第8話 大スキなセンパイと
~大スキなセンパイと~
ときどき、まだ、ユメに見る。
だれかの手、だれかの指、だれかのベロ、だれかの感触、だれかの言葉、だれかの、だれかの、だれかの―――センパイじゃないひとの、熱。
みうの身体を通りすぎていった、だれかやだれかやだれかやだれか。
センパイにあげたかったたくさんのものを奪っていっただれか。
顔も思い出せない。
声も思い出せない。
それでもいたという事実は変わらなくて。
それでも、みうの身体に触れられたという事実は変わらなくて。
こんなみうがセンパイのそばにいるべきじゃないって、そう、思って。
なんども繰り返し別れを切り出すのに、センパイは、いつもいつも、ゼッタイに別れようとはしなくて。
だからみうは、今も、まだのうのうとセンパイのとなりに心を置いている。
―――だけど、それも今日で終わりかもしれない。
ゆるやかに落ちていく水とゴミの結晶を舌先に乗せる。
簡単に溶けたそれはもう唾液との区別もつかなくて。
吐き捨てれば地面で踏み汚された白もごっちゃになって。
なんて汚いんだろう。
「だーれだっ」
「ぅわお! ッス!」
突然目を覆われる。
こんなおちゃめなことをするのはセンパイだけだろう。
驚くのは一瞬だけ、すぐに胸を満たすくすぐったい感触に頬が緩んで。
「もぉー、なにやってんッスかみっちゃん」
「人違いだよ!?」
「じょーだんッスよせんぱぁい♪」
振り向けば楽しげに笑うセンパイと、みうもきっとおんなじような顔で笑えている。
不思議だ。
鏡を相手に練習しても絶対にできないのに、センパイを見ているととても簡単になる。
「さて、じゃあいこっか。待たせちゃってごめんね」
「みうもイマ来たところッス! あいまのデートっぽかったッス!?」
「ふふ。うん。めちゃくちゃデートだったね」
「やー、センパイのコイビトもいたについてきたッスね~♪」
手をつないでくれたら、ウデをからめて抱きしめる。
そうしないと、今すぐにでもみうから遠くに行ってしまいそうで不安だ。
触れ合っていないと、センパイの熱を忘れてしまいそうで―――不安だ。
「んでんでー、きょーはどこ連れてってくれるッス? やっぱホテルッスか!? なにせセーヤッスもんね!?」
「んー。まだヒミツかな」
「焦らすッスねー!そーゆーのもみうスキッスよ……♡」
にやにやと笑って見せれば、センパイは苦笑する。
もぅ、だなんて困ったみたいにつぶやくその様子に、みうの直感はぴぴぴと来てしまう。
センパイは、きっと。
この特別な日に。
みうを、求めてくれるのだろうと。
そう―――分かる。
センパイに求められるのはモチロンうれしい。
スキなヒトとほかの誰よりも近づけるのはきっと幸せで。
でも。
やっぱり今日、みうはフられるんだろうな。
だからそれまでの一日を、めいっぱい、楽しみたい。
「……えへへ。トクベツな日にしよーッス、センパイ♡」
「うん。いっぱい楽しませちゃうから覚悟しといてよ」
センパイの熱がほっぺに触る。
それだけのことがもう、みうにとってはシアワセで、トクベツで。
そしてそれからの、とっても長い最後の日は―――とっても短い、最後の日は。
あっという間に、幕を下ろして。
イルミネーションの明かりがあっても、顔もあまり見えないくらいの夜の中。
センパイが改まってみうと向かい合う。
とっても緊張して、なんとなく熱を持ったような視線。
センパイに向けられると、どうしてこんなに心地いいんだろう。
たぶんきっと、熱源が違うから。
センパイのこれは、みうの肌を焼かないで、じっくりと優しく、優しく、温めてくれる。
そしてセンパイは、言った。
「―――今日は、楽しかったよ」
「みうも、たのしかったッス」
「それなら……うん。よかった」
心の底から安堵したみたいに笑って。
センパイはそして、みうの手にくちづける。
「駅まで送るよ」
「え」
「家は、たしか駅からすぐだったよね」
「そ、ッスけど」
てっきり、センパイにこれからどこか……それこそホテルとか、センパイのおうちとか、そういう場所に誘われるものだと思っていた。
それなのにセンパイは、これで終わりにしようと、そう言って。
みうの戸惑いに気が付いたセンパイははにかんで笑う。
「私そんな分かりやすい? 変にがっついたりとかしてないつもりだったんだけど……」
「あ、や、みうがそーゆーの分かるってだけッス。ぜんぜんそーゆーのなく優しくしてもらったッス」
「だったらよかった」
「で、でもだったら、なんで……」
なんで誘わないのか、なんて。
そんな問いかけはなんだかひどく下劣な気がして口をつぐむ。
センパイはふ、と私の瞳を見据えて、静かな表情で、そっと頬に触れる。
冷たくて、熱い、指先。
この手に触れられたのならきっと。
とても心地いいのだろう。
センパイは言う。
「―――みうちゃんがしたくないことなんて、しても嬉しくないから」
「……」
したくないこと。
センパイと?
それは違うと、声を大にして言いたかった。
センパイとしたい。
全部したい。
だけど、でも、そうしたら、きっと―――
「いつか。いつかみうちゃんが、大丈夫だってなるまで。それまで私は、みうちゃんにめいっぱい大好きって伝えるから」
「え、あ……」
センパイが、勘違いなんかしていないんだって、そう伝わる。
みうの気持ちを、怖いくらいに、センパイは見抜いている。
「ちが、うんッス、みう、みうは、」
「疑ってない。怒ってない。不満もない。悲しんでない。―――告白した時にはもう、あなたと一生一緒にいるつもりだったから。まだ付き合って1年も経ってないんだよ? なんだってできるんだよ、これから」
センパイの言葉はあまりにも優しすぎて。
罪悪感が胸を締め付けて。
やっぱりみうじゃない人がいいって、そう思って。
それなのに。
「みうちゃんとしたいこと、言っとくけど数年やそこらで全部できると思わないでよ? っていうか、そんなに言うならこれから付き合ってもらっちゃおっかな」
センパイがみうの手を引く。
センパイの手。
センパイの顔。
センパイの声。
ぜんぶぜんぶ、センパイが、みうにくれる。
忘れることなんてできないくらい、めいっぱい。
「今日は徹夜でカラオケねっ。言っとくけど今夜は寝かさないぜっ」
冗談めかして笑う本気のセンパイに。
みうもきっと、おんなじみたいに……ああ、ううん。ウソだ。
おんなじなんて、できない。
いまきっと、みうは、センパイよりもっとずっとぼろぼろで、汚くて、そんな顔しかできてない。
それなのにどうして、こんなにも楽しくて、心地よくて、幸せで―――
「せんぱい、だいすきッス……」
「えぇー。知ってた。なにを隠そう私もみうちゃんのこと大好きだからね」
「えへへ……うれしいッス……えへへ」
きっと今日から、ずっとセンパイを夢に見る。
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