4.レヌ川の戦い 戦闘開始、策の応酬 

 両軍が着陣した翌日、日の出と共に戦いの幕が切って落とされた。


 アーリーが敵陣に向かって突撃するように下知を飛ばしたのだ。


 帝国兵先頭集団はぬかるむ川べりを進み、渡河を始める。


 途端に降り注いだのがロガ軍魔術兵より放たれた投擲魔術。


 小型の盾ほどの大きさの火球を魔力で生み出し、帝国軍の先頭集団に叩きつけたのだ。


 この火球は大地に着弾すると爆発を引き起こすのだが、その爆発がもたらすの兵士の損耗だけはなく混乱と指揮系統の分断をも引き起こす。


 これを防ぐには魔術兵に魔力を相殺する対魔術結界を構築させるしかない。。


 が、投擲魔術の火球を生み出すより対魔術結界の構築の方が時間がかかるため、どうしても被害を受けがちだ。


 敵と味方の魔術兵が同数であればここで結構な痛手を食らってしまうが、帝国軍はさほど慌てなかった。


 攻撃にさらされている先頭集団も、大きな混乱は見られず渡河を続ける。


 この攻撃はすぐに止むと知っているのだ。


 つまり、帝国軍はロガ軍の魔術兵の数を把握していたのである。


「千にも満たない魔術兵ではな」


 司令部にて指揮を執るアーリーの言葉が全てだ。


 魔術の才能を持つ者は然程多くない。


 そんな魔術兵を急いで募ろうとしても増える訳がないのだ。


 ならばロガ領兵として登録されている魔術兵の名簿や脱走したベルシス軍団に所属していた兵士を調べれば魔術兵がどの程度敵陣にいるのか把握は容易。


 アーリーはその情報は兵士達に共有させた、大きな混乱を避けるために。


 日が戦場を照らす頃には目論見通り大きな混乱を迎えることなく降り注ぐ火球は結界に阻まれ上空で霧散していた。


「これで次の段階に進めるな。魔術兵に手筈通り半数は対岸の敵へ投擲魔術を放たせろ!」


 一度構築した結界を維持するのは比較的容易い。


 今度はこちらの番だと指示を飛ばし、程なくして帝国魔術兵が投擲魔術を放つ。


「……何故だ? 千にも満たない魔術兵の結界にしては異様に硬い」


 アーリーが呟いた瞬間、さらに驚くべきことが起きた。


 不意に上空で軋むような音が雷鳴のようにとどろいた。


 何事かと天を見上げたアーリーはひときわ大きな、通常の火球の十倍ほどの大きさの火球が尾を引いて先頭集団に落ちてくるのを見た。


 大地に着弾した際の爆発も大きく、先頭集団の将兵が何十と吹き飛ぶのが見えた。


「何だあれは!」

「落ち着いてください、将軍。敵には恐ろしい魔術師がいるようですね」


 驚くアーリーに対してラネアタが冷静に声を掛けた。


 額には僅かに汗が浮かんでいる事から驚がくしているのだろうが、その感情を押し殺しているのだとアーリーも気づく。


「取り乱した。すまない」

「いえ。……どのような魔術師でもあと二回もあのような魔術を行使できるとは思えません。今一度に備える必要はありますが……」

「……切り替えのタイミングに放って来た訳だな。魔術兵には今一度結界を構築し、その後は全員で維持に注力するように伝えよ」


 まさかの隠し玉にアーリーは頭を左右に振って呟く。


「楽には勝たせてもらえんか」


 苦笑の気配が色濃いその呟きの後には当然弓兵による矢の雨が降ってきたが、先ほどのイレギュラーな攻撃に比べれば先頭集団にはありがたかったようだ。


 混乱から抜け出して盾を頭上に構えながら川を渡っていくのが見える。


 やはり戦と言う物は数が全て。


 有利な状況で矢を射かけようとも数が圧倒的に少なければ、帝国軍の足止めはかなわないのだ。


 そんな感想を抱きながらも、アーリーは戦闘手段が川を渡り切ったのを視認して、漸く安堵の息を吐く。


 ここから先は数に物を言わせて蹂躙するだけ。


 勝ったかと気が緩んだアーリーをあざ笑うかのように、後方から悲鳴に似た報告が上がった。


敵襲、と。


※  ※


 アーリーの司令部を強襲したロガ軍の数は少ない。


 その数は千にも満たない騎兵の集団であったが、それを指揮するのはベルシスが最も信頼する兵士の一人、十七年の付き合いになるゼスだった。


 別の騎馬民族に滅ぼされた騎馬民族ボレダン族の生き残りであり、馬の扱いに長けたこの男も軍歴十七年でありながら未だに三十四歳と体力に衰えはなく、その経験と合わせれば騎兵として円熟の域に達していた。


