15《チームA》――JST10時24分
大越たちのインカムに操縦席からの通信が入った。
『大越一佐! 今、全隊員に緊急の情報が入りました。「平壌でキム・ジョンウンが暗殺された」ということです!』
大越と春香が同時に叫ぶ。
「何だと⁉」
「何ですって⁉」
ジョンウンはこの機内にいる。暗殺など、できるはずがない。何らかのデマだ。
大越が言った。
「今そっちへ行く!」そして春香に向かう。「状況を確認する。あなたはジョンウンの身を守って――いや、指示を出すのは君の方でしたね」
春香が微笑む。
「了解しました。状況の確認をお願いします。私はジョンウンを守ります」
大越はうなずいて、操縦席へ向かった。
操縦席では、副パイロットが無線機を操作していた。大越に気づいて言った。
「日本の民間放送を拾おうとしています。この機は無線封鎖されていますので、本隊には確認を取れませんので……」
「電波を捕まえられそうか?」
「何とか……あ、入りました! ヘッドフォンにつなげます!」
雑音に埋もれているが、女性アナウンサーの緊迫した声が入る。
『――入りました臨時ニュースを繰り返します。本日10時15分頃、北朝鮮の平壌市内の遊園地で小規模な銃撃戦がありました。CNNの報道によりますと、最高指導者である党委員長のキム・ジョンウン氏が暗殺された模様です。ジョンウン氏は4ヶ月ほど公式の場に姿を見せていませんでしたが、本日朝10時ごろから平壌市内に新たに建設された遊園地の視察を開始し、その様子が海外メディアで放送されていました。その視察の最中に警備隊員の一人が銃を乱射して――』
電波が乱れ、音声が聞き取れなくなった。
大越が副パイロットに命じる。
「また放送が捕まったら、録音しておくように」
そこに、春香からの通信が入る。口調は平静を保っている。
『こっちにも放送が聞こえました。暗殺されたのはジョンウンの影武者でしょう。ここにいる人物が本人であることは、医療データからも間違いなく確認できています』
春香の落ち着きように、大越が驚く。
「なんだって影武者を暗殺する必要があるんです⁉」
『敵が計画を変更したんです。今は反乱軍にとって、『ジョンウンが死んだ』と世界中に信じ込ませることが重要になりました。死ぬのが本人でも影武者でも、関係ありません。最高指導者が死んだと発表できれば、クーデターが――いや、新たな政権樹立が推進できます。裏で、中国が暗躍していますね。きっと、新政権が体制を掌握する準備もすでに終わっているでしょう』
大越は答えながら、ハートユニットに向かう。
「なぜそんな面倒なことを……? 空軍基地を襲える兵力を持っていたんだから、あの場で暗殺してもおかしくなかったのに」
『それでは、軍が分裂してクーデターを起こしたことを宣伝するようなものです。世界中から非難を浴びるし、国民の反発を招きかねません。新政権の正当性も主張できません。空港を取り囲むことはできても、本人に近づけば反撃も厳しくなって暗殺自体も簡単ではないでしょう。輸送機を守っていた近衛兵は精鋭部隊ですし、心からジョンウンに忠誠を尽くしています。接近戦になれば、勝てるという保証もありません。実際、これまでは何度も暗殺に失敗しています。ですが、影武者なら公の場で暗殺することも容易いでしょう。警備に着く人間も、どうせお飾りですから。個人的な恨みが動機だと偽装すれば、政権の移行も速やかに行えます。国際的にも承認されやすいでしょう』
「だが、まだ本人は生きています。この機内にいる。日本に着けば、ジョンウンが死んだのはデマだと暴かれます」
春香はユニットのドアの外で待っていた。インカムを外して直接語りかける。
「状況が変わったんです。あなたが変えたんです」
「どういうことだ?」
「機体に爆薬を貼り付けたのが、クーデター軍の第一の作戦でした。目的は、着陸時にジョンウンごと爆破すること。でも、その目論見は失敗した。あなたが爆薬を排除したからです。だから彼らはすぐさま、影武者を登場させて暗殺するという第二の手を打ってきたんです。こんなに素早く反撃してくるとは思ってませんでしたけど、対応策はあらかじめ練っていたということでしょう。彼らも必死なんです」
大越が一瞬息を呑む。
「クーデター軍はこの機で何が起きたかお見通しだということか⁉ どうして奴らに分かった⁉」
「さあ……どこからか情報が漏れていると考えるしかないでしょうね」
「君の母親じゃないのか⁉」
春香は動じない。
「それは絶対にありません」
「なぜ⁉」
春香は軽く肩をすくめただけで、大越の追求に取り合わなかった。
「情報源はともかく、日本国内の空港での爆殺に失敗したと知った北は、次は必ずこの機を狙ってきます。局面が変わって、本物のジョンウンの死体が見つかっては逆に都合が悪いことになりますから。もはや本物が姿を消しさえすればれば、どこでどう死のうが関係なくなりました」
ハートユニットの前で話し合う二人の声は、機内の騒音にかき消されて他の者には聞こえない。
大越は春香の言葉の意味を理解した。
「空軍が攻撃してくるのか⁉」
春香が大越に身を寄せる。
「さすがにそれはないでしょう。今頃は、米軍も早期警戒衛星を移動してこの海域を監視しているでしょうから。北朝鮮のやることですから、絶対とは言えませんが……。わたしは、やはり日本の領海内で攻撃される可能性の方が高いと思います。国内には北の工作員が大量に紛れ込んでいますし、様々な武器を密輸入しています。空港の近くからなら、対空ロケットで撃墜される恐れもあります。それに、もっと危険なことが……」
大越にも、春香が同じことを考えているのが分かった。だから、それを機内の通信に乗せるわけにはいかなかったのだ。乗員の中にスパイがまぎれ込んで情報を流しているのなら、そのスパイが破壊工作を実行する恐れがある。
この機内には、ジョンウンの警護で同乗してきた北朝鮮の軍人たちがいる。スパイが潜んでいるなら、『影武者の暗殺計画が発動した場合は、本物のジョンウンを殺せ』と命じられているかもしれない。今はまだ、最高指導者の影武者が殺されて状況が逆転したことを知らないはずだが、それを悟られればどんな妨害を仕掛けてくるか分からない。
日本から搭乗した自衛隊員の中に北のスパイがいる可能性すら否定できない。
だが、暗殺の偽装に踏み切ったクーデター軍としては、飛行中の機体を海上で破壊して一切の痕跡を消し去ることが望ましいはずだ。単にジョンウンの命を奪うだけで死体が見つかってしまえば、影武者暗殺の意味がなくなるからだ。むしろ、陰謀を実証する証拠を残すことになりかねない。そのことはスパイも理解しているだろう。つまり、命令の実行は、スパイ自身の死を意味する。自爆行為だ。
だから、常識的には内部からの破壊工作は考えにくかった。
それでも北朝鮮に常識は通用しない。『家族を殺す』と脅迫されれば、死を受け入れる者もいるかもしれない。
北朝鮮とは、そういう国だ。
大越は言った。
「その件は、私が対処します」
春香は、自分が言わんとしたことが大越にはっきりと伝わったことを確認して、満足そうにうなずく。
「お願いします。ジョンウンを無事に送り届けなければ、この作戦は根底から崩れてしまいますから」
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