13.ローデンでの過去 カナギシュの策謀

 久方ぶりに従妹と再会し言葉を交わして分かった事がある。


 アネスタがウォランと駆け落ちする切っ掛けを作ったのはベルシスであると言う事だ。


 無論、暗殺未遂事件の被害者と言う事もあるが、ローデンでのカナギシュ族との戦いもその奇縁に一枚噛んでいたのだ。


 それは、十七年前に遡る。


 ※  ※


 ローデン地方に赴任したベルシスだったが国境警備隊の隊長の一人が騎馬民族から賄賂を受け取っているらしいと知る。


 調査を開始したベルシスは部隊訓練の最中に不意を突かれて気を失い気絶させ、気付けばボレダン族の天幕に転がっていた。


 目を覚まして聞こえてくる言葉から自分はボレダン族の野営地にあり、彼らが賄賂を渡しているのかと当初は考えたが、どうにも違和感がある。


 身体の節々が痛みを訴えるがそれを無視してベルシスは聞こえてきた情報を整理し、ボレダンの族長と言葉を交わして真相にたどり着く。


 全てはカナギシュ族の策謀ではないかと思い至った。


 ボレダン族にぜいたく品や女などの貢物を送り堕落させる一方でゾス帝国の警備隊長とも通じて大掛かりな策を行うつもりだ。


 それをボレダン族の族長に警告するが鼻で笑われたその時、天幕の外で叫びが木霊する。


「カナギシュ族が攻めっ!」


 天幕の外で声を張り上げた者の絶叫にも似た警句は途中で途切れた。


「馬鹿な……」

「あ、あいつら何で、何で今更!」


 ボレダン族の族長は呆然と呟き、周囲の男達は狼狽えていた。


 数年に渡るカナギシュの低姿勢とぜいたく品の献上は、ボレダン族の精悍さばかりか、いざと言う時の決断力もを削いでいた。


(ボレダン族ごと私を殺すつもりか……っ!)


 ゾスの貴族を人質にすれば大抵は身代金の要求が始まる。


 身代金が支払われればベルシスは生きて帝都に戻れる可能性もあるのに、警備隊長がわざわざボレダン族に売り払ったのはこういう事だったのかとベルシスは気付き、そうはさせるかと力の限り叫ぶ。


「ボレダン族に勇士は居ないのか! 何を狼狽えている、とっとと武器を持て! 馬に乗れ! 美酒と女で部族の矜持も忘れたのか! それでも帝国が西方で恐れるただ二つの部族の片割れか!」


 痛みも鼻血の跡も気にしてられないと後ろ手に縛られながらも吼えたのだ。


 天幕に駆け込んできた青年が剣を抜き放ち、ベルシスに駆け寄ればその身を戒めていた縄を切り裂く。


「ボレダンの勇士はここに居るぞ!」

「ならば、私と共にカナギシュを迎え撃て」

「何故ゾスの貴族が」

「警備隊長が通じているのが、カナギシュだからだ。連中は私をも亡き者にしようとしている。生き残るために戦うのに、帝国も騎馬民族もあるまい? ついでに私は将軍だ」

「なるほど、道理で」


 ベルシスの縄を切った青年は、ボレダン族の特徴を色濃く映した金髪の彫りの深い顔立ちの青年だった。


「ゼス! 勝手な事を!」

「伯父貴は腑抜けた! ボレダン族の気概を失い、酒と女におぼれた結果がこれだ! 俺はボレダンを存続させるためには帝国とも手を結ぶ!」

「そんな若造一人いて何になる!」

「私はベルシス・ロガだぞ。私を私と認識して害すると言う事は、ゾス帝国に弓引く所業!」


 ボレダン族の族長とゼスと呼ばれた若者の言い争いにベルシスが割って入る。


 今の彼には無駄な時間を過ごす余裕などある筈もない。


 族長の返事を待たずベルシスは外に出て、初めての戦場を見た。


 馬上から矢を射掛けられ、馬にも乗れず倒れていくボレダン族の戦士たち。


 女子供は逃げ惑いながらも抵抗の手段を探す。


 火矢が飛び、天幕を焼く最中も無念の叫びが木霊してまるで病める大神が封じられたと言う地獄のようであった。


「乗れ!」


 ゼスが馬を寄せて背後に乗るようにベルシスに声をかける。


「頼む」


 ベルシスは頷き、彼の背後に乗ればその腰に手を回してしっかりと掴まった。


(不格好だろうが何だろうが、構うものか。落馬はごめんだ)


