34.アルスター平原の戦い 丘陵地の戦い
ロガ軍はベルシスの策が功を奏してテンウ、パルド率いる軍団にまずは一撃を叩きこんだが、未だそれは戦果と呼ぶには乏しい物でしかなかった。
火砲の発達していないこの時代の戦いにおいて遠距離攻撃だけで敵を打ち倒せるなどと言う事は殆どなく、必ず白兵を挑まねばならない。
帝国軍は起伏に富んだ地形と同士討ちの衝撃、そしてそこにすかさず叩き込まれた投擲魔術による爆発や矢の雨で浮足立っている。
今はまだ戦果としては乏しくとも、ベルシスはこの機を使って戦果をあげねばならなかった。
ベルシスは攻撃を開始したその時に各地で伏せている歩兵部隊に合図を送る。
矢の雨に晒されている両将軍にこの狼煙を認識できたかは不明だが、例え認識できたとしても兵が指示に従わない状況下では意味がない。
それが歩兵の集結および突撃命令と理解できたとしても、混乱をまとめ反撃する時間は殆どなかったと言って良い。
どれほど規律のしっかりした軍隊でも、一度恐怖に飲まれれば立て直すのは至難の技であるからだ。
彼の名将カルーザスとてそれが可能かどうか。
最も、彼であれば同士討ちの愚を犯すことはなかったであろうが。
ともあれ、ベルシスの放った合図によりロガ軍は敵が集まる地点に攻撃を加えるべく移動を開始した。
ここで帝国軍を押し返す事が出来ねば、善戦虚しく敗北が近づいてくる。
それを自覚しているからこそベルシスは手に汗を握りながら、その足で騎兵が待機している場所へと向かった。
(或いは、これから行おうとしている事ほど無謀な事も無いだろう。それでも今が好機なのだ……)
挟撃されて散り散りに逃げ出してくるロガ軍を殲滅するためにセスティー将軍がこの丘陵地を包囲していた場合、本陣を守る兵は少なくなっている筈。
そこに騎兵戦力の全てをぶつけて本陣を急襲すると言う策は確かに無謀そのものだった。
ボレダン族とカナギシュ族の軋轢をベルシスの叔父ユーゼフの動きで治める事ができなかったらベルシスとてこの様な策を思いつかなかっただろうとベルシスは叔父の行動を思い返す。
ユーゼフは親族の前で真意を吐露した翌日には騎馬民族たちを集めて訴えたのだ。
自分の犯した罪とそれを許したベルシスの寛容さを。
それはただの甘さではなく、次に繋げる為の生き残る戦術なのだと。
「互いを許せとは言わん! だが、相争ってきたからこそ互いの力を知っている筈だ! お主ら勇士が力を合わせねば帝国には勝てん! 互いに争いゾスに、いや皇帝ロスカーンに利するか! それとも帝国騎兵には敵わぬから言い訳の口実でも作っておるのかっ!」
最終的にはそんな叱咤激励までしてのけた叔父の胆力にベルシスは舌を巻いた。
その叔父の足が震えている事も見逃さなかったが、だからこそ、ベルシスは叔父ユーゼフに深く感謝の念を抱いたのだ。
その後はベルシスがボレダン族、カナギシュ族にそれぞれ語り掛ける。
お前たちは戦の要であるが、これ以上の軋轢が目に見えるようでは用いる訳にはいかないと。
律は正さねばならないのだと訴えかけた所で、ゼスとウォランが己の部族に非を詫びて戦働きにてこの汚名を雪ぐ旨を告げた。
これが功を奏して騎馬民族は奮起した。
そんな事を考えていると、軍馬のいななきが聞こえて来た。
騎兵の待機場所はすぐそこに迫っていた。
※ ※
「では、シグリッド殿。手筈通りに」
「分かりました、将軍。……カナトス騎兵の私がゾスの騎兵を指揮する事になろうとは……不思議な物ですね」
彼女の言葉にベルシスは苦笑を浮かべながら頷きを返す。
本当に不思議な物だ、と。
ボレダン族をはじめとしたゾスの騎兵たちは遠方で響く魔術兵の攻撃の音に覚悟を決めていたらしく、シグリッドの下知に従って動き始める。
