9《チームA》――JST08時48分
途切れ途切れだが、激しい銃撃音が機体の中に反響する。
大越が〝中将〟に詰問する。
「何が起こっている⁉」
中将が尊大な口調で言った。
「問題はない。この基地は党委員長が絶大な信頼を置いている親衛隊のみで万全の警備を固めている。一部の反乱分子が基地の外で騒ぎを起こしているにすぎない」
そう言いながらも、顔色は真っ青だ。彼を取り巻く軍医や部下たちの顔にも、恐怖の色が浮かんでいる。予想外の事態であることは明らかだ。実際に銃声は、次第に大きく、間隔が短くなっている。
日本の識者の中には、今の北朝鮮はキム・ジョンウンのグリップが完全に効いていて、政権は安定していると主張する者もいる。だが、現実には暗殺計画が何度も決行されている。
ジョンウンが叔父であるチャン・ソンテク一派を処刑したのは、その芽を徹底的に摘むためだった。チャンの背後では明らかに中国が、それも瀋陽軍区の軍人たちの暗躍があったからだ。その処刑によって中国との関係は疎遠になったが、逆にジョンウンへの恐怖感は高まって国内の不安分子は姿を潜めていたという。
だがそれは、恐怖があってこその安定だ。極めて脆い。
現実に、ロシア訪問が計画された時にも〝クーデター計画〟が画策されていた。結果、ロシア訪問は延期になり、直後に首謀者とされたキム・ジョンウンの側近――実務を担う軍人としては最高位にあった人民武力部長が、高射砲によって死体も残さずに公開処刑された。公の理由は『党委員長の演説中に居眠りをし、言い訳をした』という馬鹿げたものだが、それは世界の情報機関に向けたサインでもあった。
ジョンウン体制は万全であり、仮に反対派が反乱を画策してもその情報を確実に察知し、対処することができるという〝事実〟を誇示したのだ。
反面、その現状もジョンウン自身がいったん国を離れれば危うくなる。その間にクーデターが起きれば、国に戻れなくなる危険さえある。だからこそ、ロシア国内の医療機関で治療することが望めなかったのだ。
心臓病の検査は、ロシア政府の協力を得た上で徹底的に秘匿された。だが、どんな情報でも隠し通すことは難しい。特に、誰が不満を持ち、誰が裏切り者かが混沌としている北朝鮮の軍組織では、ほとんど不可能だといってよかった。
ジョンウン自身が重い心臓病で生死の境にあるという事実が知られれば、不満分子の蠢動を抑えきれなくなる。恐怖は姿を消し、代わって怒りが噴出する。
ロシアの全面協力で精密検査を受けた事実が息を潜めていた反ジョンウン派に漏れれば、それは必ず中国に伝わる。そして、ポスト・ジョンウンの動きを加速させる――。
その恐れが、現実になっていた。
今、空軍基地が襲われている。反ジョンウン勢力が動き出したということは、情報が漏れて中国が決断を下したという裏付けに他ならない。
外の銃撃音が絶え間なくなっていく。
大越はさらに詰問した。
「これでも事態を掌握しているというのか⁉」
中将はさらに胸を張り、何事かを言おうとする。だがその口はパクパクと引きつるだけで、顔面からはさらに血の気が引いていった。
変わって、軍医が言った。
「実は、このところ将軍様を批判する勢力が活動を活発にしていまして――」
中将が叫ぶ。
「黙れ!」
それを見た大越が、機内の部下に向かって命じる。
「撤退の準備だ! 機外の隊員を収容しろ!」
基地が襲われているのに、このまま手術を続けるわけにはいかない。ジョンウンの足元で反対派が行動を起こしたということは、モンゴルでも想定外の事態が起きている可能性がある。早急に状況を確認し、対応策を打たなければならない。
まずは、隊員と機体の安全を確保するのが先決だ。今離陸しなければ、永遠に飛び立てない。
と、これまで様子を見守っていた橘春香が、不意に大越に言った。
「大越一佐、操縦席に作戦指示書が保管されているはずです。プランF(フォックストロット)を確認してください」
それは、明らかに〝命令〟だった。
民間の技師でしかなかったはずの春香から不意に命令を受けた大越は、戸惑った。だが、一般人なら指示書の存在など知るはずがない。
それは、彼女が〝一般人〟ではない証だ。
それならば、彼女は一体――?
