20.クラー領内の戦い 狙撃
戦いが始まるとカナギシュ騎兵は中央の重装歩兵陣に馬を走らせ、近づくにつれて矢を射かけた。
馬上で扱い短弓は射程は短いが連射が効く。
また馬の扱いに長けた彼らは雨天であっても馬を自在に走らせ、重装歩兵陣にぶつかると見せかけて不意に曲がったりと不規則な機動を集団で可能にしていた。
「凄いね」
「腑抜けつつあると言うのが嘘のようだな」
優れた馬術を見せられてフィスルが感嘆するとベルシスも頷きを返す。
敵左翼へと進んだ一団は大きく戦場を迂回している最中で、左翼の後方に回り込もうとしている。
その動きに気を取られてか敵左翼、ガザルドレス風の歩兵と魔術師の混成部隊は鈍い動きを示している。
敵右翼の軽装騎兵たちが動き出すが、騎馬民族であるカナギシュ族ほどの卓越した馬術は無い。
ただ、こちらの中央を守るローデン歩兵千二百に迫ってくる様子は何処か不気味な物を感じた。
「連中がどういう戦い方をするかだ、本当に魔術兵なのか否か」
降りしきる雨は戦場を見据えるベルシスの顔に向かって降り注いでいる。
敵陣の方角より吹く風は強くはないが一定で、雨粒と雨の匂いを運んでくる。
普段表情を変えないフィスルが僅かに顔を歪めさせてまっすぐに敵の重装歩兵陣、或いはその背後の弓兵部隊を見据えている。
「気になる所が?」
「風」
端的な物言いにベルシスは僅かに眉根を寄せた。
ただ、その言葉がどのような意味を持っていたのかを知るには今少し時間を要した。
※ ※
ゾス帝国歴二三八年、バルアド大陸歴では一四五八年。
この小さな戦いがもたらした革新的戦術を現在の銃兵たちは興味深く学ぶことになる、特に狙撃手たちは。
それと言うのも魔術師の存在が影響し火砲の発達が遅れ気味だったこの時代において、狙撃戦術という概念が初めて白日の下にさらされた戦いであるからだ。
銃も無いのに狙撃とは? と疑問に思われる方も居るだろう。
厳密に言えば現在の狙撃とは違うのは確かだ。
だが、銃弾を用いるか魔術と弓術を組み合わせ強化された矢を用いるかの差は有れど特定の目標に対して致命的な攻撃を行うことは一致している。
ゆえに戦史科では一四五八年のクラー領内の戦いで使われた戦術を狙撃戦術の原型としている。
詳しくない方にも説明するが、狙撃戦術は前述通り特定の敵、例えば指揮官や通信兵、魔術師など重要目標を狙い撃ち、敵の戦闘力を削ぐ行為だ。
その結果指揮系統を混乱させ敵全体にプレッシャーを与え行動の制限を招くものだ。
そして、トーリ率いる傭兵団の背後に潜むように存在していた弓兵部隊こそが狙撃戦術を編み出し固有の戦法としていた。
後にベルシス・ロガが多用する戦術ではあるが、当初、彼は狙われている側であったのだ。
※ ※
トーリ率いる重装歩兵は矢が横殴りの雨のように至近から放たれる状況に苦心していた。
「くそっ、騎馬民族とはこれほどかっ!」
「中々攻勢に出れません。左翼ベガ隊は回り込んだ騎兵集団に対応しているためか動きが鈍く、右翼のラザ隊の魔術は対魔術結界に殆ど弾かれている様子」
「魔術兵はいないと踏んだが……相当な手練れを連れてきているのか?」
トーリが呻くように呟くと金色の髪の青年は言葉をつづけた。
「ラザ隊が言うには半刻も攻撃を続ければ結界の破壊には成功すると」
「目の前をウロチョロする騎兵共が行かなければな」
「しかし、行って貰わねば我らが前に進めません。ディアナ隊の射程距離にはまだ遠いのですよ」
その言葉にトーリは眉間にしわを寄せて青年を見やる。
「どいつもこいつも勝手な事を言いやがる……」
そう吐き捨てると金髪の青年は僅かに頭を下げた。
「すみません」
「仕方ねぇよ、アンタと組んだ以上は一蓮托生だ。そうだろう、ディアナ」
そう告げると、トーリは重装歩兵に指示を出す。
