43.縮んだ距離
ウオルを送り届けてからベルシスは執務室に戻る。
その後ろから所在なさげにコーデリアが付いてきていた。
ベルシスの執務室に戻る間、互いに言葉を交わす事もなく歩く二人。
執務室の扉の前に立ってベルシスが振り返って問いかける。
「話があるのだろう?」
「……うん」
「どうぞ」
頷く彼女に入室を促して、ベルシスは扉を開けて先ほどまで自分が座っていた長椅子に腰を下ろした。
そして、杯に残った蒸留酒を飲み干して彼女が何を話し出すのかを待つ。
「ねぇ、将軍」
「なにかな?」
ベルシスの対面に座って意を決したように口を開いたコーデリアをベルシスは見つめ返す。
コーデリアの緑色の瞳には強い意志が宿っているように輝いて見えた。
「将軍は、アタシの事どう思う?」
「難しい問題だね。魅力的な女性だとは思っているよ。ただ……」
「ただ、何? 卑しい身分から勇者に成り上がった? それとも、守れなかった村娘の妹?」
その言葉に怒りでも滲んでいればまだ良かった、その言葉がどのような感情から発せられたのか理解できるからだ。
だが、彼女の言葉は静かな海の様に穏やかに思えた。
これが一気に荒れる可能性も考えれば、海の例えは我ながら秀逸だと思う余裕がベルシスにまだある。
彼とてそれなりの年齢の男である。
「前者はない。後者は少し思っている。いや、例え誰であっても守るべき者に守られた感覚を何と言って良いのか分からない、というのが妥当な所か」
「……将軍の所為じゃないでしょう?」
「それはない。帝国がきっちり動いていれば、野盗が跋扈するような状況になっていなかったはずだ。その責任から逃れるつもりは無い」
ベルシスの言葉は淀みがなく、それゆえにか対面に座っていたコーデリアの顔が顰められた。
「将軍が責任を感じても、お姉ちゃんは帰って来ない」
ベルシスの微かにあった酔いはその一言で消し飛んだ。
そしていずれ来るであろう時が来たことをベルシスは悟った。
(……彼女は我々の。帝国の舵取りを誤った我々の所為で肉親を亡くしたのだ。いかにその性質が明るく朗らかであったとしても、一言いいたくもなると言う物だ)
むしろ、漸く来たかとすらベルシスは思っていた。
彼女にとってベルシス・ロガとは憎むべき対象である、そう考えているがゆえに。
「そうだな、それは承知している。私が責任を感じようとも犠牲になった者は誰も帰ってこない。だが、だからこそ、責任の所在をぼかす訳にはいかない。取り返しのつかない事をしたからこそ――」
「だから、皇帝を討つの? なりたくもない王様になって。戦いたくもない人たちと剣を交えて」
「……それだけではない。私自身が生き残りたいという思いはある」
「……本当かなぁ?」
訝しむ様子でコーデリアはベルシスの顔を見据える。
これはベルシスの予想していた展開と違っていた。
無策をなじられ、怒りをもっと直接的にぶつけられるのではないかと思っていたのだが、それはベルシスがコーデリアをまだよく理解していなかった事実を示していた。
実際の彼女はどちらかと言えばベルシスの身を案じているのだ、その事実にベルシスは居心地の悪さを感じていた。
内罰的とまでは言わないが、生真面目な分ベルシスは自分のミスを許せずにいるのだ。
それでも、それを認めないかのように言葉を絞り出す。
「……死にたいなんて思ってないさ」
「そうだね、意味もなく死にたいとは思ってないみたいだけど……。でも、もしアタシが責任取って死んでって言ったら仕方ないとか言いそうだよ?」
その言葉は少なからずベルシスに衝撃を与えた。
ベルシス自身は死にたくないからと足掻いてきたつもりだったからだ。
(負い目を感じている張本人からはそうは見えていなかったと言う事か? ……もし、仮に本当にそう要求されたら私はどうするだろうか?)
多分、事が終わるまでは待ってほしいと頭を下げるだろう。
しかし、それ以上に足掻くだろうか? とベルシスは訝しむ。
身から出た錆、これを受け入れる事がロスカーンとベルシスの違いだと考えるかもしれないと思考が及び天を仰いだ。
「王様ってさ。それはそれ、これはこれで動ける人じゃないと行き詰るんじゃない?」
天を仰ぐベルシスを見つめながらコーデリアは言葉を紡ぐ。
「私が王には向かない、と?」
「向かないって言うより、押しつぶされそう。将軍、真面目過ぎるから」
コーデリアの言葉にベルシスはドキリとした。
彼女の緑色の瞳は、ベルシスの心の奥底までも見抜いているかのように思えた。
そして、小さく息を吐き出して告げる。
「賢者と呼ばれる者は学のあるなしでは決まらない、いかに本質を見抜いているのか……か」
「アタシも賢者と言ってくれるの?」
少しだけ可笑しげにコーデリアは微笑んだ。
「君の慧眼には恐れ入るよ。確かに王になればその責任の重さは今の比ではない。押しつぶされてしまうかもな」
「ウオル君との会話でも言ってたけど、将軍は誰かの所為にしないために内に抱え込みすぎていると思う。……もっと、誰かを頼っても良いと思うんだ」
ベルシスはコーデリアの言葉から気づく。
自身に信用が無いから行ってきた事だが、逆に言えば周囲を信用していない事にも繋がりかねないと言う事実に。
「……頼るのは君でも良いのかな、コーディ」
少し間をおいて、眉尻を少し下げてそんな言葉を投げかけるとコーデリアは慌てたように目を白黒させた。
「そ、そこでアタシに振るの?!」
「賢者の言は値千金だと思うがね?」
先ほどまでの会話に引っ掛けてそう言いやると、今度は彼女が天を仰ぐ。
暫く天を仰いでいたがベルシスに視線を向けると、その口元にはにまりとした笑みを浮かべていた。
それは彼女が何か反撃を閃いた顔だった。
「友達としてなら、良いよ?」
「確かに部下に頼るよりは友人に頼る方が世間体は良いな」
「そう言う話じゃなくて……。まあ、良いや。それじゃあ、将軍がアタシを呼ぶときは、コーディね。で、アタシが将軍を呼ぶときは……んー……ベルちゃん?」
とてつもない奇襲のおまけつき反撃を食らって、ベルシスは思わず無言になった。
(べ、ベルちゃん?? ……はっ、まさか!)
「えっと、そ、それを……まさか、人前で呼ぶ気か?」
「駄目かな? アタシはそう呼びたいけど」
これぞ正に青天の霹靂であった。
ベルちゃんなる呼びかけで呼ばれる自分を想像して、ベルシスは膝からがっくりと崩れ落ちそうなほど力が抜けた。
王に成るとか成らないとかよりももっと大きな問題に感じられて、我ながら認識がずれているとは思えた。
視線を彷徨わせながら、ろくな返答を返せないベルシスを見てコーデリアは笑いながら言った。
「無理ならいいんだけど」
「無理――ではないから困っている」
そう告げて、ベルシスは彼女の緑色の瞳を見据える。
「分かった、コーディ。その呼び方を許可しよう、他ならぬ友人の頼みとあらば」
ベルシスは意を決して言葉を告げると、コーデリアはにこりと笑みを浮かべて力強く頷いた。
この一場面においてはベルシスの予想通りの反応で、その笑みを見れて良かったと心底思えた。
だが、皆の前でベルちゃんと呼ばれることになった翌日にはすぐに後悔しかけたのだが。
ともあれ、この日の夜がベルシスとコーデリアの距離を縮める第一歩になった。
<続く>
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