22《チームB》――JST10時35分

〝佐藤〟がアイフォーンのGPSマップを確認しながら言った。

「よし、国境を越えた。まずは一安心だ」

 周囲には、古びたターボプロップエンジンの騒音が満ちている。機体の振動は大きいが、乗客たちはそれにも慣れ始めている。佐藤の言葉を聞きつけた乗客が、口伝えで〝危機〟を脱したことを知らせていく。安堵のため息が広がっていった。

 同様に緊張を解いた根本が〝田中恵子〟に尋ねた。

「モンゴルを離れたんだから、もう教えてくれてもいいだろう? あんたはなぜ、大森にジョンウンの着陸地を教えたんだ? 本当に小野田がスパイだと決めつけていいのか? 大森が情報の漏えい源ではないという確信があるのか?」

 恵子が笑う。

「どっちがスパイか確証が持てないから、教えたのさ。大森は、目的地が新潟空港だと思ってる。あんたが見てないところで、小野田には小牧基地が目的地だと教えてやった。日本に潜伏した北の工作員は、輸送機の着陸を必死に阻止しようとする。ジョンウンに生きていられちゃ、絶対にまずいからね。おそらく、海岸から対空ロケットで攻撃してくるだろう。奴ら、密輸のルートを握ってるからロシア製の兵器はたんまり隠してる。どっちの空港も海岸沿いだから、攻撃できる場所は多い。漁船からの攻撃も可能だ。で、当然周辺で工作組織の動きが活発になる。網を張っておけば、尻尾も掴みやすい。国内の工作員も炙り出せるし、どっちの空港が襲われるかで、スパイの正体が暴けるわけさ」

 根本がぽっかりと口を半開きにする。

 佐藤がそれを見て言った。

「この程度の仕掛けで驚くか? 特殊作戦群も噂ほどじゃないね」

 根本は実は、陸上自衛隊の特殊部隊、特殊作戦群――通称〝S〟で心理戦を指揮していたのだ。

 根本がつぶやく。

「じゃあ、ジョンウンはどこに着くんだ……?」

 恵子が肩をすくめる。

「そこが、プランZの〝キモ〟なんだよ。作戦を完成させるには、そこにきちんとジョンウンを送り届けないとならないんだ」

「どういうことだ……?」

 恵子は、子供に語りかけるように説明した。

「クーデター軍は、徳山基地ではジョンウンを殺そうとしなかった。基地から追い出そうとしただけだ。ただし、離陸直前に、日本の空港で爆発する爆弾を仕掛けた。その場でジョンウンを殺せるだけの兵力を持っていたのに、そうはしなかった。どうしてだ? ジョンウンには、日本国内で、しかも自衛隊の〝不手際〟で死んで欲しかったからだ。日本に死体があることを、世界中がはっきりと確認できるようにしたかったんだ。そうなれば日本を非難してお得意の賠償金もせしめることができるし、国際社会が認めやすい形で政権を奪取して堂々と中国と一体化することができる」

 佐藤がうなずく。

「だが、爆弾はうまく外すことができた。奴らの最初の作戦は失敗だ。で、次善の策を打たなければならなくなった。爆弾が無力化されたと知ったクーデター側は、海外の記者の目の前で影武者を殺すことで〝ジョンウンは死んだ〟と思わせるしかなかったのさ」

 根本が言った。

「しかし、爆発物の除去に成功したことを知らなければ、反乱軍はそのまま――」そして不意に、あっと声を上げた。「だから、大森たちにわざと情報を漏らしたのか? ジョンウンが生きていることを、北朝鮮に教えるために?」

 恵子がニヤリと笑う。

「その通り。どっちがスパイかは分からないけど、こっそり携帯で知らせたんだろうね。こっちの狙いにまんまと嵌ってくれたってことさ。奴らをこっちの罠に引き込むには、必要な一手だったんだ」

「罠……?」

「そう、罠だ。逃げてるだけじゃ、あたしたちが加わる意味がない。だけど、罠の中身はまだ話せない。まあ、もうしばらくすれば奴らは出口を塞がれる。それまで待ちな」

「じゃあ、全部計算した上での行動だったんだな?」

「もちろん。爆弾には通信機能がないようだったから、反乱軍は日本に着く前に外されたことは分からなかっただろう。リアルタイムで位置情報を送る機能はなくても、爆発したことは分かる仕掛けを組み込んだ可能性はあるけどね。でも、確信は持てない。確信が持てない状況で突っ走れば、こっちが足をすくわれかねない。だから、念を入れて教えてやったのさ」

「あえて、北側に情報をリークしたというのか……」根元の口調が詰問調に変わる。「だが、そんな危なっかしい策略をNSCが了解したのか⁉」

 根本には、ただでさえ冒険的な謀略工作をさらに危険にしかねない方向転換を、国家が承認するとは思えない。恵子たちの勝手な判断で事が進められているなら、止めさせる必要がある。

 しかし恵子は動じない。

「するわけないだろう? 今まで北に手玉に取られるだけの日本だったんだから」

「独断で計画を捻じ曲げたのか⁉」

「もちろん、独断だよ。誰かが決断しなければ、こんな大仕事には挑めない。だが、決断したのはあたしじゃない」

「じゃあ、誰が⁉」

「無論、あんたの上司だ。自衛隊の最高指揮官――つまり総理だよ。他に、誰がいるっていうんだ?」

 根本は息を呑んだ。

「まさか……」

「だよね。あたしだって、ゴーサインが出せる胆力があるとは思っちゃいなかった。無論仕事だから、下準備はきちんと済ませたがね。総理は本気で日本を変えようと願っている。だから官房長官と二人で、あたしたちの話を真剣に聞いて、理解してくれた。どれだけ危険な計画かも、きっちり飲み込んでる。でなければ、プランZは立案すらできなかっただろうね。無論、Zは最後の切り札だ。他のプランで事態が収まればそれに越したことはない。Zを発動するかどうかは、あたしの判断に任されていたんだ。発動した以上、その後の対処法は現場を仕切るあたしたちに任されている」

