37.アルスター平原の戦い 帝国の困惑とロガの猛攻

 ゾス帝国のセスティー・カイネス将軍は困惑していた。


 援軍の指揮官がザイツ・カールツァス将軍だと言うのだから。


 彼の将軍は既に戦場を離れて久しい。


 ベルシス・ロガに対して含む所をがあるのは知っているが、意趣返しに戦場に出てくるような真っ当な男ではない筈。


(落ち着け、私。意趣返しで戦場に出るのは真っ当とは言い難いのよ……)


 自身の困惑が思考に影響が出ていると軽く頭を左右に振る。


 帝国軍の現状を思えば援軍自体はありがたい話だ。


 大軍を動かして負けたとなれば帝国の求心力は落ちる。


 帝国自体が弱体化していると見られれば、幾つかの国は牙を剥くだろう。


 ここでベルシス・ロガを討ち取らねば長い戦争に突入しかねない。


(とは言え、その原因はロガ将軍にあると言うよりは……)


 結局、ベルシスが反旗を翻した事とて皇帝の悪政が原因である。


 それを自覚しながらも、ベルシスのように抗えない事は帝国臣民として恥ずべきことではないかとセスティーは常々考えていた。


 或いは、この恥の自覚こそが今回の戦いに最大の足かせかも知れないとセスティーは小さく息を吐く。


 緒戦で物の見事にベルシスの策に嵌った。


 テンウ将軍もパルド将軍もいつもの不仲を発揮した訳ではなく、協同して事に当たったと言うのに。


(特別な策と言う事はなかった、多少の奇策ではあったが全て兵法の基本を応用しているに過ぎない。それだけに、私とロガ将軍には差があるように感じる)


 今回の戦いでベルシスが用いた手法は多勢と平地で戦う愚を犯さない、丘陵地においては高きから低きに攻撃を行う、敵を分断して攻撃する、敵の士気を徹底して挫くなどだ。


 そのどれもが嘗てベルシスに教えてもらった兵法の基本。


 それを用いてパルド軍団の歩兵とテンウ軍団の騎兵は大きな損害を被った。


 長い編成期間中にあの二人と何度となく話し合っておらねば、これで一気に両軍団の仲が悪化して戦線の維持もおぼつか無かっただろう。


 だが、緒戦の影響は大きかった。


 緒戦で見事に策に嵌ってしまったテンウ、パルド両軍団の兵士達だけではなくセスティー軍団の中にもベルシスに恐れを抱く者も多い。


 戦場を知らない新兵と言っても差支えがない者たちも動員されている以上は緒戦で決着を付けたかったが、或いはその焦りが逆の結果をもたらしたか。


 ともあれ、次に押し込まれることになった場合敗北につながりかねない状況下に焦りを覚えないでもなかったが、セスティーはまずは兵士を落ち着かせ、全軍をもって攻撃を行う心算だった。


