42.夜半の問答

 夜、ベルシスは執務室で酒を飲んでいた。


 この時代の酒は主に葡萄酒が主であるが、神殿の神官が葡萄酒を蒸留した今で言うブランデー、或いは麦を蒸留したウィスキーの存在が確認されている。


 そして、この時ベルシスが飲んでいたのは葡萄酒ではなくブランデーであった。


 しかし、庶民には出回らないような強い酒を飲んでみても、今のベルシスには全く酔える気がしない。


 同盟の条件に付いて考えを巡らせているといくら飲んでも酔うことができなかった。


 そう言えば苦悩が伝わるが、実の所まだ二杯目であったが。


 王にならねばナイトランドとの同盟の締結が出来ない、ならば結論は既に出ているのと変わらない。


 だが、王となれば帝国との関係の修復は諦めるより他はない。


 可能性は薄いが和平という選択肢を自ら握りつぶすことになるだろう、そうベルシスは考える。


 王となればそれが目的であったと周囲は思う物だ。


 そうなればベルシスに対して中立を保ってきた帝国諸領の領主も明確に敵となる事が予想された。


 それでも、相対する帝国軍の矛先を分散できる意味は非常に大きい。


 ナイトランドとロガを同時に相手取る危険性を思えば、和平は無理でも停戦には至れるかもしれない。


 ギザイアとて、その目的が人類社会の滅亡であろうとも、いやそれだからこそ権力の基盤を失う訳にはいかない筈ではないか。


 この様に利点ははっきりしているのになぜベルシスは王を名乗りたがらないのか。


 責任の重さにしり込みしているのは事実であろう。


 王になれば軍事のみならず政治にも責任が生じる。


 いや、現時点でそれは生じているのだがそれ以上の重さで圧し掛かって来ることは明白だ。


 だが、それを嫌って王になりたくないのかと言えば、当然そればかりではない。


 ベルシスは未だにロスカーンに反旗を翻したがゾス帝国に反旗を翻したわけではないと思っていた節がある。


 それだけに王を名乗る事で名実ともに反逆者になる事を恐れているのだ。


 今更な話ではあるのだが、長年忠節を捧げてきた相手であればそう簡単に割り切れる物ではなかった。


 そして、この割り切れない思いを吐露する相手がベルシスにはいなかったのである。


 同格の友人がこの時のベルシス周囲にはいなかった。


 それに事はベルシスの一生を決めるうえでも十分に大きな出来事であれば、その選択を他者にゆだねる訳にもいかなかった


 そして何より恐れたのが、誰かに相談し何かしらの答えを得ればそちらに考えが流れるかもしれず、その結果が振るわなければ話を聞いてくれた者の所為にしてしまう可能性に思い至っていたからだ。


 ベルシスはその様な行動に自分が出ることを極端に恐れた。


 その様な醜い行いをベルシスは断じて容認できないのだ。


 そう考えると誰に相談という気分も失せる。


 頭を軽く振りながらベルシスは気付けば三杯目をグラスに注いでいた。


(酒量が増えたな……。でも仕方ないじゃないか、数多の命の選別を行うような選択ばかりなんだ)


 一つ一つの判断に多くの命がかかっているというストレスは並大抵のものではなかった。


 今までは皇帝と言う最高責任者が存在していたが、今はベルシスが頂点。


 全ての判断の責任はベルシスにあり、決して逃れる事の出来ない責任が付きまとう。


(……ああ、そうか)

 