 ゼスはベルシスが背後に乗ったのを確認してすぐに馬を走らせると、先程まで彼らがいた天幕に火がついた。


「騎馬の、基本は、密集して、の、突撃で」

「言われんでも分っている、それより下手に喋ると舌を噛むぞ」


揺れる馬上でとぎれがちになるベルシスの言葉にゼスは鋭く答えを返し、さらに馬の速度をあげる。


 ベルシスは忠告通り激しく揺れる馬上で、あまり喋らないようにした。その代り、この場所が何処なのかを必死に考えを巡らせた。


「高所へ、地理、知りたい」

「……分った」


 ゼスに伝え、少しばかり小高い丘に馬を進めて一旦馬を止めて貰うと、ベルシスには地図で見覚えのある物が見えた。


 カナギシュ騎兵が両端から包囲を形成しようと迫るその背後に、川が流れている。


「セヌトラ川?」

「良く知っているな」


 敵は包囲陣を敷こうとしているその背後に流れるセヌトラ川があの位置ならば、ローデンの街は自分の左手側にある。


(ローデンの北側には深い森があった筈、そこに逃げ込めばカナギシュ族の追撃もかわせるのでは?)


 ならば、敵陣左翼に残存のボレダン騎兵を集めて一点集中突破を図るしかない。


「声の届く距離まで、カナギシュに近づいてくれ。そして、残存兵力を纏めて一点集中突破を図ろう」

「何故、声が届く距離まで? 相手の矢も無数に飛んでくるぞ」

「私がここにいる事を知らぬ者がカナギシュにおれば動揺するし、この奇襲で動揺するボレダン騎兵を立て直さねばどうにもならん」

「上手く行くか?」

 

 ゼスの問いかけにベルシスは一つ息を吐いた後に胸を張って答えた。


「知らん。何もせずに死ぬよりはマシだ」

「それも道理か」


 ゼスも覚悟を決めたのか頷けば今まで以上に揺れるからな、と伝え馬を走らせる。


 凄まじい速さで丘を駆け下り馬はカナギシュ騎兵へとみるみる迫った。


 その距離と比例して、横殴りの雨のように矢が飛来するが、ゼスはどういう馬術か知らないが不意に移動先を変えてその矢を避け、ベルシスは振り落とされそうになりながらも叫ぶ。


「我が名はベルシス・ロガ!! ゾス帝国の将軍だ! この我の血を求むか! カナギシュ族よ!!」


 一瞬、戦の高揚とは別のざわめきが起きたようにベルシスには思えた。


 それに心なしか矢の飛来数が減ったようだ。


 散発的な抵抗を示していたボレダン族にもベルシスは声を張り上げた。


「丘に向かえ! ボレダンの勇士よ!! 我らが死に体では無い事を教えてやろうではないか! ぐっ!!」

「当たったか!」

「し、舌……」

「……」


 微妙な沈黙が一瞬二人の間に流れたが、舌が千切れずに済んだベルシスが痛みに耐えながらゼスにとぎれがちに指示を伝える。


「せ、旋回、しつつ、丘に登って、カナギシュ陣左翼に、集中突撃」

「ボレダンの同朋よ! 馬を駆り丘に集結せよ! その後、敵左翼に突撃だ! ここで朽ちても我らの武勇は朽ちぬ!」


 ゼスが声を張り上げると背後から複数の雄叫びが上がった。


 その声に気付きベルシスが振り返ればボレダン族の騎兵が集まり出している。


 その数はほんの数十騎に見えた。


(数千騎の兵を誇っていた騎馬民族の残存兵力がこんな物か……)


 栄えれば必ず滅ぶと言う事技を思い出しながらもベルシスは侘しさを覚えたが、一方で希望も抱いた。


 この少数の兵だからこそ、命を拾えるかもしれないと。


 ベルシスに将としての心構えを叩きこんだコンラッド将軍が教えてくれたことが胸によみがえる。


「良いかね、ベルシス将軍。勝ちが決まった戦に命を賭す奴は少ないものだ。大勝ならばなおさら。生きて勝利の味を味わいたいのが兵士の誰もが望む事だが、敗者はそこに生存の道を見出すこともある」


 それは勝利している事実こそが驕りに繋がると言う警句だったのか、実際に七を脱した経験からの言葉だったのか。


 ともあれ、ベルシスはそこに賭けた、賭けざるを得なかった。


<続く>

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