9.ベルシスへの援軍

 ベルシスは休暇を余儀なくされていた。


 眠っていた期間を取り戻すべく精力的に動いていたが、病み上がりに無理をすれば体を壊す事にもなりかねないからだ。


 それに失った左目の代償は大きく、狭まった視界の煩わしさに加えて右目ばかりを酷使しているためか、頭痛が付きまとうようになっていた。


 その事をベルシスの傷の容態を良く知る神官のアンジェリカに相談したところ、端的な答えが返ってきたのだ


「しっかり休んでください」

「半刻ほどか?」

「少なくとも三日はっ!」


 問いかけにはぴしゃりと言い返されてしまう。


 見ればアンジェリカの背後で従者のリチャードもうんうんと頷いて同意している。


「コーデリアも非常に心配しております。こう言っては恩着せがましいでしょうが、ロガ将軍は恩人を心配させ悩ませるのがご趣味ですか?」


 コーデリアの仲間であり姉代わりでもあると言うアンジェリカは微笑みを浮かべたまま中々に鋭い言葉を放つ。


 そこまで言われてしまえば、ベルシスとて休まざるを得なかった。


 結局、緒戦の勝ちは拾ったが必ず帝国は本気になってこちらを潰そうとするだろうと言う不安に駆られてもいたので動いていたかったのだが……アンジェリカの言葉には逆らえなかった。


(なんて言うか、年は下のはずだし、微笑みが絶えない人だけどおっかねぇんだよなぁ、アンジェリカ殿。姉っぽいと言うか母親っぽいと言うか)


 いわゆる男が思う甘えられる年上の女性像ではなく、がみがみと小言を言う年上の女性像に近いものをベルシスはアンジェリカから感じている。


 それが帝国に治世の悪化で半壊したトルバ村の出身者だからか、それとも妹のように可愛がっているコーデリアが自分にはっきりとした好意を向けているためしっかりしてもらいたいのか、或いはその両方か。


(それにしたってきついって訳じゃないし、心配してくれているのは感じる。……コーデリア殿と言い、アンジェリカ殿と言い、何故に……。結局、私は村を守れなかったのに)


