第7話 とっても大事な後輩と

~とっても大事な後輩と~


ベッドサイドに揺れる赤い靴。

まるで誘うようにふらふらり。


そっと捕まえると、途端に元気を失ってだらりと動きを止める。

どさ、とベッドに沈む音。

するりと靴を脱がせてあげると解放された足先がぐっぱぐっぱと呼吸する。

もう片方も同じように。

うめき声みたいな感謝の言葉がぼんやりと飛んできて、誘われるようにボクもベッドに上がる。


「んん……あ、せんぱぁい」


彼女をここまで連れてきて、靴を脱がせてあげたのもボクだっていうのに、ユミカ君はまるで初めてボクに気が付いたみたいに驚いて笑った。

聖夜だからと浮かれていたのだろうか、やけに飲んでいたせいで、ずいぶんと泥酔している。

かつての不安定なボクだったらこの隙に取り返しのつかないくらいのことはしてあげただろうか。目の前の彼女を愛おしみ、特別だとそう思うあまりに、すべてをボクのものにしたいとそう願っていた幼い独占欲。


ボクのものにした心に―――彼女のもの以外の心・・・・・・・・・に愛を向けられたところでそれは空虚でしかないのだと考えたこともなかったかつてのボクは、まったくひどく幼稚だった。


けれど今は、大切な恋人を少しでも傷つけようとは思えない。

永遠に刻むのなら、傷よりは思い出のほうがいい。

なにせこれだけ泥酔してしまっていたら、きっと記憶にはほとんど残らないだろうから。


なにもクリスマスにこんな風にならなくてもいいじゃないかと、そんな思いは、少しだけあるけれど。


「やあ、ユミカ君」

「えへへ、せんぱいだいすきぃ」

「ああ、ボクも大好きさ」


ボクは笑い、触手のように首に回される腕に引かれるまま彼女にくちづける。

彼女の唾液には酒精が香る。甘い酒を好むおかげか、とろりとしたそれは舌が焼けそうなくらいに甘く感じた。


あまりお酒に強いほうではないから、ボクまでくらりときてしまう。


「んー、ねむいですせんぱい」

「みたいだね。でもシャワーくらいは浴びたほうがいいと思うよ。ウォーターサーバーもあるから、白湯でも飲むかい?」

「のむっ」

「ふふ。分かった。じゃあ待っておいで。寝転がったら眠ってしまいそうだから座っているといい」

「すわるっ」


威勢よくうなずく彼女が、ボクの言葉に従ってベッドの上で座り込む。

そうしていてもふらふらと揺れる頭が今にも倒れてしまいそうだったから、ボクはすぐにコップに白湯を汲んで、すこし水で薄めて持って行った。

受け取ったそれを彼女はぐびぐびと一気飲みして、ぱふぅと気持ちよさそうに吐息する。


「せんぱいおいしいです!」

「それはよかった。少しは目が覚めたかい?」

「んー」


ふらり、ふらり。

頭をゆらゆらさせた彼女は、それから後ろ向きに倒れこむ。


「ぜんぜんです、せんぱい」

「そうかい?」


見下ろしてみる彼女の顔は、どことなく不機嫌で。

すくなくとも、さっきよりはずいぶんとはっきりしていそうだった。


―――ずき、と、脳が痛む。


頭のもっと内側。

そこに突き刺さる何かが、突如として、うごめいたような感覚だった。

頭を振れば簡単にどこかにいったその感覚に首をかしげていると、彼女がにわかに服を脱ぎだした。


「おいおい、横着すぎやしないかいユミカ君」

「―――なんにもしないんですね、せんぱい」

「え?」


苦笑するボクに、彼女はつまらなさげに口をとがらせる。

まるで何かをしてほしいみたいじゃないか。

こんな、我も忘れるほどに酔ったキミに?

冗談じゃない。


そう思うのに、笑い飛ばそうとするのに、なぜか、身体が硬直して動こうとしない。


「ねえせんぱい。どうしてムリをするんですか?」

「ムリなんて、っ」


痛む。

脳が。


「わたし、せんぱいにムリをさせたくてお付き合いしているんじゃないんですよ」

「だからッ」

「もしかして―――こわいんですか? ねえ」


こわい。

彼女の言葉が、心臓を射止める。


脳が痛む。

まるで焼けるように。

燃え盛るように。


「私と恋人になったから―――具体的な関係になったから。だから、それが失われるのが怖いとか、そんな風に思ってるんですか」

「ぼ、くは、」


ちがう、と。

その三文字が口をつかない。

代わりに出るのはなにかに対する言い訳のかけら。


なにに―――だれに……?


「―――くだらない」


ボクの困惑を、彼女が冷ややかに斬り捨てる。

切っ先は次にボクの喉を狙いすました。まるで本音をかきだすように、強引に、喉を捌く。


「私がだれを好きになったのか、先輩は忘れたんですか」

「だれ、を?」


誰かなんて、決まっている。

彼女はボクを好きになってくれた。


わがままで、独占欲に飢えて、嫉妬に身を焦がすばかりの愚かなボクを。


だからそれに応えるために、そうじゃなくなろうとして。

だってそうしないと、そんなボクは、愛想を尽かされたっておかしくないじゃないか。


「先輩が私のためにしてくれるのならなんだって嬉しいんですよ。だけど、私のせいでしていることは―――ただただ気に入らない」


視線。

刃のような。


ああ。


そうか。

彼女は。


かつてのボクをさえ恋し、そして―――そしてこれほどまでに、ボクを殺した人間なのだ。


そんな相手が、いったい、どうやって愛想を尽かせられるというのだ。


脳の痛みが―――理性を苛む本性が、解き放たれる。

思考がひどく濁り渡ってすみわたっていく。

彼女を渇望する熱が全身を満たす。


そして眼下には彼女がいる。


「せんぱい。わたしきっと、よいがさめるころにはなぁんにもおぼえてないですよ」

「そうかい。それなら―――忘れられないように、しっかりと刻んであげないといけないね」


せっかくの特別な日に、こんなにも酔って潰れる不埒な恋人は―――ああそうとも。

しっかりと躾けてあげないといけない。


そんな当たり前のことさえ忘れていたボクは少し笑って、彼女の首に牙を立てた。

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