第三十六話 全てを捧げて

 炎龍は、生まれて初めての敗北を認めた。


(我は、負けた)


 たとえ人質がとられていなくても、万全の状態であったとしても、目の前のバケモノには勝てない。本能でそれを察している。


 炎龍は魔物にしてはかなり知能が発達していた。余計なプライドも持たず、現実をありのままに受け入れる冷静な思考を持ち合わせている。


 故に、通常であれば……炎龍は、目の前のバケモノから一目散に逃げていただろう。空は彼の領域、飛翔すれば逃げ切る自信はあった。


 だが、彼は逃げない。

 逃げることを炎龍自身が許さない。


(我が動けば、死んでしまう……)


 バケモノは、炎龍が特別に思っている存在の命を握っている。

 ほんの少し、バケモノが力を加えたら、特別な存在が死んでしまうだろう。


 だから炎龍は逃げずに、負けを受け入れたのだ。


「人質作戦、上手くいったなぁ……お前もちょっとは役に立つんだな」


「痛いんだけど!? 離してっ。あと、炎龍は見逃してあげてっ。こんなに凛々しい炎龍を殺すなんてダメよ、あんたに良心はないの?」


「ない。俺にあるのは職人魂だけだ。俺は壺の為なら人間だって殺す」


「一個しか作ったことないくせに職人ぶらないで! ねぇ、本当にやめてあげて……じゃないと、あんたをもっと嫌いになるわよ?」


「マジで!? ありがとう、俺はお前のこと大嫌いだから、むしろ嬉しいよ」


「っ……じゃ、じゃあ、体! あたしの体を捧げるから、炎龍だけは見逃して? なんでもするわ!」


「お前の体にはな、そんな価値ないよ。ごめんなさい」


「うがぁああああああああああああああ!!」


 ジタバタと暴れる大切な存在を見て、炎龍は焦燥感に駆られる。

 言葉の意味は分からないのでどんな会話をしているのかは分からない。だが、もしかしたらバケモノの気分が害されたのかと思って不安になったのだ。


(今は大人しくしていろ……我が、なんとかする)


 彼は敗北を認めている。

 だが、しかし――特別な存在を助け出すことは、諦めていない。


(この命、燃え尽きるまで……諦めない)


 従順なふりをしているが、炎龍はずっと隙を探っている。

 バケモノが気を緩めるその瞬間を狙っていたのだ。


「と、いうわけで……死ね」


 バケモノは、特別な存在が持っていた剣を奪い、炎龍に剣を振るった。

 攻撃の瞬間、もしかしたら特別な存在を手放すかと思って期待したが……なんと、バケモノは特別な存在を握ったまま、斬撃を飛ばしてきたのである。


 これでは、どうしようもなかった。


「グガッ……」


 斬撃が、炎龍の肉体を割く。

 首元から腹部にかけて受けた裂傷は深く、炎龍は地に倒れ伏した。


(く、そ……っ)


 血が噴き出ている。意識も途絶えそうだ。ここで目を閉じれば、もう起きることは二度とできないだろう。


(眠い……)


 抗いがたい誘惑に、炎龍は従おうとする。

 静かな闇に、身を投じようとしたのだが……


「ダメ! 死んだらダメ!!」


 特別な存在の声が、炎龍を闇から引き戻した。


(まだ、だ)


 助ける。生まれて初めての特別な存在を、救う。

 バケモノから、助け出す……!


 そのために、炎龍は最後の力を振り絞った。


「グルァアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」


 吠える。同時に、自らの全てを捧げて、炎龍は炎を咆哮する。

 

 狙いは、炎龍が死んだと思って油断しているバケモノ。

 バケモノはようやく特別な存在から手を放し、炎龍に歩み寄ってきていた。


「へ?」


 ぽかんとするバケモノへ、炎龍は容赦なく炎を浴びせる。


炎龍の咆哮ファイヤ・ブレス|】


 噴き出た炎は、とぐろを巻くようにバケモノへ襲い掛かる。

 まるで蛇のようにバケモノに絡みつく炎は、炎龍の全てを捧げた『咆哮』であった。


 周囲の空気が熱され、陽炎がゆらめき、地面が焦げ、炎がうなりを上げる。

 しかしその被害は特別な存在まで達しない。


 ただ、一点――バケモノのみを焼き続ける炎は、まるで炎龍の怨念のようでもあった。


(これで、死んだ)


 これほどの炎を浴びて死なない生物はいないだろう。

 そう信じて、炎龍は力を抜く。


「ダメ……ダメぇえええええ!!」


 最後に、涙を流しながらこちらに手を伸ばす大切な存在を見て、彼は微笑んだ。


(ありがとう)


 生まれて初めての恋だった。

 この幸せな感情を、彼は忘れない。


(守れて良かった)


 心から安堵して、炎龍は静かに息を引き取るのだった――





「熱っ。ぎゃー、パンツ燃えたー!」





 炎龍は幸せだっただろう。

 あと一瞬、ほんの少し、死ぬのが遅れていたら……自分が犬死にしたことに気付いてしまっただろう。


 炎龍は知らない。

 バケモノは、どこまでもバケモノだったということを。


 炎龍が全てを捧げてもなお、バケモノには決して届かないのだから――

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