19《チームA》――JST10時32分
機体後部の自衛官は、北朝鮮の軍人たちに制圧されていた。自衛官やNPOの後藤、そして通訳のニーナが椅子に座らされ、北朝鮮兵の一人が握ったサブマシンガンで狙われている。ヘッケラー&コッホのMP―3だ。ジョンウンの荷物に隠して持ち込まれたとしか考えられない。〝賓客〟の荷物を疑いの目で見ることはできなかったのだ。それでも、見逃したのは隊員の許しがたい怠慢だ。
だが、それが起きてしまった。実戦部隊とは言い難い隊員たちに完璧を求めるのは酷だともいえた。
先頭に立った北朝鮮の〝中将〟が、大越の顔面に拳銃を向けている。中将は頬を引きつらせて何事かを叫んだ。韓国語だ。
ハートユニットの戸口でドアを塞ぐようにして立つ大越は、軽く両手を挙げた。武器がないことを示すと同時に、銃を撃たれてもユニットの中に弾丸が飛び込まないよう、自分の体を楯にしている。
中将の言葉に韓国語で答える。
長い状況説明だ。
大越の話が進むにつれ、中将の表情がさらに困惑していく。
ニーナが他の隊員たちに通訳した。
「中将は、空港で何が起こったのか、この先どうするつもりなのか、もっと詳しく教えろと言いました。大越さんが事態を説明しましたが――」
大越が引き取る。
「彼は、ジョンウンが危害を加えられるのではないかと怯えている。空軍基地がクーデター勢力に襲われたことは理解しているが、最高指導者が暗殺されたという偽情報が流されたことはまだ知らなかった。国全体が中共の陰謀によって大きく舵を切ったことも疑っている。おそらく、すぐに国へは戻れないことも理解できていないだろう――」
そして、さらに韓国語で何かを説明する。
中将がうなずくと、大越は背後でハートユニットの壁に隠れていた橘春香に言った。
「衛星電話を貸して欲しい」
「どうするの?」
「彼に、日本に潜伏させている工作員と連絡を取らせます。日本でなら、すでにキム・ヨジョンが政権交代を宣言したことをニュースで見ているはずですから。ジョンナムの動きから中国の陰謀でクーデターが進んでいることも納得できるでしょう」
「なるほどね」
春香はアンテナのコードを外して、背後から大越に電話を手渡す。
大越は受け取った電話を中将に渡して、使い方を簡単に説明した。そして、背後の春香にささやく。
「最も信頼できる工作員を呼び出せと言っておきました。おそらく相手は、朝鮮総連の誰かでしょう。総連なら、まだジョンウンのグリップが効いているはずですから」
中将が銃を降ろし、電話をかける。番号は、暗記していたようだ。相手はすぐに出たらしく、怒鳴るような朝鮮語の慌ただしい会話が繰り広げられた。数分後に、中将が電話を切ってがっくりと肩を落とす。
「将軍様の影武者が殺されたのは確かだ……BBCもCNNも暗殺された瞬間の映像を何度も放映している……日本のテレビでも流れ始めたそうだ……」
大越が問う。
「どういうことなのか、あなたにはお分かりになりますね?」
二人の会話の重要な部分を、ニーナが皆に通訳していく。
中将がうなずく。
「将軍様の反対勢力は、中国共産党……特に瀋陽の軍に操られている。将軍様は、軍に巣食った反対勢力を一掃するためにその先兵であったチャン・ソンテク一派を懲らしめたのだが……中国はそれを根に持って、将軍様への公の支援を打ち切った。だが、陰では通商ルートをより広げ、それが軍を潤していたのだ。中国でさえ、将軍様のご威光には逆らえなかったわけだ。軍も、これまでは将軍様に逆らうような不埒な真似はしなかったのだが……将軍様のご病気によって、全ては変わってしまった。私の個人的な意見だが、ヨジョンが政治的な実権を握ろうと企んだに違いない。実の妹でありながら、将軍様に弓を弾くとは……。ご病気が重篤であることを知り、中国と組んで我が国を簒奪しようとしたのだ。事実、ヨジョンは政権の実権を握ったと宣言したし、中共に魂を売ったジョンナムが国に戻ろうと姿を現したという。全ては、将軍様のご病気を知って企まれたことだ。将軍様は、帰る国を奪われてしまったのだ……」
大越が言った。
「あなたはどうすんだ? 国は、反将軍勢力に固められているんじゃないのか?」
中将が悔しさをにじませる。
