無いの?」

 そう言うと、可愛いらしく微笑んでいた。

 平田は涙が出た。無性に友里を抱き締めたくなった。何と優しくて、可愛らしい言葉であろう。十人の家族を養うために自分の身体を張って稼がねばならないのに、他人の私の事を心配してくれている。それなのに私は友里に疑いを抱いていた。浅はかな自分に憤りを感じていた。

 「平田さん、何で泣いているの?」

 友里は身体を平田に預けるようにして寄りかかり、親指の腹で平田の頬に伝わってきた涙を拭いた。友里の手の温もりが平田の頬に心地よく伝わっていった。

 「友里があまりにも優しく接してくれるので嬉しくて、涙がでてしまったよ」

 平田は何故か、この娘の前では素直になり、普段では恥ずかしくて話せないような事でも、不思議に話せ、甘えることができるような気がした。

 「それじゃあ、お金くれるの?」

 「ああ、あげるよ」

 「ああ、良かった。私、良く分からないけれど、平田さんの側にいて優しくしてあげたかったの、でもね、平田さんにお金がなかったら家にお金持って帰れないもの、ほかの人の所に行かなければならなかったのよ」

 友里はそう言って平田を見て、白い綺麗な歯を見せて笑った。

 自分の娘が自殺してしまってから笑ったことの無かった平田も友里を見ているだけで自然に微笑んでいた。

 平田は無性に嬉しかった。しかし、まだ友里に関してこれだけはどうしても知りたいと思っている事があり、心の底から喜べる状態ではなかった。

 それは何故、友里が、この運動公園にいたのかであった。ただの偶然の出会いとは思われなかったからであった。

 もう、どのようになっても良い自分なのだから詮索する必要はないと思う気持ちもあったが、性格からくるものなのか、自分でも良くわからなかったが、聞かなければ気持ちが収まらなかった。

 その反面、自分が友里にまだ疑問を持っていることを感じさせ、怒らせて友里を失いたくなかった。考えた末に、平田は自分の持っている気持ちを気づかれないように、友里の顔色を伺いながら微笑み、慎重に尋ねた。

 「友里は可哀そうな僕を助けるために、この運動公園に天使となって舞い降りて来てくれたのかな?」


 「アッハッハッハ!」

 友里は突然、右手をお腹に当て笑い出した。

 「まるで何かの本に書かれている物語みたいだわね・・・」

 「そうよ! 私はね、可哀そうな平田さんを助けるために天使になって空から舞い降りてきたのですよー・・・」

 平田は友里の天真爛漫な笑いを見て、やはりこの娘は悪い女ではない、本当に天使が舞い降りて来てくれたのだと思った。

 友里は急に顔を赤く染めると、慌てて早い口調で言い直した。

 「うそ、うそよ、私はこの公園のトイレを借りに来ただけよ。そうしたら平田さんがいたのよ」

 そして上目ずかいに平田の顔を恥ずかしそうに見ていた。

 「じっはね・・・ 私の家はね・・・ 大家族だから汲み取り式のトイレが直ぐに一杯になってしまうの、だから私はいつも母に言われて公園のトイレを使っているの。こんな汚い話夢が無いわね」

 平田は恥ずかしそうな顔で話す友里の可愛らしい姿を見て微笑んでいた。

 友里に対するわだかまりが無くなると、いつの間にか胸のつかえが取れ、この二年間味わったことのない晴れ晴れとした気持ちになっていた。

 すると急に空腹感が強く感じてきた。

 



















 





 








 

 
















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