 不意にベルシスは悟る、自分は責任の重さは痛感していたつもりだが、王を名乗る事でその責任がより顕著になると感じている。


 それ故に王を名乗る事に抵抗を感じてもいるのだろうと。


 ベルシスは困った事だと嘯きながら杯を口元に近づけた時、扉を叩く音が響いた。


「ベルシス将軍、少し良い?」

「……コーデリア殿?」


 響いた声に首を傾いで、開いているよと告げるとコーデリアが珍しい連れを連れて執務室に入ってきた。


「どうしたんだい、コーデリア殿? ウオルを連れて?」

「ウオル君が将軍とお話ししたいんだって」

「コーデリアおねえちゃんが先で良いよ? 扉の前に先に来てたのは」

「ア、アタシは良いから!」


 コーデリアが慌てて告げると、ウオルは不思議そうに小首を傾いでからベルシスを見据えた。


「まあ、立ち話もなんだ。座りなさい」


 ベルシスが来客と面談するためだけにおいてあるソファを勧めると、ウオルは物怖じもせずにソファに座った。


 ベルシスもウオルの対面へと座るが、コーデリアだけは扉付近で立ったままだった。


「コーデリア殿?」

「アタシはここで良いよ」


 いつもの彼女らしくないなと思いながらもベルシスはウオルへと視線を移す。


 ロガ家の血も引くウオルは叔父アントンと同じく色素の薄い蜂蜜色の髪をガシガシと掻いてから、おもむろに告げた。


「どうして伯父上は一人で考えこむのですか? 母や大叔母上やアントン叔父も相談してくれれば良いのにって難しい顔をしてました」


 子供らしく単刀直入な問いかけにベルシスは思わず笑い、それから答えを返す。


「人の所為にしないためだよ」

「え?」


 ウオルは驚き不思議そうに声を上げる。


「考えを分かち合うと言う事は責任を分散させる行為でもあると私は思う。もちろん、専門家の意見は聞かねばならないが決断を下すのは私でなくてはならない。そうでないと、きっと私は人の所為にするだろう」


 いつになく饒舌にベルシスは語った。


 自信でもらしくないと気付いていたが、或いは酔いが回っていたのかも知れない。


「決断を下す時であるから他の人は頼らないの?」

「出来れば話を聞いてもらいたいし、頼りたいんだがね。親族ならなおさらだ。しかし、今は駄目だな。今回の一件は自分で判断して、自分で責任を取らねばならない事だ」


 ベルシスはそう告げながらまっすぐにウオルを見つめる。


 カナギシュ族の血も引く少年はベルシスを見据えたまま頷いた。


「とは言え、意見を聞く事で多くの命が救われるならば話を聞く事は当然だがね。まぁ、今回はある意味わかり切っているから聞く間でもない事なんだ。後は私が決断を下すだけ」

「そうなりますと、ベルシス伯父上は王になられるのですか?」

「なりたくもなかったが、今回、王を名乗る事の利点は多い。ゆえに私は王を名乗ろうと思う。時間を貰ったのは感情に踏ん切りをつけるためさ。長く給金を貰っていた相手を裏切ると言うのは、やはり堪えるものだ」


 ウオルはベルシスの答えを聞けば、少しばかり何かを考え、最後にありがとうございますと頭を下げた。


 出来た子だとベルシスは思う。


 出来過ぎな気もするがアネスタとウォランの教育の賜物かとも。


「コーデリアおねえちゃん、僕の話は終わったよ」

「えっとね、難しい話するね、ウオル君」


 アタシの話はそんなんじゃないしと笑いながら扉に手を掛けたコーデリアを見てベルシスが声を掛けた。


「王になる事に何か思う所が?」

「そ、それもあるけどって、そうじゃなくて」


 どうにもしどろもどろな様子にウオルと一緒にベルシスは小首を傾いだ。


 と、扉を叩く音が響く。


「兄貴、考え事の最中悪いんだけどウオルの姿を見なかった?」


 そして、野太い声が続いた。


 口調と声の太さで従弟のガラルであることが分かった。


「今、話しをしているよ」


 コーデリアに開けるように合図を送ると、彼女は扉を開ける。


 そこには少し息を乱したガラルが驚きを顔に浮かべて立っていた。


「……ウオル、アネスタかウォランに私の所に来ると言ったのかい?」

「……言ってません」


 問いかけると、まだ十歳の従兄妹甥いとこおいはまずいと顔に表しながら年相応に意気消沈して答えた。


 この後、ベルシスがウオルを連れてアネスタの所に出向いて彼を弁護したのは言うまでもない。


 後年カナギシュ王朝開祖としてウオル一世はこの夜の会話をこう述懐している。


「この日の、この僅かな会話が無ければ余は王たり得なかった」


 と。


<続く>

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