第4話
イグニスには頑張ってみると言ったけれど、ユナエルの姿が見えてくると不安と緊張が高まってきて、声をかけるのが怖くなってしまった。
こういう時、脳裏に浮かぶのはいつもあの光景。
10歳の頃、僕には仲のいい友だちが一人だけいた。その子は僕とは反対で、友だちが多くていつもクラスの中心にいた。あの頃は、人付き合いが苦手な僕に親身になってくれていると思っていた。けれどある日、その子が陰で僕の悪口を言っていることを聞かされた。信じたくなかった。僕にとっては、学校でずっと一人だった僕を救ってくれた存在だったから。でもそれ以来、その子が話しかけてくれる度に震えが止まらなかった。頭では嘘だと言い聞かせても、僕の体はそれを受け入れようとしなかった。
それ以来、人と話すのが以前よりも怖くなった。
「こんなところで何してるの?」
その声に驚いて顔を上げると、目の前にメルがいた。
「イグニスは一緒じゃないの?」
「その……ユナエルと話そうと思って」
「ほんと!? じゃあ行こ」
そう言ってメルは歩き出したけれど、僕はまだ動けずにいた。それに気づいたメルは、戻ってきて僕の手をとる。
「怖がらなくて大丈夫だよ」
「え……?」
メルはそのまま僕の手を引いて、ユナエルのところへ歩いていった。
「ユナ」
メルはユナエルの名前を呼ぶと、僕に笑顔を向けて、そのまま歩いていってしまった。
「……隣、いい?」
「……うん」
ユナエルの隣に座ると、ユナエルが読んでいる本が少し見えた。本には僕の知らない文字が紙一面に並んでいる。
「その本、どんな話?」
「……これは妖精界と人間界の昔話。たぶんここに来る途中で二人から聞いてると思うよ」
ユナエルは少し間を置いて、また静かに話し出した。
「ボクが代表に選ばれたのは半年前で、まだ一度も召喚の役目をしたことがないんだ。召喚の役目にはこの本の内容を話すことも含まれているから、こうして毎日本を読んでいるんだ」
「そうなんだ。えらいね」
「……そんなことないよ。今ボクとペアのノクスはもう何年もこの役目についてて、みんなにとても尊敬されてて……。ボクとは全然違う人だから、ボクなんかがペアで申し訳なくて……せめて足を引っ張らないようにしたいんだ」
ユナエルの表情には、少し暗い笑みがあるようにも見える。ユナエルのそんな顔を見ていると、最初に会った時のうつむいた顔が脳裏にちらついて、あの言葉が気になった。
「話したくなかったら話さなくていいんだけど……『不吉な色』ってどういうことなの?」
ユナエルは色の薄い手で胸元のペンダントを握りしめ、小さく口を開く。
「月の妖精はみんな、銀髪に薄灰色の眼をもって産まれる。けれどボクだけは、両親が月の妖精なのに、眼の色が薄灰色じゃなく、この碧色だった。だからみんな、不吉だ、不幸を呼ぶ子だと、ボクを恐れるようになったんだ。でも、両親やメルたちだけは普通に接してくれていた」
ユナエルはうつむいたまま、膝の上の本を眺めている。
「どうしてみんな、『違うもの』を傷つけて自身を守ろうとするんだろう?」
『違うもの』か……。僕もそうだったのかもしれない。母親がいない。人付き合いが上手くできない。僕一人だけが周りと違っていた。みんなは僕一人を標的にすることで、自分を守ってたのかな……。
「ねぇユナエル、付けられた傷はいつか癒えるかな?」
人に声をかけようとする度によみがえる恐怖の記憶。悪口を言われていたなんて信じたくなくて、何も知らないふりをしようとして、結局壊れていってしまった。同じ結果になることを恐れて、友だちを作れなくなった。
「いつか、人と話すことが怖くなくなる日はくるかな?」
ユナエルは僕に優しく笑いかけた。
「君の傷は、少しずつ癒え始めていると思うよ。だってこうして、ボクと話せているもの。今君の震えは止まっている。少しずつ前に進んでる。だから大丈夫だよ」
自分の手を見ると、確かに震えは止まっていた。
「玲、ボクはこれから用事があるから、ちょっと行ってくるよ」
ユナエルはそう言って立ち上がり、背中の白い羽で飛んでいった。
やっぱり飛べるんだ。妖精だもんね。見た目は人間とあまり変わらないし、羽も生地の薄い布みたいに見えるけど……。
「あれ、ユナは?」
声がした方を振り向くと、メルとイグニスが並んで歩いてきた。メルの手にはお菓子が盛られた白いお皿がある。
「ユナエルはついさっき、あっちの方に飛んでいったよ。用事があるからって……」
「用事?」
メルは少し考えるような仕草をして、イグニスにお皿を押し付けるように渡した。
「私ちょっと行ってくる」
そう言うと、メルも背中の金色の羽でユナエルを追って行ってしまった。
イグニスは予想外の展開に、ぽかんとした顔で空を見上げていた。
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