 ロスカーンの治世で治安は悪化し、野盗を蔓延る原因となった。


 挙句がトルバ村の半壊だ。


 その一帯はかつてベルシスの指揮で山賊や野盗は一掃した場所だったが村は野盗の襲撃で半壊したのだ。


 ベルシスにはそれが自分の失態のように思えてならなかった。


 あの村で幼い少年と会話した時の事を思い出さざる得ない。


 あの時ベルシスは村長に周囲の賊は一掃したからと伝え、帰投しようとしていた。


 その帰り際に帽子を目深にかぶり、頬に泥を付けた活発そうな少年がベルシスに話しかけてきたのだ。


「お兄ちゃんがロガしょうぐん?」

「ああ、そうだよ。どうしたんだい? 私に何か用かな?」

「お姉ちゃんが気にしてたの。しょうぐんにはかんしゃしているけど、やとうが生まれるその大元を断たねばならないって」


 思いがけない言葉にベルシスは真面目な表情になった。


 そして、頷きを返しながら身を屈めて少年の顔をじっと見ながら。


「それでは、お姉さんに伝えてくれるかな? 戦争が起きていた幾つかの場所は平和になりつつある。平和になれば、飢饉でもない限りは野盗は出にくくなるはずだ、と」

「いなくならないの?」

「どうしても、働くより奪う方が良いと言う人間は一定数いるんだよ。でも、君のお姉さんの言葉は賢者の言だ、この胸に刻んでおくよ」


 ベルシスがそういうと少年は緑色の瞳を真っすぐに向けて、うんと大きく頷いた。


 途端に女と呼ぶにはまだ若い声が響く。


「コーディっ! この子ったら! なにしているの!」

「あ、お姉ちゃん」


 二人に元に慌てふためき顔を真っ青にした娘が慌てて少年の傍に来ると、ベルシスに向かって頭を垂れながら必死に弁明しようとする。


「お気になさらず、賢者の言を聞いて感嘆していた所です。それでは、失礼します」


 村人にとって将軍なんて存在がいつまでも居座られては肩が凝るだろうとベルシスも思い至り、二人にそう告げると立ち上がって軍馬に跨った。


「またね、ロガしょうぐん!」

「さよなら、コーディ。お姉さんの言う事をちゃんと聞くんだぞ?」


 そう告げて、ベルシスは村を後にしたのだ。


 この時の出会いこそがコーデリアとの最初の出会いでもあった訳だが、結局ベルシスはあの時の言を事実にはできなかった。


 平和は一時訪れたが、皇帝が代わり治世が乱れると賊は増えた。


 ベルシスはそれを止めることが出来なかった自分を恥じている。悔やんでいる。


 トルバ村ばかりではなく、幾つかの村や街に被害が出たと聞くたびに、あの日交わした会話と果たせなかった不甲斐なさが苦く胸に渦巻くのだ。 


※  ※


 さて、ナイトランドの特使の、つまり魔王の特使の名をフィスルと言った。


 彼女は上級魔族で、一見十代半ばの少女だ。


 青みがかった銀髪と側頭部から生える巻角が魔族であることを示しており、本来は帝国との講和の条件を詰めるために勇者一行と共に帝都に訪れていた。


 それがこの騒ぎに巻き込まれた形でロガ領まで来てしまった、そうベルシスは受け取っていたが事情は違ったようだ。


 当人の口から実は勇者一行を守ると言う別の任務も受けていたことが分かった。


 ゆえに、観戦武官と言う立場で戦場にまで足を運んだのだと。


 それを目覚めてからすぐに聞かされたベルシスは驚きとともに納得していた。


 なるほど、それでここまで手を貸してくれたのかと。


「ああ、そう言う事でしたか」

「そうだよ。で、これを話したのには訳があるんだけど」


 表情を変えずに淡々と話すフィスルの様子は、可愛らしい人形の様ですらある。


 慣れぬ隻眼で彼女を見つめていたベルシスだったが、続いて飛び出た言葉はそんな感想を吹き飛ばされた。


「魔王様にはロガ将軍と手を結ぶように進言したから」

「はぁっ?」


 何故にと慌てふためくベルシスにフィスルは何故だろうねと小首を傾いで見せた。


 それから更にとんでもない発言をした。


「ローデン地方で民が民兵を組織したって」

「えっ?」

「騎馬民族のカナギシュ族も騎馬の一団を動かしているって」

「まさか、この機に動き出した……?」


 帝国の辺境などと揶揄されるが、ローデンはベルシスには思い入れが深い土地。


 一年ほど前には大火にあって神殿が燃えている。


 何故、あの地にそれほどまでの騒乱が……そう眉間に皺を寄せたベルシスだったが、フィスルの言葉は彼の予想を裏切る。


「民兵とカナギシュ騎兵は共にこっちに向かっているみたいだよ、我らはベルシス・ロガを救うのだって」

「……ば、馬鹿な」


 それは帝国領を通って来る事になる。


 援軍は嬉しいし、長年敵対していたローデンとカナギシュが手を結んだ様子なのも喜ばしい。


 ただ、ここに辿り着けなければ無駄死になってしまう。


「ぐ、軍を動かして迎えに行かねば! いや、しかし、それでは……」

「見捨てないの?」

「私の為に立ってくれた者達を見捨てては、今後誰が私と共に戦うでしょう?」


 その言葉にフィスルは少しだけ笑みを浮かべて。


「それでこそ進言の甲斐があるよ。でも、軍を動かすのはまずいよね、帝国軍のみならず他の領主も刺激してしまう」

「……そうですね」


 顔を顰めながら答えたベルシスにフィスルはまた普段通りの表情のない顔で問いかけた。


「一つ案があるけど、乗ってみる?」

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