32.アルスター平原の戦い 開戦

 三将軍が軍団を率いて南下してくれば、ロガ領にたどり着く前にベルシスもアルスター平原に陣を構える。


 元より準備はしてきたし、敵より少数であるからロガ軍の動きは素早い。


 それだけが取り柄だなとベルシスは肩を竦めながら、アルスター平原にて三将軍を待ち構える。


 ベルシスの指揮下で二万の兵が十万の兵を迎え撃とうと言う状況下、誰もが緊張感に静まり返っている。


 そうした空気の中ロガ軍がアルスター平原に陣を構えてから五日遅れて漸くゾス帝国の軍団が姿を現す。


 ベルシスの考え通りまずは誘い込みに成功したと言える。


 三将軍とて理解しているのだ、ルダイを攻めた所で軍事力を叩かねば戦は終わらない事を。


 当たり前の話ではあるが、そうはならない事も起こりえるのが戦という物。


 だから、まずは決戦の場に彼らを引きずり出せたことにベルシスは安堵の息を吐き出した。


 だがここからが問題だ。


 ロガ軍はこの後、機を見てロガ領に撤退する振りをしながら坂道を登り切らねばならないのだから。


 ゾス軍が到着してすぐには事を起こしてはいけない。


 意表を突かねば追いつかれる。


 ベルシスとて本当は丘陵地で陣を構えていたかったが、そうなれば三将軍が決戦に応じたのかは微妙であっただろう。


 ロガ領を荒らしてベルシスが我慢できなくなって打って出るのを待ったかもしれない。


 それが兵法と言う物であればベルシスにも卑怯だなどと言う気はない。


 が、そう言う状況に陥ってより多くの気苦労を抱え込まないと言う一事だけでもありがたかった。


 この時代、軍団が戦場に着いてすぐに戦いが始まらないのが常だ。


 まずは互いに機を窺いながら、どこをどう叩けば効率が良いかを見破ろうとする。


 相手の陣に穴はないか? 彼我との戦力差はいかほどか? どんな兵種を揃えているのかなどなど推しはかる。


 レヌ川の戦いが着陣後に割とすぐの始まったのは、アーリー将軍が進軍速度を下げてしまった事に起因する。


 戦力が劣る相手に慎重を期すぎたと見られたのである。


 だからベルシスには懸念があった。


 今回も戦力差に驕りそのまま戦闘を開始されていたら危ないと。


 即座反転して逃げ出しても被害は多く出てしまっただろう。


 陣の周りには堀や柵を巡らせてあるとはいえ、勢いづいた軍が相手では然程多くの時間は稼げない


 だが、ゾス帝国軍は定石どおりに陣の構築に移ったことを確認できベルシスが再度安堵の息を吐き出したのは言うまでもない。


(夜は無事に迎えられそうだ……)


 夜半を待ってベルシスはロガ領に向かって撤退を指示する手筈になっている。


 これもきわどい綱渡りになるであろうことは明白だった。


 なにせ、帝国軍には途中で気付いてもらわねばならないのだから。


 撤退にすらもたついていると思わせなければ、戦功を求めるテンウ将軍やパルド将軍を釣り出せないだろう。


 どちらかが釣れればもう片方も自ずと釣れるはず。


 彼らと接敵する前に入り組んだ丘陵地に伏せてある五千の傭兵と力を合わせて戦うのだ。


 十万の敵を一気に相手にするのではなく、三万程度の敵を起伏に富んだ地形に誘い込んで更に分断しながら戦う。


 万が一彼らが乗って来なければ……この丘陵地を自陣として持久戦に持ち込む羽目になる。


 そうなるとそれこそ援軍でも来ない限りは、状況の打破が難しくなる、だからせめて一軍団、出来れば二軍団を叩いて置かねばならない。


 元々三倍以上の敵と戦うこと自体が無謀、どんな策でも講じてでも勝ちを引き寄せなくてはならない。


(そう決意はしているのだけれども……果たして上手く行くだろうか?)