 確かに、総理はシマウマ計画の開始を指示した。少なくとも総理だけは、プランZが目指す最終地点を知っていたのだ。北朝鮮に罠をかけるなどという計画が失敗すれば、日本中――いや、世界中から轟々たる非難を浴び、全てを失う。それを覚悟した上での決断だ。しかも、官房長官以外には事実を伝えられなかったという。

 それはまさに、国のトップに立つ者の孤独だ。どれほどの覚悟と精神力が必要とされるものか、根本には想像もつかない。

 根本は、つぶやいた。

「つまりあんたたちは……その計画の実現のために、クーデター派の手でジョンウンの影武者を殺させたかったわけか……?」

「避けられるものなら避けたかったが、中国側の手強さは思い知ったろう? 情報漏れもどこにあるのか、何ヶ所あるのかも確定できない。輸送機内の自衛隊員にだって、スパイが潜り込んでいるかもしれないんだ。だからあえてリークして、積極的に事態を進めさせた。北朝鮮にとっては次善の策でしかないが、ジョンウンを日本で殺すことが難しくなれば死んだことにしてさっさと体制を固めたいだろう。ジョンウンが日本にいるうちなら、クーデターも容易だろうからね。生きているジョンウンは、その後で始末すればいい――ってことだ。今のところ、北はこっちが誘導した通りに動いてくれている」

「あんたがたが北朝鮮を操っているというのか……? だが、なぜそんな無謀な策略を弄する……?」

 恵子が真剣な目で根本を見つめる。

「むろん、大中華帝国を復活させようという中国のふざけた妄想を阻むためさ。馬鹿げた考えではあっても、奴らは南シナ海の岩礁を埋めててて軍事基地を作り、現実に推進している。南シナ海が抑えられれば、そこは中華製核ミサイル原潜の巣にされる。尖閣を奪われて基地化されれば、米軍も後退せざるを得ない。沖縄も台湾もあっという間に奪取される。もはや拉致被害者を取り戻せただけで日本が抱えている問題が解決するわけじゃないんだ。今や、東北アジアは火薬庫だ。韓国は経済的にも政治的にも李朝時代に逆戻りしてレッドチーム入りで、北の核にビビって米国にすり寄ろうとしても誰も奴らを信用しない。中国政府に対立していたジョンウンを殺して北まで勢力下に収めれば、中共は朝鮮半島を丸ごと手に入れることになる。領土的な魅力は乏しいだろうが、独立国家の体裁を保ったまま影からコントロールすれば戦略的に使い勝手がいい。世界中が〝跳ね上がり国家〟と見ている北朝鮮を操れば、核で日本やアメリカを恫喝することができる。中国は調停役の仮面をかぶって交渉力を高められる。政治的にはこれほど魅力的な〝駒〟はない。朝鮮半島の地政学的な地位はかつてほど高くはないが、だからといって中国にくれてやるわけにはいかない」

「敵は、中国か……」

「当然だ。だから、情報を漏らした。〝輸送機が爆破されることはない〟と北朝鮮に教えれば、必ず次の手を打ってくるからね。その手を分析すれば奴らの真の狙いもはっきりするし、対応策も立てられる。小野田か大森か、どちらかが必ず中国側に報告するはずだからね」

「でも、二人ともスパイじゃなかったら?」

「すでに結果は出たじゃないか。北に動きがなければ、プランZまで発動する必要はなかった。だが、影武者は暗殺された。どちらかがスパイだった可能性がとてつもなく高い。そうでなくても、情報はどこからか確実に漏れている。予測した通りだよ。クーデター側はこの〝新情報〟によって、ジョンウンが日本にいることを隠さなけりゃならない立場に追い込まれた。死体を回収されては、平壌で殺されたのが偽物だとバレるからね。だから必死に海上で撃墜しようとしてくる。北の軍人が機内で発砲したのは偶然かもしれないが、まだ内部から妨害される可能性もある。何より、手術を成功させることがこの作戦をパーフェクトに終わらせる絶対条件だ。ジョンウンが生きていなけりゃ、中国の野望を阻めない。まだ、気は緩められないんだ」

 根本がうめく。

「パーフェクトって……拉致被害者はこうして救い出せた。それだけでも奇跡的だっていうのに……」

 佐藤が真顔で言った。

「このゲームのラスボスは、中国共産党だ。原因は徹底的に取り除かなければ、本当の解決にはならない。しかも奴らをここまで増長させたのは日本だ。日本が円高対策を怠っていた間に、中国は資本も技術も生産基盤も奪って肥え太っていった。それは中国の策略であり、アメリカの企みでもあった。だが、日本国民をデフレで困窮させて何千人もの自殺者を増やしながら、そんな状況に目を塞いでいたのは日本人自身だ。そうやって日本は、悪辣な中共を肥え太らせてしまった。だから、日本が責任を取らなくちゃならない。今こそ、反撃しなければならない。中共のこれ以上の膨張は封じる。親父たちがやり残した仕事を、私たちが引き継ぐんだ」

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