18《チームB》――JST10時31分
貧相な草しか生えていない広大な土地――レンガのように硬く締まった土壌の見晴らしのいい場所に、100人以上の人々が立ち尽くしていた。周囲は、小高い山々に囲まれている。盆地の底の、平たい一画だ。ここに着くまでのバスの車窓からは、近くの鉄道が見て取れた。
建物といえば、古びて廃棄された土壁のガソリンスタンドだけだ。チンギスハーン国際空港へ遠回りして向かう途中、幹線道路を外れて5分ほど走った時に、ほぼ全員がバスから降ろされた。ガソリンスタンドにトイレがあることがかえって不思議にさえ思えるほどの、辺鄙な場所だ。
なぜここに立ち尽くさなければならいのか――その理由を、皆がようやく理解した。
2機の航空機が低空から近づいてきたのだ。最初は小さい点だったものが見る見る大きくなり、さらに高度と速度を落としてくる。明らかに着陸しようとしている。
身を寄せ合って小型の旅客機を見つめる拉致被害者たちの集団の先頭に、根本と田中恵子が立っていた。
着陸態勢に入った機種を識別した根本が感嘆の声を上げる。
「アントノフ24! とんでもない骨董品を持ち出してきたものだな! こんな荒地に着陸して大丈夫なのか⁉」
恵子が笑う。
「密輸業者、らしいね。この場所にはしょっちゅう着陸しているそうだ。ほら、地面にタイヤの跡が残ってるだろう? 小回りが効くんで、重宝してるってことだ」
根本もそれには気づいていた。
「しかし、An24とはね……下手をすればYS11以上の老体だ。まだ現役で飛んでいたんだな……」
「高価な荷物や大事な人間を運ぶこともある。整備はきっちりやってるそうだし、パイロットもロシア軍で経験を積んだ強者だ。座席数は50ちょっと。2機あればなんとか全員詰め込めるはずさ」
アントノフ24のターボプロップエンジンの轟音がさらに大きくなる。最初の一機のタイヤが地面に着き、砂埃が舞い上がった。
根本が言った。
「そろそろ、次の目的地を教えてもらえないか? あんなスクラップで長時間飛ぶのは勘弁してほしい。まだ命は惜しいからね」
「そういうわけにはいかない。極秘の作戦だからね」
「まだ私を信用できないのか? あんたの親父さんとうちの爺さんとは深い付き合いがあったのに?」
「あんたは信用している。でなければ、こんな作戦に引きずり込んだりはしない。だが、飛び立つまでは用心しないとね。今、ここをモンゴル軍に襲われたら、中国軍に引き渡されてとんでもない拷問を受けることになる。下手なことを喋れば、受け入れ側に迷惑がかかる。大金を握らせたとはいえ、向こうもリスクを冒しているんだ。仁義は通さないとね。知らない情報は漏らせないから」
「私が喋るとでも?」
「あんたがどこまで耐えられるか、調べたことはないからね。ちなみにあたしは、何度も拷問に近い目にあったことがあるが、口を割ったことはない。嘘を教えて罠に嵌める時以外は、ね」
根本は諦めたように肩をすくめた。
根本には、恵子が用心深すぎると思えた。だが、その用心深さが何度も彼らを救ったことも事実だ。彼女が用意する情報や工作員たちは、物の見事に連携が取れて無駄がなかった。〝敵〟の数歩先を読み、そこに罠を仕掛け、通路を切り開き、100人もの人間を導いてきたのだ。
根本は彼女が何者かを正確には知らなかったが、恐るべき人脈と情報を駆使して日本の国益を守ろうとしていることは疑っていなかった。
今は、彼女の指示に従うべきだ――そう心から確信できた。
先頭のアントノフ24が彼らの前で止まった。操縦席の左後ろのタラップが開き、一人の男が降りてくる。
男は走り寄りながら大声を張り上げた。日本語だ。
「さあ、順に乗って。急いで欲しい。5分以内に離陸したいんだ」
拉致被害者は二班に分かれ、あらかじめ列を作っていた。それぞれのリーダーに従って、整然と飛行機に搭乗していく。
それを満足げに見た男が、恵子に歩み寄って手を出す。二人の年齢は同じぐらいだ。握手を交わして言った。
「久しぶりだな。元気にしてたか?」
恵子が笑う。
「あんたこそ。生きて会えるとは思わなかったよ」
根本が話に割り込む。
「自衛隊防衛駐在官の根本誠です。あなたは?」
男は笑った。
「あなたがあの根本さん! 親父たちが一緒になって随分派手に暴れまわったそうじゃないですか。ご一緒できるのも何かのご縁でしょう。田中と言います」
女が吹き出した。
「その名前は私が先にもらった。紛らわしいから別のにしときな」
男も笑い返す。
「では、佐藤で。長いおつきあいにはならないでしょうから、名前は要らないでしょう」
恵子が言った。
「私たち、本当の兄弟なんだ。双子でね。こいつがこれから先のコーディネートを済ませていたんだよ」
根本が思わずつぶやく。
「あんたたち、一体何者なんだ……?」
恵子は真顔で答えた。
「何度も言ったはずだよ。それは聞くなって。不安なのは分かるが、私たちは日本人だ。日本を裏切るような真似はしない。それさえ確かなら、私たちが何者でも構わないんじゃないのかい?」
佐藤が二人を取りなすように言った。
「まあまあ、誰にでも秘密はあるもんだから。さあ、私たちも機内に」佐藤の口調は穏やかだったが、その目は獲物を狙う鷹のように鋭い。「さっそくお客さんが来たようだよ」
根本たちは振り返った。ガソリンスタンドの方向に小さな砂ぼこりが舞い上がっている。追っ手だ。
彼らが後方の機体に走り込んでタラップを閉じると、すぐに滑走が始まる。離陸すると機体が旋回して、飛び立ったばかりの〝滑走路〟が窓から見下ろせた。
数台の軍用車が止まるところだった。手が届きそうなほど近くに感じる。一足違いで、拉致被害者たちがモンゴル軍の手に落ちることが防げたのだった。
悔しげな表情を見せる中国軍人が、機体に拳銃を向けて発射しているようだった。だが、中国軍に配給されている拳銃は中国製だ。精度が劣る粗悪な武器で射抜けるほど、機体は近くを飛んではいなかった。それでも中国兵の背後でモンゴル軍の兵士が笑いをこらえているのがはっきりと見える。
根本が機内に目を移して言った。
「で、目的地は?」
佐藤が恵子を見る。
「やっぱり、まだ教えていなかったのか。相変わらず、用心深いな。目的地はすぐそこだよ。400キロほど先のウラン・ウデ空港。ロシアだ」
根本がうめく。
「やはりロシアか……だが、彼らはパスポートもないんだぞ? 我々だって、密入国者になる」
恵子が代わって答えた。
「心配は無用。佐藤が話を付けてある。ロシア政府にも空港にも、それなりの資金を握らせたようだよ。賄賂が力を持つお国柄だからね。それに、ただ乗り換えのために立ち寄るだけだ。大きな問題にはならないさ。まあ、シマウマが期待通りに走れれば、だけどね」
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