 だが、帝都は緒戦の結果に動揺したのか援軍を送ると伝えて来た、それまで軽率な行動はするなとも。


 それは戦場の指揮を制限されたに等しいが、これも宮仕えの悲しい性であれば受け入れざるを得なかった。


 それに援軍が来れば盤石の態勢を築けるとも思ったのだが……。 


「それにしても、援軍の指揮官がザイツ将軍では……」


 そう呟いたセスティーの元に慌てたように副官が声を掛ける。


 ロガ軍に増援現ると。


※  ※


 ロガ軍に増援来る、この一報は帝国軍に衝撃をもたらした。


 少数のロガ軍に引っ掻き回された挙句に痛手を被った帝国軍の兵士たちの一部が激しく動揺を示す。


 多勢であるはずの帝国軍であったが、数倍の敵を退けるベルシスの働きに気圧されていた。


 一度だけならばまぐれと言う事もあったのだろうが、二度目、それも自分たちが手玉に取られると一気に緊張感が増す。


 その緊張感の中、少数の敵と睨み合うだけの時間を過ごし届いた一報。


 まずは帝国からの援軍派遣の話が緊張感をやわらげ、人心地ついた所でロガ軍の援軍来ると一報が届いたのだ。


 人の心理は不思議な物で結果は同じでも、もたらされる情報の順番によって士気の上下は大きく変わる。


 緊張感やわらぎ援軍が来たらさあ反撃……と言う所で、敵の方が先に援軍を得てしまうとなるとその衝撃度合いはいかほどだっただろうか。


 逆であれば援軍が来るまで持ちこたえるぞと士気を上げる事も出来たのだろうが……。


 帝国軍にとってこの戦いが不幸であったのは、以下の三つの事柄に分類される。


 一つは領土防衛のため各地に兵を派遣していた為前線慣れしていない兵士が加わっていた事。


 二つは緒戦をベルシスに上手く策にはめられ、その戦果を恐れた上層部が援軍到来まで動くなと伝えた事。


 そして情報伝達の順番とベルシスが状況の変化を見逃さなかったことにある。


 ベルシスは三将軍に立て直しの機会など与えなかったのだ。


※  ※


 ベルシスは自軍の騎兵戦力は元より、援軍に到来したナイトランド、カナトス双方の騎兵戦力を借り受け、その日のうちに動揺の見られたセスティー将軍の陣を強襲した。


 騎兵戦力を失っているテンウや、歩兵に被害が出ているパルドの両将軍を避けたのは初撃の衝撃を高める為である。


 まず動揺の色が少ないテンウ軍団に攻勢を仕掛けると言う選択肢は今はない。


 そして、パルド軍団ではなくセスティー軍団を狙った理由の一つにのはカナギシュ騎兵の存在がある。


 カナギシュ騎兵が敵へと向かいながら矢の雨を降らせると言う攻撃方法は見ると聞くのとでは大違い。


 カナギシュ騎兵と戦闘経験のあるテンウやパルド両将軍ではなくセスティー将軍の陣を狙ったのは一層の混乱を引き起こせると踏んだからだ。


 怒涛のように迫る二千騎のカナギシュ騎兵は、投擲魔術の爆発を避けながら射程距離に入り、そこから直角に曲がり一斉に矢を放つ。


 ゾスの弓兵より射程の短い短弓だが、通常の弓よりも連射が効く。


 二千騎から放たれる矢の数は二千よりもはるかに多くゾスの歩兵たちには感じた事だろう。


 ベテランならばそれでも対処できただろうが、前線に慣れていない兵士たちが居るセスティー軍団の歩兵陣は混乱した。


 そこを突く様にロガ軍騎兵とカナトス騎兵が強襲を仕掛けたのである。


 当初はロガ騎兵のみかと思われた攻勢だったが、散開して接近していたカナトス騎兵が帝国歩兵陣の前で密集陣形を取り、一気に蹂躙する。


 その散開後に敵陣前で密集して襲い掛かるカナトス騎兵伝統の戦術に帝国歩兵たちは持ち堪えることができなかった。


 その破壊力は勿論だが、急に一点に集中してくる騎馬の群れは恐慌を駆り立てる。


 カナトスとの戦闘経験に乏しければ、この攻勢の衝撃も凄まじい物だっただろう。


 そう言う意味でもセスティー軍団を最初の標的にするのは正しかったと言える。


 ロガ軍騎兵も奮戦した。


 何せベルシス自身が陣頭に立って指揮しているのだから士気が違う。


 ベルシスの守りは勇者コーデリアとナイトランド八部衆筆頭であるフィスルが受け持ち、盤石かと思われた。


 が、セスティー将軍はただ司令部を瓦解されるだけでは終わらなかった。


 撤退を指示した後に将軍を表す幾つかの飾りを捨て、戦場でベルシスを探すと言う蛮勇に打って出た。


 手練れ二人に守られていたベルシスを見つけた彼女は混乱に乗じて近づき、恐るべき二人の手練れをやり過ごしたのちに隻眼となったベルシスの死角より襲い掛かった。


 左目側より刃を振ったのだ。


 自身の危機に鋭敏に気づいたベルシスがどうにかその刃を避けると、セスティー将軍は悔しげに腿を一つ叩いてから再度帝国軍に撤退を呼びかけた。


 司令部が瓦解してしまえばいかに兵数に勝ろうともセスティー軍団は烏合の衆。


 各個撃破の対象にしかならなかった。


 それでもテンウ、パルド両将軍の機動次第ではアルスター平原の戦いはどう転ぶか分からなかった。


 特に騎兵戦力を未だに温存しているパルド軍団の動き次第でロガ、カナトス騎兵の連合軍を撃退する事も可能であったろう。


 が、パルド将軍に自由な裁量を与えなかった者がいた。


 それはカナギシュ騎兵を指揮したウォレンであり、ナイトランド騎兵を指揮するジャネスであった。


<続く>

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