23.帝国の鈍い動き

 傭兵たちが降ればもはやクラー領内に長居は無用と、ベルシス率いる一団は昼夜問わずとはいかなかったが、極力急いでロガ領へ戻った。


 行きに数日、帰りに三週間近くと往復で一カ月近く留守にしていたが、事態は大きく動いておらず、ベルシスはほっと安堵の息を吐き出した。


 最も、何か動きがあれば魔術師であるジェストを通じて報告が来ている筈なので、さほど心配はしていなかったが。


 だが、相手が動かぬからとこちらが動かぬ道理は無しとばかりにベルシスは積極的に動いた。


 その動いた結果の一つには、三勇者とのコミュニケーションの促進であった。


 これは言葉通りの意味もあったが、彼らの能力の見極めと言う今後共に戦うならば重要な意味も含んでいた。


 ゆえにかベルシスは帰還してから三日後には三勇者と仲間たちを茶会に招いていた。


 とは言え、茶会にふさわしい優雅な話題など持ち合わせてもいないベルシスにとっては現状を話して情報の共有化を図るしかなかったわけだが……。


「動きが無いのはありがたいが、帝国はどうするつもりなんだ? 五倍以上の兵力差をもってしても負けたままでは、外交上よくない筈だが動きがあまり見られない」

「カナトスとの戦いの際は数万の軍勢を三回は動員されましたからね。三回目が特にきつかったのを思い出します」


 懐かしむ様に薄い青色の瞳を細めてシグリッドがしみじみと告げる。


 彼女はあのカナトスが挙兵した際の戦いに参加していた。


 そして、降伏調印の席でベルシスを見ることになった。


「三回目はロガ将軍が指揮していたと聞くが?」

「ええ、恐ろしかったですよ。決して決戦はせずに守りを固めるだけの将軍が」

「それで怖いのか?」


 リウシスが黒髪を弄りながら怪訝そうに問うと、彼の仲間である魔術師のフレアが肩を竦めて告げる。


「怖い理由があるに決まってるでしょ? 補給が滞ったからでしょう、シグリッド殿 」

「ええ。補給路を割り出され、物資が届きにくくなりました。食事は日に日に貧相になり、陣は殺気立っていきました。そんな状況で非はそちらにあるが、この条件を飲めば矛を収めると時折使者が来る……戦意を保てるものではありませんよ」


 そうシグリッドが告げると、幾人かの視線がベルシスに突き刺さる。


 思わず言葉に窮したベルシスを助けるようにシグリッドが幾分慌てたように言葉を連ねた。


「ただし、ロガ将軍がカナトスでそれ程憎まれていないどころか、尊敬を得ているのには訳があります。最初に提示した講和の条件をどれほど有利になろうとも変えなかった事や、捕虜にされかけていたローラン王を有無も言わさず助けた事がありましたので」


 突き刺さっていた視線はある種の敬意にすり替わったようにベルシスには思えた。


 もっともベルシスにしてみれば当然のふるまいでしかなたったのだが。


「有利になれば条件を釣り上げるのが商売では?」

「確かに戦は商売に似ているが違う部分もある。それに……勝って驕らず、負けて挫けずがゾス軍の矜持であると教えられていたからな」

「そいつは立派な矜持だ、しっかりその教えを守れていればな」


 リウシスは皮肉気に言った。


 その言葉にベルシスは若干眉根を下げて頷かざる得ない、それが帝国軍の中にもその矜持を守れる物が少ない事を示している


 その時、それまで黙っていたリウシスの仲間であるティニアが口を開いた。


 褐色の肌に白い髪を持つ妖精族の彼女の言葉は、帝都で名を馳せた詩人の美声の様に澄み切っていた。


「カナトスの際と違うのは、ゾス帝国が防衛側だったと言う事。今回は逆にゾス帝国が攻め手側。勝てなければ一層周囲が侮る」

「そうね、ティニアの言う通りだわ。なのに派兵の動きが無いのは、アーリーと言う将軍がそれだけ信頼されているから?」


 美声ながら鋭いティニアの指摘を受けてフレアが自身のオレンジがかった金髪を弄りながら疑問を口にする。


(……やはり、彼女らには素養がある。いや、彼女らだけではない。元がカナトス騎兵であるシグリッド殿は無論、リウシス殿にもその素養は備わっている)