「そのようだ。なぜこんな大規模な陰謀に気付けなかったのか……何もかも、中国の悪党どものせいだ……私が、将軍様の治療計画ばかりに気を奪われていなければ……」
大越が断言する。
「あなたなら分かるはずだ。この飛行機は、この先〝あなたの国〟から狙われる。ここには生きた将軍様がいる。その将軍様が、日本に姿を現せば、彼らの政権移譲計画――いや、クーデターが瓦解する。政権の正統性が失われる。彼らにとって、この機は邪魔者でしかない。だから、必ず攻撃してくる。日本に着く前に、将軍様とともに撃墜しようとしてくる。分かるな?」
中将は、しばらくぼんやりと大越を見つめていた。そして、大越が言わんとすることをゆっくりと理解していく。
「そのとおりだな……私たちは、邪魔者だ……奴らは、将軍様を殺そうとする……」中将が大越に電話と拳銃を差し出す。「投降しよう……」
と、中将の背後で隊員にサブマシンガンを向けていた兵が突然叫んだ。
「国に戻れ!」
中将が振り向く。
「戻っても我々の居場所はない! 将軍様とともに処刑されるだけだ! 我が国は、すでに中共の手に落ちた! 我々にできることは、将軍様を守りきってやつらの邪悪な企みを粉砕することだけだ! 今は日本に身を寄せても、反撃の機会を伺うべきだ!」
兵士が中将の胸に銃を向ける。
「日本と組めというのか⁉ 日本人など、信用できるものか! 俺は死にたくない! ジョンウンとなんかと一緒に死ぬのは御免だ! ここでジョンウンを殺せばいい! そして国に戻れば、英雄になれる!」
兵士の指が絞られるのを見た大越が、声を張り上げる。
「発砲するぞ! ジョンウンを守れ!」
その声は、銃声でかき消された。中将の胸に数発の銃弾が突き刺さり、その体をくるりと回転させる。周囲に鮮血が飛び散った。
同時に大越は、ハートユニットのドアを閉じていた。金属製のドアに銃弾が当たり、激しく揺らす。
銃声はすぐに止んだ。再びドアを開けると、兵士は自衛官たちに取り押さえられていた。後藤は、目を背けて震えている。後藤の前に、彼を守るようにニーナが立ちはだかっていた。
中将の下から、血溜まりが広がっていく。心臓を貫通したようだ。すでに、ピクリとも動いていない。
大越は命じた。
「そいつを拘束しろ。中将の容態を確認! 死んでいるなら、その兵士と一緒に最後尾に――」
大越の姿を見た難波が叫ぶ。
「隊長! 腕が!」
大越はうなずいた。
「止血を頼む」
銃弾が、右の二の腕を貫通していた。
ユニットの中では、春香が衛星電話で〝母親〟に状況を報告していた。
と、背後で真鍋が叫んだ。
「まずいぞ! 患者が危ない!」
ジョンウンは、意識を回復しつつあった。そして、部下たちが自分の命をめぐって争い、殺し合いを繰り広げたことを目撃した。それが、忌まわしい記憶を呼び覚ました。
ジョンウンは、党委員長の地位を得てから何度も命を狙われてきたのだ。だが〝暗殺者〟が彼の目前まで迫ったことは、たった一度しかない。部下を引き連れて市内を練り歩きながら視察を行っていた際に、重鎮の一人がいきなり銃を向けてきた。それを防いだのは、警察車両で随伴していた女性交通警官だった。
彼女はとっさの判断で銃を向けた重鎮に車で突っ込んだ。そばにいた数人の党職員は巻き込まれて死傷したが、ジョンウン自身に被害はなかった。後に女性警官はジョンウンから直々に勲章を授けられ、少しでも疑いのある側近は粛清されていった。
それ以後ジョンウンは、激しい疑心暗鬼と凄まじいストレスに晒され続けた。心機能が急速に悪化していった要因には、そのストレスが重なったことがあったのだ。
そして今、最も信頼していた部下が殺し合った。明らかに自分に銃を向けた。その事実を思い知ったとき、ストレスが限界を超えた――。
大越は振り返った。
手術台の上のジョンウンの巨体が痙攣していた。すでに、顔色が真っ青になっている。
真鍋が心臓マッサージをしながら叫ぶ。
「難波さん、助手を頼む! プラークが破れたのかもしれない。緊急手術に入る!」
大越は難波に命じた。
「私の治療は他の者にやらせる。すぐに真鍋医師を助けろ!」
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