「前に出るぞ! 弓兵たちの……いやディアナの射程距離にベルシスを捉えられればこの戦いはそれで終いだ!」
「おうっ!」
トーリの言葉に複数の声が応えを返す。
そして、重装歩兵たちは大盾を構え槍を片手にじっくりと前へと進み始めた。
ディアナと呼ばれた金髪の青年は彼らに一礼すれば、自身の率いる兵の元へと戻った。
※ ※
ロガ軍の中央歩兵陣は一定の距離を進めば、そこからは守りに入っていた。
ガザルドレスの流れを汲むベガが率いる魔術兵と歩兵の混成部隊は、騎馬に運ばれたロガ軍歩兵の突進と騎馬民族の矢に苦戦して動けない。
そして機動力を生かして中距離魔術戦を仕掛けたラザ率いる騎乗魔術兵も成果を得る事は無かった。
カナギシュ族と言う騎馬民族は休む間もなくラザ隊を襲い、隊列を崩せばすぐさまトーリ率いる重装歩兵陣に攻撃を加えてくる。
ディアナは長く苦しい戦いを強いてしまった事を後悔していた。
寡兵ではあれど騎馬民族の速度と射撃は恐ろしい精度であり、民兵の集まりだと言う歩兵たちも恐ろしく士気が高い。
これはクラー領兵との戦いを経て帝国の士気はこの程度と高を括っていた事が仇になるほどだ。
「ただの反乱者などでは無いと言う事か」
ディアナは小さく呟く。
ベルシス・ロガはなるほど、今の雇い主やクラー領主とは器が違うようだ。
それでも、討たねばならない。
この国が、ゾス帝国がどうなろうとも己が己を取り戻すのには金が要る。
「お嬢様」
「そう呼ぶなと何度言えばわかる、今の私は男だ」
ディアナは己の従者を睨むと壮年の従者は頭を垂れて。
「失礼いたしました。敵将、射程に入りましたぞ」
「そうか……風は?」
「追い風でございます、常通りに」
ディアナは恭しく差し出された矢を受け取り、従者を見やる。
「道はこれしかない」
「もはや何も言いますまい」
その言葉に頷けば弓に矢をつがえて弦を引く。
矢じりの向きは敵将の頭上へと向けられ、彼女にしか分からない目算で微調整された。
ディアナは相争う音も剣戟も雨音すらその耳に捉えることなく、無音の世界にあった。
極度の集中力がそうさせるのだ。
弦がギリギリと限界を訴える中、タイミングを計り続ける。
ディアナ隊が抱える魔術師は精々風を招く事しかできない。
だが、ディアナの弓術と組み合わさる時、狙った敵を撃ち抜く事を可能とした。
機会を待つディアナの求める風が吹いた。一際強い追い風が。
その風に乗せるようにディアナは矢を放った。
その瞬間、敵将ベルシスが此方に視線を送ったような気がしてディアナは思わずたじろいだ。
「どうなさいました?」
「……いや」
傍らの少女に何やら話している様子の敵将へ放たれた矢が迫ると、彼は不意に少女を抱えて横に飛んだ。
「何故分かったっ!」
「先の戦いで左目を射られたとか。矢により死の淵を彷徨った経験が危険を悟らせるようになったのやも」
従者の言葉を聞きながら一瞬呆然としたディアナだったが、今一度と矢をつがえようとしたその時、左翼ベガ隊を襲撃していた少数のカナギシュ族が背面に回り、ディアナの弓兵部隊に奇襲を仕掛けて来た。
「お嬢様、本日はここまでです」
「そう呼ぶなと言っただろう!」
「今はっ! ……今は、撤退を指示されるべきです。ベガ隊、ラザ隊共に荒らされております。このまま戦いに勝っても、この規模の兵力の再建には報酬の数倍の金がかかりますぞ」
ディアナが一瞬言葉に窮すると壮年の従者は恭しく頭を垂れて。
「雨は敵の不利ではなかったが、こちらには不利だったのです。せっかく得た同志をここで失うおつもりですか? あんな男の為に」
その言葉がディアナに撤退の決意をさせた。
「トーリ隊長に伝えよ、撤退すると」
クラー領内の戦いにおける初戦はこうして幕を下ろす。
<続く>
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