20《首相官邸》――JST10時28分
無線封鎖を破って送られてきた緊急連絡を、統合幕僚長が受けた。表情を強張らせて報告する。
「たった今、キム・ジョンウンの緊急手術が開始されたということです」
冷戦沈着と評される官房長官の表情にも緊張が走る。
「手術は着陸後の予定では⁉ まだ日本海上空なのだろう⁉」
「機内で発砲が起き、病状が急変したそうです」
総理が腰を浮かせる。
「発砲⁉ ジョンウンは無事なのか⁉」
「撃たれてはいません。重度の急性ストレスが発作の引き金になったようです。ただ、随伴者の中将が死亡したそうです。撃ったのは中将の部下だということです」
官房長官は一瞬で落ち着きを取り戻していた。
「ということは、一般的な心臓手術だと考えていいんだね?」
「救急車で運ばれてきたような患者と同じだと考えていいでしょう。血管からの出血はありません。冠動脈が詰まったということです。ただ……」
「ただ、何だね?」
「手術の環境は大病院と同様だとはいえません。通常なら、揺れる輸送機の中で行うことなど不可能な手術です。医師の技量と経験は充分ですが、設備的に万全とは言い難いかと……」
「それでも手術を断行したんだね?」
「緊急性を重視した医師の判断です」
「その医師は、輸送機用の手術室を開発した本人なのだろう?」
「その通りです。自衛隊の医療器具開発に協力していただいています」
総理が言った。
「つまり、機材にも精通していて、技量も確かなんだね?」
「はい」
総理がうなずく。
「ならば、これは純粋に医学的な問題だな。医師の判断に賭けよう。北と中国は手を結んで大技を仕掛けてきた。このままなら、朝鮮半島は全て中国の勢力下に陥るかもしれない。東アジアの勢力図は激変する。それを押し返すには、ジョンウンにはどうしても生きていてもらわなくてはならない。だが、我々にはもはや打てる手段はない。その医師に全てを委ねるしかない……」
と、官房長官の電話に連絡が入った。筆頭秘書官からだ。
「何かあったか?」
緊迫した状況にあることを知っている秘書官が連絡すべきだと判断したのは、重大な案件が生じたことを意味する。
『記者たちが抑えきれなくなりました。北朝鮮の突然の政変との関連を疑っています。放置しておけば、無用な憶測や政権批判が噴出するでしょう』
NSCのメンバーは皆、日本の主要メディア――特にテレビと一部新聞は〝左翼〟に偏向していると疑っている。彼らに何度も足をすくわれた経験がある者ばかりなのだ。どんな些細な事柄であれ、国際的な評価が高まっている現政権を批判できる材料なら、マスコミは絶対に見逃さない。NSCが北朝鮮のクーデターに関わる秘密会合を開いていると知れば、喰い付かないはずがないと思えた。
未だ状況は混沌としている。拉致被害者の奪還さえ、完全に妨害を排除できたとは言い切れない。北朝鮮との関係に対しては、方向性すら定まっていない。キム・ジョンウンの手術が無事に終われるかどうかによって、結果は180度変わる。
東アジアは今、歴史の分岐点にいるのだ。
あと数時間――この山場さえ乗り切れれば方向は固まる。それまでは、マスコミの〝偏った正義感〟によって事態を撹乱させることは許せない。
官房長官は、そう判断した。
「今日の夕方、定例記者会見で全てを明らかにする。事態がどう展開するにせよ、その頃までには結果が出ているはずだ。その条件で、マスコミ各社には報道の自粛を申し入れる。私が直接各社の責任者に話をするから、連絡を取ってほしい。すぐにそちらに行く」
『ですが、報道規制だと騒がれるのでは……?』
「〝北朝鮮に誘拐された日本人〟の生命に関わる案件だ。やむを得ないだろう。そこまでは明かして構わない。とにかく、記者たちの暴走を止めるんだ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます