35.アルスター平原の戦い 再び平地へ
戦いの音が近づく中、ベルシスは伝う汗を拭いながら丘を登っていく。
すると、再び伝令が走ってきた。
「第二陣、リウシス隊五千、所定位置に到着しました!」
「丘を下り、攻撃を開始せよ!」
即座に伝令がリウシス隊の方角へと走っていく。
その間もベルシス率いる一団は丘を登り、そしてようやく登り切った。
眼下には帝国軍がブルーム隊、トーリ隊と戦っている様子が見える。
連なる丘陵地の合間、蛇行するように伸び切った帝国軍の戦列はさながら蛇のようだ。
中央付近に兵が多いのか膨らんでいる様子は、二匹の蛇が互いの頭を食らい合っているようにも見えた。
その二匹の蛇のうち、テンウ将軍が率いた軍団の最後尾を叩いたブルーム隊、トーリ隊は敵陣の混乱も相まって順調に押している。
或いはパーレイジ王国の兵装に似た傭兵トーリ率いる重装歩兵部隊の存在が混乱に拍車をかけているのかもしれない。
さらに叩くべく丘を下り攻撃を開始したリウシス部隊がテンウ軍団の真ん中に食らいついた。
味方が邪魔で退けないテンウ軍団は魔術による攻撃と矢の雨、そして駄目押しの歩兵の半包囲攻撃に数を減らしていく。
その恐怖は縦に長い帝国軍の戦列に伝播していく。
敵が僅かに一万五千と知れば、数の利を思い出せたのだろうが生憎とこちらがどれほどの戦力は図ることは出来ない。
矢の雨は未だに降り続いているし、いつ魔術兵の攻撃が再開されるか分からない。
そして、将軍の指示を伝えるべく動き回る伝令が何故か流れ矢で射抜かれていく。
これは傭兵ディアナが率いる弓兵部隊が得意とする狙撃が功を奏している。
ベルシスは通常の矢の射程距離よりも長い射程でも目標を射抜けるディアナたちを通信妨害の手段として、すなわち伝令を射抜く事に用いたのだ。
それに上級士官と思しき兵士の狙撃もセットで運用する事で帝国軍の戦列に混乱の渦を造り上げた。
最後の仕上げは戦っているロガ軍の兵士たちへベルシスが叫ぶことで完了となる。
「帝国軍は敗走しだしたぞ! 残敵を掃討せよ!!」
敵と接触したベルシスが声を大にして叫ぶ。
ロガ軍の兵士たちが口々に帝国軍の敗走と残敵に掃討を叫ぶと、混乱と恐怖は伝播していき状況がまるで分からないパルド軍団の最後尾が崩れた。
同士討ちの叫び、魔術兵の攻撃と矢の雨で浮足立ている所に白兵戦の音が響き、一切の情報が伝達されない状況下、そして極めつけに敵による帝国軍の敗走を知らせる勝利の声。
パルド将軍が傍にいれば一喝して鎮める事も出来ただろうが、彼は戦列の中央で同士討ちを治めていた。
それはテンウ将軍にも言える事で、パルド軍団は敗走を始めテンウ軍団は討ち取られながら戦列の中央に押しやられていく。
中央の兵士たちはロガ歩兵に押されたテンウ軍団にパルド軍団の方へと押しやられ、そして敗走が始まっている事にそこで気付いて更に慌てる。
そうなれば、両将軍がどれほど駆け回り叫ぼうとも帝国軍は敗走へと向かう。
ベルシスの予測通りに、程なくして抵抗は弱まり帝国軍は丘陵地から押し出される形で長い坂を下っていく。
ベルシスがただ時間を稼ぐつもりならば、このまま丘陵地に籠っていればおいそれと敵も攻めてはこないのだろう。
だが、アルスター平原の戦いはそう言う戦いではない。
押し出したアルスター平原にロガ軍も再び布陣して雌雄を決せねばならなかった。
決意を新たにしていたベルシスが全軍の集結を命じた頃、騎兵部隊からの伝令が届く。
セスティー将軍の本陣は健在、と。
だが、その一報は今のベルシスには意外ではなかった。
※ ※
半日も経過すれば帝国もロガ軍も再びアルスター平原に陣を敷いた。
帝国は丘陵地での戦いを続けることが出来なくなったための敗走であり、ロガ軍は戦術的な観点からの進軍という違いはあったが再び振り出しに戻った。
ロガ側の損害は僅かで、帝国軍はパルド将軍、テンウ将軍の軍団に損害が生じている。
それでも、数は帝国軍の方が未だに上。
今回のロガ領制圧の主将セスティー将軍の軍団が健在である為、一時の勝利では戦略的不利を覆すことが出来なかったのである。
そして、ベルシスは自身の手札は全て切ってしまっていた。
だが、手札を切らねば今なお立っていることができるかは不明である。
要害化した土地に引きずり込んで叩くという基本戦術でしかなかったが、その戦果は大きいと言えた。
兵の損害はそこまででもなかったが三将軍に精神的な圧力をかける事に成功した。
ベルシスの目から見ても彼らの動きが鈍くなったのだからよほど堪えたのだろう。
いつもならば真っ先に動き出すテンウ将軍すらこちらの動向を伺っているほどだ。
(これはチャンスだ……)
そうベルシスが思うのも無理はない。
戦は兵数がまず大事なのは当然だが、他にもいろいろと要因が混ざり合って勝敗が決する。
例えば補給物資の有無なども顕著だが、いかに主導権を握るのかが重要になる場合も多い。
これは優勢に事を進めるという意味合いばかりではなく、どこで戦うのか、相手をいかに後手に回すのかという側面も持っている。
つまり、意思決定を自分で行うか、相手が行うかの違いなのだ。
攻勢側が優位だと良く言われる理由に、戦の主導権を握りやすいからというのも事実としてある。
攻められた側はそれが誘い込んだものでもない限りは、攻めの後手に回らざる得ないからだ。
防御が好きというのなら戦はするな、黙って踏みつけられていろと言う格言すらあるほどだ。
それを思えば、ベルシスにとって三将軍の動きが鈍い事は幸いだった。
ただ、その鈍さがベルシスを恐れてと言うより何か必勝の策の為の時間稼ぎと言うのならば問題であったが……。
もし三将軍が開き直って力押しで攻めてくればベルシスが積み上げて来た戦果など軽く消し飛ぶ。
それほどまでに、戦力差は明確だ。
例え一時は押し返せても、いずれは多勢に無勢で倒されてしまう。
これは悲観的な観測ではなく、客観的な事実でしかないのだ。
それを心得ているベルシスであるからこそ、敵が鈍く動かざる得ない状況を長く続かせる様に画策せねばならない。
そこでベルシスには必勝の策があり会戦を望んでいると言う噂を流すことにした。
(……非常にリスキーな噂だが、もし先の誘い込みが今の三将軍の動きの鈍さに繋がっているのならば、必ずや有効だ)
そう思いはするのだが、ベルシスは何かが引っ掛かっていた。
果たしてこのまま対陣したまま時間ばかり過ぎるような策が正解なのだろうか? 雪でも降れば流石に兵を退き上げるとは思うが……。
深く考え込んでいたベルシスだったが、ともかく噂を流すように間者に指示をする。
それが果たして正解だったのかは分からない事ではあったが。
<続く>
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