 ベルシスは勇者とその仲間たちの内に軍事の才能が眠っている事を感じ取っていた。


 特別に強い兵士と言うだけではなく、将として、或いは参謀としての気質とでも呼ぶべきものが彼らの内にはあるように思えたのだ。


「将軍。貴方は良く私たちに話をする。何故だ?」


 不意にシグリッドの仲間である背の高い女戦士シーズが口を開く。


 歴戦だが豪快と言う感じは全くない物静かなこの女戦士は、何処か物憂げな雰囲気を持っている。


「それは、わしらの気質を計っているのであろうよ。誰がどんな事を気に掛けているのか、いないのか。戦向きか、向かないのか」


 そう言葉を返したのはコーデリアの仲間であるドランだ。


 背の若干低い老人だがその体は筋骨隆々で、レヌ川の戦いでは自慢の戦槌で暴れまわってくれた。


 彼は戦士としての力量も高いが、三柱神の一柱である戦装束の淑女の神官でもある。


 戦いの女神の神官であるから戦術にも長けているのは道理である。


 ベルシスはドランの言葉に頷きつつも、付け足そうと口を開きかけたが。


「一人で考えるのが大変だからじゃないの?」

(……それ)


 ベルシスのもう一つの思惑を言い当てた勇者コーデリアに、内心頷きを返してから告げる。


「ドラン殿の言う事も、コーデリア殿の言う事も間違いではない。と言うかどちらも正解だ。君たちの力を借りるうえで間違った借り方はしたくない。それに知恵ある方々に話を聞いておくと、最終判断の助けにもなる」

「アタシはみんなみたいな知恵はないよ?」


 コーデリアが小首を傾いで言うがベルシスは首を左右に振りその言葉を否定した。


「君は知恵者だよ、賢者の言葉を私に伝えてくれたじゃないか? ……私はその賢者を守れなかった無能者だが」

「……お姉ちゃんの言葉、覚えていたんだね、将軍……。でも、お姉ちゃんが、死んでしまったのはロガ将軍のせいじゃないよ」

「帝国の中枢にいながら野盗の跳梁を防げなかったのは私の」


 そこまで告げた所で不意にベルシスの目の前に白い袖に覆われた手が現れて、ふわりと揺れた。


「貴方一人の所為ではない、そうではないですか、ロガ将軍? それに、コーディが将軍をお恨みしているとお思いですか?」

「いや、そう思ってはいないのだが……」

「職務に生真面目なのは結構ですが、全てを背負い込むとストレスで倒れますよ?」


 手の主はコーデリアの仲間であり、今では彼女の姉代わりであると言うアンジェリカであった。


 やはり三柱神の一柱である輝ける大君主の高司祭と言うのは伊達ではないようで、暗くなりかけていた空気をあっという間に切り替えた。


「ロガ将軍は困るんだよなぁ、悪辣とも違うし、正義の人って程じゃない。詩の題材に向いているのか向かないのか」

「そりゃ、お前さんの腕がヘボだからだろう?」

「マークイは女を口説く詩は得意だがそれ以外はからっきしだからな」


 アンジェリカが切り替えた空気を読んでか詩人のマークイがお道化たように肩を竦めると、男性陣から彼に対する集中攻撃が始まった。


(……あれは、口説こうとした女性でも横取りされたんだろうか?)


 等とベルシスが考えていると、伝令が駆け込んでくる。


「閣下! 帝都で軍編成の動き有り! 今度はセスティー将軍を主将としたロガ軍撃滅の為の軍を編成中であると皇帝が宣言しました。どうやらテンウ将軍、パルド将軍が副将として補佐するようです!」

「漸くか……。これで動ける。軍の編成には時間がかかる、先にカムン領にて態勢を立て直しているアーリー将軍との決着をつける」


 ベルシスがそう告げると、勇者一行はその切り替えの早さに驚いたのか一瞬目を丸くした後に頷きを返した。


<続く>

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