第三十五話 愛する者のために――
生まれて、初めてだった。
(なんだ、これは)
生まれて、初めてだった。
(これは、なんだ)
生まれて、初めてだった。
(これは……無理だ)
炎龍にとって、他者とは即ち『弱者』だった。
敗北などありえない。死などありえない。痛みなどありえない。恐怖などありえない。
ただ、翼を振るえば、爪を立てれば、尻尾を薙げば、炎を吐けば……ただ何かをすれば、他者は死ぬ。
だから今回の戦いも、そうしようと思った。
いつも通り、敵を殺そうとした。
それなのに――敵はなおも生きていた。
しかも、無傷である。そして、死にそうだったのは……炎龍自身であった。
(逃げたい)
本能が訴える。そいつと対峙してはいけない、と。
(来るな)
本能が叫ぶ。これ以上近寄るな、と。
それほどまでに、敵は――異常だった。
『バケモノ』
かつて、炎龍は自身がそう称されていたことを知っている。自信が誰よりも強いという自負もあった
だが、そいつの前において、炎龍は『弱者』であった。
(何もできない)
敵はただ無造作に小石を投げていただけだ。
しかしその小石は炎龍の鱗を削ぎ、肉を抉り、血をにじませた。
回避できない速度ではなかったが……しかし、炎龍は逃げることができなかった。
(守らねば)
生まれて初めてのバケモノ。
生まれて初めての痛み。
生まれて初めての恐怖。
生まれて初めての負傷。
しかし炎龍の心は折れない。
逃げるわけにはいかないのだ。
何故なら、後ろには――生まれて初めての『特別』がいたのだから。
(殺される)
自分がではない。その特別が、バケモノに殺されると思った。
それが、炎龍には耐えられない。自分が死ぬことよりも、『特別』が死ぬことが怖かったのだ
(殺させない)
敵の殺意を炎龍は全て受け止める。
油断すると、バケモノは炎龍の特別を殺す。そう思ってしまうほどに、バケモノの殺気は異常だった。
当初は、同じ二足歩行型の生物なので、仲間かと思っていた。
二人で一緒にこの世界にやってきたようなので、自分が『特別』を連れ去ったことに怒っているのかと考えた。
だが、違う。
バケモノは、間違いなく同種である『特別』を殺そうとしていた。
「死ねぼけぇ!」
憎悪の言葉に炎龍は身をすくめる。言葉の意味までは分からないが、言葉に宿る怨嗟に身震いした。
だが、逃げない。今度は投石ではなく、肉弾戦を仕掛けていたバケモノを炎龍は迎え撃つ。
『グシャリッ』
肉が潰れる音が聞こえた。
視界が明滅し、意識が途絶えそうになる。
翼が、尻尾が、腕が、足が、頭が、腹部が、体の全てがグチャグチャになっていく感覚に、炎龍は気絶しそうになった。
だが、炎龍は耐える。
守るために――『特別』を、守り抜くために。
「グルァアアアアアアアアアアアア!!」
咆哮を上げ、必死に反撃の隙を探り、バケモノから勝利をかすめ取ろうと喘ぐ。
だが、隙はなかった。
さっきからずっとそうだ。敵は乱雑に動いているように見えて、その動きは洗練されている。防戦一方に陥っているこの状況に、炎龍は絶望しかけていた。
(ここは……通さない)
だが、背後の『特別』を守るために、炎龍は絶望を振り払う。
炎龍自身が傷つくのはどうでも良かった。ただ、バケモノを背後に通さないことを、炎龍は徹底し続けていた。
しかし……思いもよらぬ移動手段で、敵は炎龍の背後を取った。
「【転移】」
魔力の流れが変わったのを感じたが、もう遅い。
バケモノは一瞬で炎龍の背後を取り、『特別』な存在の脆い肉体に手をかけた。
「動くな、炎龍……さもないと、こいつが死ぬぞ?」
言葉は分からない。だが、大切な存在が人質に取られたことを、炎龍は察する。
そして、自分に成す術がないことも、炎龍は理解してしまった。
(卑怯者が! くっ、これは、もう……終わった、か)
炎龍はうなだれる。
もう、やれることはない。
ただ、特別な存在を守るために……炎龍は動けなくなってしまうのだった――
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