 ベルシスは帝国軍の布陣にどことなく嫌な予感を覚えながらそんな事を考えていた。


※  ※


 無事に夜を迎えた。


 次は逃げださねばならない。


「全軍に通達、手筈通りに逃げるぞ」


 ベルシスの指示に従い、兵士たちは必要最低限の物だけを持って坂道を登り始める。


 ここにある物資は元より廃棄予定の物だ。


 ある程度は身軽になって逃げねば、坂道を登った所で疲労困ぱいと言う事にもなりかねない。


 何とも地味な作戦ではあったが、ともかく夜闇の恩恵を受けながら大半の兵士が坂を登っていく。


「そろそろだな……」


 第一陣の最後尾が坂の半分まで達したと聞けば、ベルシスは次の作戦に移る。


 自身が率いる第二陣も坂を登り始めるのだが、そろそろ敵に気付かれなくてはいけない。


 当然帝国軍も気配を察して追撃の準備に入っているかも知れない、ただそれを確実なものにするためにベルシスは自身が陣を構えていた近くに火を放った。


 下手に火を放つと柵も燃えてしまい相手の進軍速度を速めたり、或いは火勢が強くて進軍不可となれば、ベルシスが望む戦いの場に彼らを引きずり込めなくなる。


 工作兵が注意深く火を放つと、廃棄予定だった物資の一部が煌々と燃え上がる。


 いかにも混乱した風に兵に声を出させながら、ベルシス率いる一団は淡々と、口だけはやかましく撤退を始めた。


 追ってきてほしい、だが、まだ追ってきてほしくないと言う相反する思いを抱えながら。


 そんな思いからかいつしか、第二陣の者達は押し黙ってしまい坂を黙々と登っていた。


 背後で馬のいななきが聞こえると、誰かがつばを飲み込んだ音が響く。


 或いは、ベルシス自身が飲んだつばだったかもしれない。


「来たか……速度を上げるぞ」


 指示を飛ばしながらベルシスは歩き続けた。


 徐々に足早になっていきそうになるのを堪えて、兵士に声を出すように指示した。


 こちらの存在を示しながら、逃げるのに精いっぱいで追手に気付いていない風を装うために。


 相手が斥候であれば急ぎ戻り、伝えると思われた。


 既に騎兵の集団が迫っているにしては、気配がなさすぎるからそう判断したが……。


 ベルシスはそんな思いから振り返ってしまう。


 ちょうど坂道を半分ほど登り終えた所だが、ベルシスの陣があった場所に無数の明かりが集まっているのが見えた。


 遠くで声が聞こえる。


「ロガ軍捕捉!!」

「追うぞ!」


 その声には聞き覚えがあった。


(……珍しいな、パルド将軍の方が先に釣れたか。テンウ将軍が最初とばかり思っていたが……)


 ベルシスは策が成ったことに安堵しながらも、そこはかとない違和感を覚える。


 パルド将軍はテンウ将軍との功績争いが絡まなければ、それほど無茶をする性質ではない。


 逃げる敵の追撃は確かにそこまで無茶な話ではないが……。


(テンウ将軍の率いる軍は正に枯れ野に放たれた火の如き進軍速度を誇る。それを上回ってパルド将軍が進軍してくる?)


 違和感の正体に気付いたベルシスは懸命に思考を巡らせた。


(……彼ら二人の共同作戦の可能性もある。例えば、進軍速度の速いテンウ将軍が我らの行く手に回り込み、パルド将軍が追撃を行い挟撃する手筈だとか……)


 そこまで考えが至れば、ベルシスは微かに舌打ちをした。


(不味いな、私たちが敵を分断するつもりでいたのに、敵が私たちに二正面作戦を取らせようとしている。どう戦う? どう切り抜ける?)

 

 坂道を登りながら考えを巡らせるが、疲労と焦りの為か妙案は浮かばなかった。


 そして、坂道を登り切ればともかく手筈通りに合流を果たすしかない。


 帝国軍はもう坂を登り切ろうとしていた。


 決戦は間近である。


(……カナトス王アメデとの初戦を……隘路で大軍と事を構えたあの戦いを思い出しすよ、まったく……)


 内心ぼやきながら、ベルシスは皆と合流を果たす。


 あの時は思わぬ援軍が、カルーザスが独立騎兵部隊を率いて来てくれたが今回はその様なサプライズは期待できない。

 

 ただ、やれることをやるしかないのだ。


 そう自身に言い聞かせて、登り切ってきたパルド軍を迎え撃つべくベルシスは作戦を開始した。


<続く>

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る