17.内紛への介入
ローデンでの日々をベルシスが思い返したのは一瞬だった。
今日を未来とした追憶よりも、今日を過去とした未来を思い描いて動かねばならない。
成すべきことは山のように存在している。
「ファマル殿がロガの地に貴公を送り、そこでアネスタと出会ったのか」
「奇縁と言うより他は無い」
「そして、その子が二人の子か」
「そうよ、ベルシス兄さん。さあ、ウオル、挨拶なさい」
「お初にお目に掛かります、伯父上」
正確には従兄伯父と言うのだそうだが、ベルシスもその辺りに頓着は無い。
利発そうな少年の目を見ながら初めましてと柔らかく笑んで言葉を返す。
自身に子供はいなかったが、ベルシスは子供が好きだ。
或いは所帯を持たず傍から眺めているだけだからそう思えたのかも知れない。
「ローデンの兵、およびカナギシュ騎兵の総数はいかほどだろうか?」
「ローデン兵千五百、カナギシュ騎兵二千。ありがたい事に行く先々で領主たちが一定の糧食を寄越した。中には民からも送られた物がある、これも将軍の威光か?」
ウォレンの言葉にベルシスは幾分引きつった笑みを向けた。
領主たちが用意しなければカナギシュ族二千騎は略奪しながら進んで来ただろう事は想像に難くないからだ。
一軍団に騎馬が二千騎も増えればそれだけ補給物資の調達が難しくなる。
民兵たちが物資をどうにかできる算段を付けていたとしても、カナギシュ族と合流した以上は算段通りにはいかない。
或いは、最初から全てを計算していたとしても狂いはどうしても生じると言うのがベルシスの考えだ。
(それがここまで奪略らしい奪略もなく……まあ、武力を背景とした交渉はやってそうだが……ここまで来られたのは奇跡だな)
そう思わざる得ない。
さて、ローデンからの援軍と合流した今、内紛状態のクラー領内を素通りできるだろうか?
もしカナギシュ騎兵のみを率いての事ならば、戦わずに、或いは小競り合い程度で切り抜けられるが、歩兵を連れた状態ではそれも叶わない。
ロガ領より馬を走らせ数日の距離だが、軍隊が進むならば四から五倍の時間がかかる。
クラー領を抜けるのすら素早く行軍しても三日は掛かるか。
ただ、ローデン兵はカナギシュ騎兵より数が少ないから馬に乗せて移動する事も可能か。
ただ、どちらにせよ今の状況では当初の計画とは逆にベルシス自身が指揮する事で危険度が増したともいえる。
何故ならいかにベルシスが手出しはしないと伝えた所で、あのテランスが言う事を聞くとも思えないからだ。
あくまで領内に騒ぎが起きていない状況でなくては、安全は得られない。それがベルシスの考えである。
「千五百の歩兵、二千の騎兵……」
「内紛に介入する気?」
兵数を確認して呟くベルシスにフィスルが相変わらずの無表情で問いかける。
だが、語る口調には僅かな心の動きがみられた。
ベルシスが察する所、それは焦りではないだろうか。ベルシスが余計な事に首を突っ込みそうだと言う焦り。
提案が思わぬ方向に転がる事はベルシスも良くあったから、幾分御申し訳なさを覚えたけれど、それでも彼は頷きを返す。
「こちらにその気はなくとも、テランスは打って出てくるだろう」
「背後から襲われる可能性があるのに?」
「政敵であった私を討てば、気が晴れるだけじゃなく多大な功績が手に入る。その功績を手土産に領主として返り咲く事も、帝都で栄達する事も望みのまま」
その誘惑に抗し、主敵を誤らないような男ならば今の状況には至っていない。
ベルシスの言葉にフィスルは一度だけ天を仰いだ。
それから致し方ないねと嘆息するように告げたのだ。
「テランスって貴族はアレでしょう?」
不意に馬上で我が子と遊んでいたアネスタが不意に口を開く。
「ヴェリエ伯母さんの元夫のクズ」
「端的に言えばそうだな」
「一矢打ち込んで良い?」
ロガ家の娘だった頃より逞しくなった腕で弓を引く真似をしながらアネスタは問う。
その姿は一端のカナギシュ族に見えて、ベルシスは彼女の気性が騎馬民族に合っていたのだなと妙に感心した。
だが、提案には首を左右に振る。
「我らは迫る兵を撃退すれば良い。好機と見ればクラー領主がテランスを討つ」
「そして連中は皇帝に言い訳できる訳だ。前領主が兵を起こして対峙したが、何故か勝手に背後を向いたから討ったと」
傍で話を聞いていた優男のマークイが肩を竦めた。
「そう言う事だ、我らがテランスを討ってしまえばクラー家は私との関係を疑われ、なし崩しでロガの方に付かねばならない。そう言う策も時には有用だが、それは今じゃない。言い訳できる余地は残しておかねば……」
ベルシスがそう告げるとウォランが真っ直ぐにベルシスを見据えて問うた。
「内紛と言うが将軍は帝国の敵、一致団結してくれば我らは負けるぞ?」
その懸念は当然と言えたが、肩を竦めながらリアがクラー領内の現状を説明した。
最早骨肉の争いは避けようも無く、互いに頭に血が上っているような状態。
テランスが欲に駆られて移動する自分達に攻撃すれば、これ幸いと今の領主とテランスの子供たちは背後を襲うだろうと。
「……実子に叛かれるか。それも仕方ない、叛かれるだけの事をしているからな、テランスなる男は」
ウォレンは自分の息子をちらりと見やってから、軽く息を吐き出す。
テランスの所業に呆れているのだろう。
「妻を幾人か持つのは勝手だが、全ての妻や子供らの命と財を守らねばならない。それが最低限の責務だが、テランスはそれが出来ない。盛りのついた……ああ、失敬」
を連に次いで言葉を紡いだベルシスだったが、子供もいる前で言うべき言葉では無かったなとテランスへの侮蔑の言葉を控えた。
その様な言葉は何れ覚えざる得ないのが世の常だが、何も今覚える事も無いと。
「何じゃい、将軍もその手の言葉は知っているのか?」
ジェストのからかいの言葉にベルシスは肩を竦めて。
「戦場に立とうと言う男達を率いるならば、野卑な冗句の一つや二つ覚えるさ」
「ふふ、生真面目な事よ」
ベルシスの返答が可笑しかったのか、ジェストは言葉と共に含み笑いをこぼす。
「お喋りはそこまで。ルートはテランス陣営の背後を通る形で良いかな、将軍?」
フィスルがそう問いかけるとベルシスは頷きを返して。
「あ、そのルートで良いだろう。我らに手を出してきたら応戦し、出してこなければ急ぎロガ領に向かうさ」
この話し合いを持たれた翌日にはローデン、カナギシュの混合兵団はベルシスの言葉通りのルートを進む。
敵への備えを十分に進めば行軍速度は落ちざる得ないが、ここで備えないのは愚かな事だ。
ただし、カナギシュ騎兵やリアが周囲を絶えず偵察し、テランス陣営の動きや思いがけない帝国軍の動きを捉えるべく周囲を探り続けた。
その行軍が五日続いき、クラー領より抜け出そうかと言う頃、遂にベルシスに一報が届く。
テランスの軍勢が動いたと。
〈続く〉
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