36.アルスター平原の戦い 援軍

 アルスター平原に両軍が再度陣を敷いてから一週間ほどが過ぎた頃に、フィスルに伴われベルシスを訪ねて来た者がいた。


 フィスルよりは長身で狐のような耳を持つ美女とも言うべきその姿を見て、ベルシスは隻眼を丸くして呻いた。


「メルディス?」

「勇者共々まだ生きておるか、そいつは重畳」


 彼女こそナイトランドの八部衆、つまりは将軍クラスの一人、情報を扱う影魔の称号を持つメルディス。


 ベルシスとは彼が帝都で情報を取り扱うようになってから知り合っていた顔見知りである。


 そんな彼女がナイトランドより戦地に足を運んできたのである。


 ベルシスが驚くのも無理からぬことであった。


「何故君が? この戦場に二人も観戦武官がいても良いのかね?」

「そんな物は何とでも言い繕える。じゃが、今はいつものように会話を楽しむ余裕はないぞえ」


 いつものからかいと鷹揚さを併せ持ちベルシスを翻弄する彼女だったが、今はその様な気配は皆無だった。


 それだけに重大な要件できた事が伺い知れた。


「……帝国軍が援軍でも差し向けるか?」

「良く分かったな? もしや、対陣しながらも諜報を?」

「諜報活動などする暇はない。単に最悪の事態を述べただけだ。述べただけだが……」


 ベルシスはゾス帝国の底力を見せつけられている気分に陥る。


 膠着状態となった戦場にさらに兵力を投入しようなどと言う戦い方ができるのは、それだけの大兵力を有しているからであり、それだけの兵力を支える輜重隊が存在するからだ。


 輜重隊に関してはここまで縦横に動けているのはベルシスの功績でもある為、自分で自分の首を絞めている様な感覚すら覚える。


 ともあれ圧倒的な物量の前では下手な小細工など粉砕されるのみ。


 だが今のベルシスにはそれらよりも誰が来るのかが問題だった。


 三将軍に対する援軍となればこれは一人しか思い浮かばないからだ。


「カルーザスはどの程度でここに来る?」

「……援軍を指揮するのはカルーザス将軍ではないぞ? ザイツ・カールツァス将軍だ」

「へぇ……あのご老体が今更動くとはね」


 ベルシスは普段はあまり人を馬鹿にするような言動を取らなかったが、この時ばかりは語る言葉に皮肉の毒が混じった。


 その言葉に物珍しそうな顔をしたフィスルを見やって、メルディスは少しばかり得意そうに言った。


「ベルシスと言う男は存外に負けん気が強い。特に口先ばかりの腰抜け野郎に対しては辛辣になる事も――」

「ああ、はいはい」


 フィスルは片手を振ってメルディスの言葉を遮り。


「ともかく、援軍は厄介だよ」

「そうだな……。情報をありがとう、わが軍はこれより軍議を行う、主だったものを呼んできてくれ」


 何やらむっとしているメルディスを横目にベルシスは天幕の外で歩哨をしていた兵士に声を掛ければ、皆が集まるのを待った。


※  ※


 集まった者たちはベルシスの傍らに立つメルディスの姿を認めて目を瞠っていたので、ナイトランドの古い知己であると皆に紹介した。


 メルディスが良しなにと頭を下げると勇者たちを見やってお主らも災難じゃなと声を掛けた。


 まぁなと答えたリウシスの後を継いでシグリッドが訝しげに問う。


「それで援軍とは?」

「お主の主とジャネスじゃな」


 その言葉にシグリッドが驚いたように目を丸くしていたが、それはベルシスとて同じことだろう。


 シグリッドに向けてお主の主と言う事はカナトス王ローラン、それにジャネスとはナイトランド八部衆の一人、軍団指揮に長け猛将の名を欲しいままにしている炎魔のジャネスであろう。