大越が訝りながら尋ねる。
「あんた、何者だ?」
「その件は後です。状況が切迫しています。直ちに指示書の確認を」
大越の反応も早かった。
「Fだな⁉」
言いながら、操縦席に向かって姿を消す。
成り行きを見守っていた真鍋が、春香を見てつぶやく。
「あなたも自衛官なのか?」
「いいえ。でも、この作戦の立案に関わっています。あなたは、患者を守ることに専念してください」
「もちろんだが……」
ベッドに縛られたジョンウンが、もがきながら何かを叫ぶ。
と、春香が韓国語で一喝した。
ジョンウンが黙り込むと、真鍋が尋ねる。
「あなたも韓国語を? こいつは何と言ったんだ?」
「ベルトを外せ、と。『外に出たら蜂の巣にされるぞ』と言ってやりました」そして、成り行きに追いつけずに立ちすくむ医官に命じる。「ジョンウンに鎮静剤を打ってください。生命に危険がない範囲で、できるだけ強力なものを。体重は134キロ」
命じられた難波はカクカクとうなずいてから、注射の準備に入る。
その間も、銃声は絶え間なく続いていた。ドアの向こうに、制服を着た隊員たちが戻ってくるのが見える。そして、エンジン始動の振動が機体を揺さぶった。
北朝鮮の軍人たちに動揺が走る。中将と春香が言い合う。
春香が言った。
「『将軍様を自衛隊機から下ろせ』と言っています。しかし、この状況では危ない。いったん飛び立って様子を見る、と言っておきました」
北朝鮮の軍人たちをかき分けて、ドアの外に大越が姿を現した。春香に叫ぶ。
「指示書を確認した。直ちに離陸する。しかし、ジョンウンを乗せたままとは……本当に従っていいのか? あなたは内容を知っているんだろう⁉」
指示書には当面の飛行計画とともに、〝離陸後はツシマ精機の橘技師の指示に従え〟と明記されていたのだ。
「もちろん知っています。説明は離陸してから」
「だが、あなたは民間人だ」
「命令に従ってください。戻った隊員から外の様子を聞きましたか?」
「ああ……空港の周囲全体で銃撃が起きている。完全に包囲されてるようだ。敵には包囲戦に充分な兵力がある」
春香は、数秒考えた。
「囲まれているのに、基地の中には入ってこない……ってこと?」
「そうらしい。何のための攻撃かが、分からない。狙いは、ジョンウンの命の他に考えられないのだが……」
「離陸を急がせて」
「だが、地上は〝敵〟だらけだ。離陸直後は簡単に地対空ミサイルの的にされる。攻撃されないのか?」
春香は確信を持って答えた。
「気がつきませんか? 銃声は激しいけど、この機体には一切攻撃が加えられていません。一切、です。空港を取り囲んでいるなら、攻撃できないはずがない。RPG―7の射程には入っていますし、的は大きいですから。つまり相手は、この機体を破壊したいわけじゃない。私たちを基地から追い出したがっているんです」
大越が口を半開きにする。単なる若いエンジニアだと思っていた春香が、軍事的な状況を素早く分析したことに驚いたのだ。しかも、その分析は大越にも正しいと思える。我に返って言った。
「だが、どうしてそんなことに?」
「それは後で。ドアを閉めて、そこの北朝鮮軍人たちを黙らせていてください。万一攻撃されても、ハートユニットに閉じこもっていれば少しは安全ですから、ジョンウンは守れます」
大越はわずかに唇を歪ませてから、仕方なさそうにうなずいた。
「それが命令なら」
「命令です」
ドアが閉められる。
真鍋が言った。
「あんた……本当に何者なんだ……?」
「後で、って言ったでしょう? あなたは、あなたの仕事をして。ジョンウンを絶対に死なせないでよ」
「それは分かっているが――だが、君はツシマ精機のエンジニアじゃないんだろう? このユニットの操作はできるんだろうね?」
「もちろん。研修はみっちり1週間、ろくに寝ないで受けましたから」
「たったそれだけで――」
春香は、真鍋の返事を聞いていなかった。機材の奥から大きめの携帯電話のようなものを取り出す。人差指ほどの太さのアンテナのようなものが本体から突き出している。
「イリジウム衛星通信電話よ。しばらく話しかけないでね」そして、モニターの陰からコードを引き出してアンテナにはめ込み、通話を始める。「こちらチームA。バージョンFの発売が決定しました」
すぐに出た相手の声が、かすかに聞こえる。年配の女のようだ。
『おやおや、いきなりかい。商売敵の営業妨害があったようだね。発車はしたのかい?』
春香の口調が、いきなり馴れ馴れしく変わる。
「荷物は積み込んであるから、もうすぐ発送できるよ」
『こっちもシナリオにないドタバタになってる。まあ、想定通りに〝想定外〟が始まったってことだけどね。こうこなくちゃ、あたしらの出番もなくなる。間違いなくそっちの営業妨害が引き金になってるね。でも、こっちで預かった荷物は一個も傷ついていない。そっちもくれぐれも荷物は痛めないように。代わりがない貴重品だからね』
「今のところあいつらも、車をぶつけてきたりはしてこない。遠くで騒いでいるだけ。珍走団、ってところかな」
『なるほど、そうきたか。じゃあ、しばらくは事故にはならなそうだね。無事に〝高速〟に乗ったらまた連絡しなさい』
「了解」
『気をつけるんだよ』
「そっちもね」
それはまるで、親子の会話のようだった。相手が誰かも分からない。だが、その相手の側でも何らかの〝作戦〟が同時進行しているらしいことが伺えた。
だとすれば、電話に出たのはモンゴルの拉致被害者奪還チームの指揮官だ。モンゴル側でも、異常事態が発生しているらしい。
真鍋が確認する。
「誰と話したんだ?」
春香はくすっと笑った。
「母さん。取るに足らない、親子の会話ですよ」
真鍋には、春香が――いや、春香たちが何者かが、ますます分からなくなっていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます