26《チームB》――JST14時28分
アエロフロートのエアバスA320から降りていく拉致被害者たちを見守る根本がつぶやく。
「やっぱりウラジオだったな……」
約3時間前、骨董品のアントノフ24でウラン・ウデ空港に着陸すると、そこにはすでにエアバスのチャーター機が待機していた。乗客が移動するとエアバスはすぐに飛び立ったが、機体は根本の予測よりはるかに早く降下を始めたのだ――。
そこが、日本であるはずがなかった。
雲を割って現れた街の風景は、何度か訪れたことがあるロシア沿岸部のものだ。小さく見え始めた家々の〝匂い〟が日本とは明らかに違う。半島の根元に位置する空港を見る前から、そこがウラジオストクであることが分かった。
滑走路の端に降り立ったエアバスに横付けされたタラップから、拉致被害者たちが地上に降りていく。その行列の先には、すでに2台の大型バスが待機していた。エアバス搭乗中に食事を取り、若干の酒も入った〝乗客〟たちは緊張もほぐれ、晴れ晴れとした表情で和気あいあいと話しながらバスに乗り込んでいく。
機内が空になると、根本が傍らの田中恵子たちに言った。
「本当に、彼らを取り返したんだな……」
その言葉には、深い感慨があった。
根本は長年、自衛隊の中で拉致問題に取り組んできた。決して公になることはないが、特殊作戦群として可能な実力行使のプランも何十となく組み上げてきた。そのいずれかが実行に移される時が来れば、必ず先頭に立つのだと決意していた。
その強い意思が、こうして実を結んだのだ。
恵子が応える。
「それだけじゃないよ。私たちの親父とあなたの爺さんがやり残した仕事を、ようやく仕上げられたんだ」
根本は恵子を見つめる。
「どういうことだ?」
その問いに答えたのは、佐藤だった。その目は、真剣だ。ゆっくりと、しかし堰を切ったように、饒舌に語り始める。
「親父たちは、終戦直後の満州に取り残された何万という日本人を救出した。だが、あの時救えなかった命は、もっと多い。彼らは、ロシアや北朝鮮に奴隷にされ、女は犯され、子供まで酷使され、無念のうちに殺されていった……。親父は、ずっと悔やんでいた。あの時、なぜもっとたくさんの日本人を救えなかったのか……ってな。だが、それは過去の出来事ではなかった。戦後、北朝鮮は、いつの間にか日本国内に毛細血管のような工作組織を張り巡らせて、国民を拉致していった。その事実が分かったときは、日本はもう戦う術を持っていなかった。日本人が魂を失ったからだ。たかだか一度、戦争に負けただけじゃないか。国民の多くが死んでいったとはいえ、そんな経験は世界中の国が持っている。それでも皆、胸を張って立ち上がっている。なのに日本は、地べたに額を擦り付けたまま何も言えずにいた……。竹島を見ろ。韓国は自衛隊創設前の隙を突いて、一方的に軍事攻撃仕掛けてきた。丸腰の漁民が4000人近くも拿捕抑留され、数10人が韓国軍に殺された。漁民を人質に取られた日本は、解放の交換条件として刑務所に収監されていた在日朝鮮人犯罪者を釈放し、永住権まで認めさせられた。殴り返せる力を持っていなければ、国土も国民も奪われていくのがこの世界なんだ。親父は、死ぬまでそれに腹を立てていた。その上に、今度は北朝鮮の拉致だ……。奴らは、日本が抵抗しないことを知っている。いわく、憲法九条は絶対だ……武器を持たなければ平和が保てる……日本は悪い国だから、いつまでも謝り続けなけなければいけない……。どれもこれも、世界の非常識だ。『信じる者は救われる』っていうイカサマ宗教と、何ひとつ変わらない。こんな馬鹿げた〝妄想〟を奉っている日本人を、世界はあざ笑っている。幼稚園児が夢中になる『アンパンマン』でさえ、現実の世界をもっと冷静に捉えている。悪漢が横暴を働けば、腕力で撃退する。力が足りなければ、仲間と組んで制裁を加える。襲われているのが他人でも、自分の血を流す覚悟を持って秩序を乱す者と戦う。集団的自衛権そのものじゃないか。それこそが、〝愛と勇気〟だ。日本の学校じゃ、いじめられている仲間がいたら、自分に火の粉が飛ばないように見ないふりをしろと教え込んでいるのか? だから日本は、中国の漁民が目の前で赤サンゴを根こそぎ略奪しても止められない。なぜ石垣の漁師は尖閣で自分の仕事をすることができない? 日本の国境を守っているのは、最前線で働いている彼らだ。なぜ日本には、国民を守ることが許されない? だからこそ北朝鮮は、平然と拉致犯罪を行って〝人質〟をさらって行けたんだ。親父は、〝人質〟を取り返せるのなら自分の命を捨てもいいとまで言っていた。日本人の目を覚ますことができるなら、死んでも構わないと思っていた。あんたの爺さんも同じことだろうな。台湾を中共軍から救ったほどの豪傑だ。生きていれば、北にさらわれた同胞を見捨てるはずはない。遅すぎはしたが、その願いもようやく叶えられたのさ」
根本には、佐藤が不意に心の内をさらけ出したことが意外だった。自分が〝仲間〟として認められたのだとも思えた。
そして、佐藤の言葉の重さに、うなずく。それは、歴史の重さだ。誇りの重さだ。
「おそらく、そうなんだろう。私には、爺さんの思い出はほとんどないがね……」
恵子が微笑む。
「ご先祖様の思い出なんて、なくたっていい。あたしの親父は、あたしの血の中にいる。あんたの爺さんは、あんたの中にいる。だから、あたしたちにはやり遂げなければならない使命が与えられた。だから、こうしてこの場所に立っている。違うかい?」
根本が笑う。
「そうだな」
そして彼らは、タラップを降り始めた。
待ち構えていた空港バスに乗り込む。と、そこにはスーツ姿の一団と、握手を求める男の姿があった。
「根本一等陸佐、おめでとう。そして、ありがとう。君たちのおかげで我々はようやく拉致された同胞を取り返すことができた」
バスの中で待っていたのは、拉致問題対策室のメンバーと日本の総理大臣だった。
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