カナギシュ騎兵も同じくシグリッドに従い隊列を組み走っていく。
ウォランやアネスタの姿も見送ってから、ベルシスは歩兵が攻勢を仕掛けようという場所に急いで向かった。
歩兵部隊についてはブルームやリウシスに任せているが初戦の要である。
ベルシス自身も陣頭に立ってしっかり戦わねばなるまい。
※ ※
ベルシスの作戦はこうだ。
歩兵はまずは混乱する帝国軍に見つからぬように丘を登ってから、攻撃を開始する予定になっている。
これは複数に連なる丘の上から攻め入る事で高所の有利を得る為でもあるが、視覚的な絶望感を帝国軍に与え士気をくじく事を目的にしている。
士気が維持できなければ兵は容易く逃げ出すからだ、戦力差がいくつあろうとも関係なく。
恐怖は伝播する、逃げる兵士に釣られて逃げる者も多数出てくる。
「とは言え、敵はゾス帝国軍……」
練度高い正規軍である。持ち堪えて迎撃してくる可能性の方が高い。
だが、そうであったとしても混乱する今の帝国軍であれば、秩序だって打撃を与えればアルスター平原に押し出すことは可能だとベルシスは考える。
その時点でセスティー将軍の本陣を落とせていれば勝ったも同然だが、そもそも彼女が包囲を敷いていなかったり、騎兵の強襲で本陣を落とせていなかった場合は五分かやや不利な状況になっている。
初めの頃よりは勝ち筋と言う物が見えやすくはなっている。
最も、三将軍が優れた手腕で敗残兵をまとめ上げられると言うのならばこの限りではない。
ともあれ、これらはロガ軍の歩兵の攻勢が成功して初めて成り立つ。
そして、ベルシスの予想を上回り混乱から回復した帝国軍に歩兵の攻勢を押し返されれば、先ほども書いたが善戦虚しくと言う訳だ。
そろそろ魔術兵の攻撃が止む頃合い。
魔力が回復するには時間かかるが、その間彼らは無力になる。
その間も弓兵は矢を放つが、その数は敵兵に比べればはるかに少ない。
そうなれば混乱から回復される可能性が高い。
(だから、畳みかける。一息つく暇など与えない、極限まで兵を伏せているのはその為だ)
「先鋒のブルーム隊五千、傭兵トーリ率いる重装歩兵二千配置につきました」
「間に合ったか……攻撃開始」
行軍の最中に伝令がもたらした報告に安堵の息を吐きながらベルシスは指示を飛ばす。
急ぎ戻る伝令の背を見送り、中軸を担うリウシスと五千の兵が配置する筈の場所を見やる。
もうすぐ丘を登り切りそうな位置に彼らが見えた。
……さほどの遅れもないか。
彼らが遅れそうな場合は後詰として最後に敵陣に向かう手はずだった、ベルシスやコーデリアのいるこの三千の兵で急ぎ突っ込むつもりだったが、杞憂に終わりそうだ。
「先鋒は戦闘に入る! 我らも遅れる訳にはいかない、足を動かせ!」
戦装備を纏って丘を登ると言うのはつらい物がある。
それでも登り切り、今度は丘を下って敵と戦わねばならないのだ。
相変わらず無茶な作戦ではあるのだが、兵士たちはよく訓練しており、その無茶に応えてくれる。
そこにはベルシスに対する信頼だけではなく、ゾス帝国の最近の悪政に対する憤りもある。
彼らの心を読み違えずに、彼らに報いるには民が健やかに暮らせる様に税を公平に扱う事だとベルシスは静かに思い、我に返って苦く思う。
(……まるで王にでもなったような考え方だな。そんな物は、今目の前の戦に勝ってから考えるべきことだ)
そう胸中で思いながらベルシスは丘を黙々と登っていく。
その間にも丘の向こうで雄たけびと共に白兵戦の音が響きだした。
先鋒が帝国軍と戦闘を開始したのだ。
<続く>
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