「おい、聞いてないぞ!」

「まだ言ってなかったからのぉ」


 思わず声を上げたベルシスにメルディスは曰くありげな視線を寄越してにんまりと笑った。


「援軍の到来についての軍議じゃなかったのか?」


 ベルシスとメルディスのやり取りにリウシスが訝しげに問う。


「……ああ、そのつもりだった。帝国軍の援軍についての話しか聞いていなかったからな」

「危機的状況に変わりはないぞえ、何せ帝国の援軍は五万規模じゃからな」


 その一言は劇的だった。


 場の弛緩しかけていた雰囲気が一気に引き締まるのを感じる。


 同郷の援軍が来ると知り知らずと安堵しかけていたシグリッドは言うに及ばず、リウシスも口を真一文字に引き締めた。


 コーデリアは一瞬俯き、まっすぐにベルシスを見やって言う。


「大丈夫、誰にも手出しはさせないから」

「君も無事じゃないと困るんだが」


 その様子に危うさを感じてベルシスがそう声をかけると、メルディスがほう、と声を上げた。


「なんだ、お主。こういう娘の方が好みかえ?」

「な、何の話だ」


 ベルシスが隻眼を見開いて思わずメルディスを見やると、彼女は少しばかり可笑しそうにこちらを見ている。


 そして、その双眸を細めて言った。


「コーデリア殿が命がけでお主を守ったのは聞いている。じゃが、ワシもフィスルから報告を受ければ魔王様に働きかけ、カナトス王に利を説き、ガルザドレスやパーレイジともロガ王支援の為に連合を組むべくと奔走したのだぞ」

「う、うむ?」


(色々とやって貰っていたみたいで恐縮だが、何故ここでそんな話を始めるのか? てか、何か今聞き逃しちゃいけない言葉を言ってた気がするんだが……)


 若干気圧されるベルシスに畳みかけるようにメルディスは言葉を強める。


「もうちっと、ワシにも労りとかあっても良いと思うんじゃが? じゃが?」

「うわ……メルディス、報酬の催促? 私の情報を元に動いたのに?」


 フィスルがいつも通りの表情の無さで淡々と告げるがその中身は中々に辛辣な言葉だったが、慣れているのかメルディスは胸を張って言い返す。


「確かに大元はお主だが、ワシとて働いたんじゃから当然じゃ」

「……ええと、貴公の働きには感謝するが、何を要求されるのか怖いんだが……」

「まあ、そうさな。この戦に勝ってから要求するとしようかの。で、基本方針はどうする?」


 脱線しかけていた軍議をその一言で軌道修正できたのは流石はナイトランドの八部衆か。


 いや、メルディスが話題を変えなかったならば脱線も無かった訳だがそれを指摘する者はこの場にはいなかった。


 ともあれ、今後の方針など決めるべきことを決めなくてはならない。


「どちらの援軍が早く戦場に入るかで勝負は決すると言える。が、帝国軍は既に帝都を発している、遅くて十五日後、早ければ十日前後には戦場入りすると思われる」


 そこまで口にしてベルシスは違和感に気づいた。


 五万もの帝国軍が到着すればもはや万事休すと言える。


 例え指揮官がザイツ将軍であろうとも、三将軍の元に五万の兵が来れば勝敗は決したと言える。


 それは情報を持って来たメルディスも知っている、なのに彼女は随分と落ち着いているようにベルシスには見えた。


 それの意味する所は何か? ベルシスは頭を働かせて考える。


「ナイトランドおよびカナトスの援軍の方が来るのが早いのか?」


 伺うようにメルディスを横目で見やりながら問いかけると、彼女はにんまりと笑って告げた。


「いや、違うな。もう来ている」


 衝撃的な発言であるのだが、ベルシスはその意味を計りかねて眉根を寄せた。


 その時だ、物見からの報告を携えた兵士が慌てて飛び込んできた。


「失礼します! ロガ将軍! 物見からの報告! ナイトランド、カナトスの軍旗を掲げた一団が姿を見せ、アルスター平原に向かっております!」


 慌てたような兵士の声にメルディスは笑みを深め、フィスルは肩を竦めるがベルシスは未だに思考が追い付かない。


(ナイトランドにカナトスねぇ、きっと、三将軍も大慌てだろうなぁ……)


 と思えば、ようやく意識が切り替わった。


「ならば、早急に出陣の準備を!!」


 ベルシスの言葉に我を取り戻した者たちが動き出す。


 誰も予期していなかった援軍の到来は帝国に困惑と猜疑を振りまくだろう。


 ならば、この機を逃す手はない。


<続く>

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る