18.クラー領内の戦い 雨天の対陣


 帝国歴二三八年八月、クラー領も雨期に入り激しく雨降りしきる中、先端は開かれようとしていた。


※  ※


 ベルシスが考えていた予定より時間はかかったがテランスは軍を動かした。


 無論、武装集団の指揮官がロガ領からやってきたベルシスらしいと知ったからである。


 本来、敵に背を向けると言う行いは愚かの極みではあったが、テランスには現領主たる甥のエタンや不肖の息子達(テランス当人の視点では)に手出しをさせないための策があった。


 エタンに古くから仕えている男を一人買収してある。


 彼には帝都から訪れた使者の忠告を取り入れ、エタン自体には不利益にならないように手を尽くすとも言い含めてある。


 そうする事で罪悪感を薄れさせ、むしろ正しい向かわせるための方向に主を向かわせるための苦肉の策であると刷り込ませることに成功した。


 なるほど、よく働いてくれている。


 その彼がテランスの動きは罠であると進言し、動きを封じると言う単純な策であったが、それだけに効果はあった。


 ベルシスの軍勢を前にした今もエタンの軍は動かなかったのである。


「天はベルシス・ロガを見放した。いや、今まで偶然に生き永らえて来たに過ぎない」


 ベルシスの軍勢を前に喜色をあらわに指先を蠢かしているテランスの様子を胡散臭そうに一人の男が眺めている。


「偶然にしちゃぁ、結構勝ってますがね、あの将軍」

「元将軍だ! 今や奴はただの反乱者、咎人よ」


 帝国から見れば確かにベルシスはただの咎人である。


 皇帝と言う絶対権威に背いたのだから。


 だが、テランスを眺める傭兵頭のトーリにはそうは見えていないらしい。


「肩書なんざ実績の前じゃ無意味ですぜ。奴さん、偶然であろうとも実績を積んでいるし、何より五倍の兵力を偶然でひっくり返せやすかねぇ?」

「偶然に決まっておろうがっ! 貴様、傭兵の分際で帝国貴族たる儂に指図でもするつもりか!」

「別にそんな大それた事する気はないですよ。金さえ貰えりゃどうでも良いんで。ただ、命は惜しい」


 無精ひげを生やした中年傭兵の、のらりくらりとした物言いにテランスは苛立ちを募らせていく。


 歯噛みしながら睨みつけると、平然とトーリは肩を竦める始末。

 テランスの元に居る傭兵団は全部で四つ、そのうち最も勢力の多い用意兵団の頭がトーリだが、この男は雇い主を敬うと言う事を知らない。


 いや、他の傭兵団の頭共も似たり寄ったりだ。


 何と不敬な連中だとテランスが憤りを顔色で示している所に傭兵の一人が声を掛けて来た、金の髪が美しい年若い女の様な顔立ちの青年だった。


「隊長、こちらも布陣完了しました」

「おい、何故儂に言わん!」

「そりゃ、傭兵頭の俺からトップのあんたに報告するためでしょうよ。そいつが軍の律て奴じゃないんですかい?」


 テランスにしてみればむさくるしいトーリのような男と会話するよりは、報告に来たような青年と言葉を交わす方が良い。


 だが、契約に際してテランスは幾つかの事柄を守るように言われていたことを思い出す。


 その中には律は乱すなと言う言葉もあった筈だ。


「……ふん」


 鼻を鳴らしながらテランスは押し黙る。


 傭兵たちが戦わねばいかにベルシス・ロガが目の前に居ようとも功績をあげることが出来ない。


 いいや、功績などどうでも良い。目の前でベルシスが死ぬ所を見たい。


 その為には、目の前の傭兵は元よりその他の傭兵共にも働いてもらわねばならないのだ。


「さて、御大将。どうぞ、下知を」


 テランスの思いを知ってか知らずか、トーリは薄く笑みを浮かべながら畏まるように片手を胸に当て一礼した。


 不遜な男だ。


「ベルシスを殺せ」

「了解」


 トーリはテランスの下知に従い、指揮へ向かった。


※  ※


 一方のベルシスは雨天の最中にも天幕の外で敵が布陣する様子を眺めていた。


 テランスが釣り出せたことに一定の満足を覚えたが、すぐにしなくても良い戦いをしなくちゃいけない倦怠感が勝る。


「画策した私が言うのもなんだが、主敵をどうして間違えるかねぇ」

「それだけ恨まれてるんじゃないの?」


 フィスルが告げる言葉に、私の方が腹立たしいのだがと抗議を返すベルシス。


 かつてテランスがベルシスに対して刺客を送ったことがあるから余計にそう思えた。


 平地に乱を起こすのが好きな男だと呆れたように敵陣を眺めていたが、その布陣に驚きを見出した。


「あの一番数が多い一団はパーレイジの重装歩兵か? それに幾つか見慣れない兵装の連中もいるな」


 ベルシスは隻眼を細めてそう呟くと、傍らのフィスルへ視線を向ける。


「プランに変更を加えるかい?」

「騎馬の機動力を用いて戦う事に変わりはないよ、雨天でも平気だって言ってたしね」


 確かに重装歩兵を主軸にした一団にローデン歩兵をただぶち当てるようでは話にならない。


「ただ、敵の右翼にいる騎馬が気になる。ジェスト殿には負担を強いるかも」


 フィスルは敵陣右翼にかすかに見える騎馬の群れを見やって呟く。


 確かに奇妙な騎兵たちだとはベルシスも思う。


 妙に軽装なのだ。


「心当たりが?」

「バルアド大陸のどっかの国には魔術師を騎乗させて移動させながら攻撃させる戦術があるとか、ないとか」

「曖昧だな……。しかし、テランスめ、もしそうなら何処からそんな伝手を……」


 傭兵とて伝手もなくば中々揃えられるものではない。


 それもしっかりとした固有の戦術を持っている様な一流どころなら特に。


「ごろつきの集まりではなかったと言う事だな」

「数は劣勢、これで現領主が動かなかったらジリ貧だね」

「リア殿とマークイを使者として向かわせたが、果たしてどうなるか」


 当初の予定通りに事が進まない可能性も考慮して、リアとマークイの二人を使者として現領主エタンの所に差し向けた。


 エタンがもし好機に際して動かないなどと言う事があっては、何のための戦いなのか分からない。


 クラー領内の内紛を治める、それも自分にとってより良い方向でと言うベルシスの基本方針が泡と消える。


 雨脚が強くなる中、両軍が布陣を終えた今、戦いは始まろうとしている。


<続く>

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