 そんな男に付き従っているのはボレダン族の残党である。


 ベルシス個人に忠義を誓った彼らが、ベルシス追放と共に帝国を脱走するのは当然と言えた。


「ゼス隊長! 敵司令部、もう間近です!」

「ローデンの旋風と畏れられた我らの力、ひよっこにも教えてやれ!」

「はっ!」


 ゼスは騎馬民族の生まれ、少年期は馬と共に生活し馬と共に戦った。


 その彼がゾス帝国に移り住んでからはゾス帝国の騎兵戦法を、そして重騎兵の運用で大国と渡り歩くカナトス王国との戦闘に際してはその戦法を学んだ。


 ベルシスの為にと励んだ彼は今や騎兵のスペシャリストだった。


 騎兵の持ち味はその破壊力であることも熟知している。


「司令部を守るように敵歩兵部隊が進路をふさぎます!」

「勢いのまま踏みつぶせ! よもや、この中に今更臆病風に吹かれた者など居まいな!」

「今更ですな!」


 ゼスは部下と駆け合いを交わしながら馬を走らせ、敵歩兵部隊に何の躊躇もなく突っ込む。


 最も速度の出た状態で敵に当たらねば騎兵の破壊力が減じてしまうし、躊躇する方が死にやすいと彼は知っている。


 無論、躊躇しなくても死ぬときは死ぬが。


 ともあれ、ゼスと部下たちは司令部をかき乱さねばならないし、何より敵将にプレゼントを届けねばならない。


 ゼスはちらりとの様子を見やった。


 金色の髪を靡かせて、緑色の瞳を輝かせ騎兵部隊の走りについてくる馬上の少女とその仲間である二人の男。


 勇者コーデリアとその仲間達。


 敵将もさぞ喜んでくれることだろうと、ゼスは彫りの深い顔に笑みを刻んで遮る歩兵へ槍を振るう。


※  ※


 アーリーにとって、この奇襲は正に青天の霹靂だった。


 ロガ軍の騎兵部隊の数は多くは無いようだが、帝国軍の大半は川の向こうか渡河中だ。


 それに戦闘が始まってからは前に皆が意識を集中させていたので、斜め背後からの一撃に対応が遅れてしまった。


「何たるざまだ!」


 アーリーは自身を一喝しながら剣を抜いた。


「ラネアタはさがれ! 策がもうすぐ成るのだ!」


 敵の士気を一気に挫く策にはラネアタの卓越した魔術の腕が必要、ここで怪我などされては策が水泡に帰す。


 幼馴染にそう告げながらアーリーはこちらに迫る敵兵に気付く。


 そして、その姿に兜の奥で目を見開き驚いた。


 若いと言われる自分よりもなお若い、十代後半と思しき少女が金髪を靡かせ、無邪気な笑みすら浮かべてまっすぐにこちらに馬を走らせてくる。


 その手には血に染まった剣が握られていた。


「覚悟っ!」

「なんのっ!」


 鋭い一撃を剣で打ち返しながら少女の卓越した剣技に驚かざる得ない。


(ロガ軍は幾つ切り札を持っているのだ? 士気の高揚に使えそうな存在を隠蔽してここぞにぶつけるのがベルシスか……)


 凡将などと安堵した自分は何と愚かであった事か。


「苦戦してるなぁ! コーデリア!」

「マークイ、うるさい!」


 何度か剣を打ち合っていると少女の仲間と思われる優男が声を掛けて来た。


 そのやり取りに興味は無かったが、呼ばれた名前にアーリーはこの戦で何度目かの驚きを覚える。


(コーデリア? これほどの技を誇る少女の名が? その名はまさか……)


「三勇者の一人だとっ!」

「お、ご明察」


 優男がへらへらと笑いながらアーリーに答えた。


 この男、自分にわざと名前を知らせたに違いない。


「勇者?」

「勇者だって?」

「カナトスに逃れたんじゃないのかっ!」


 そして、周囲にも。


 帝国軍に動揺が走る。


(まずい。このままでは……)


 アーリーはコーデリアと打ち合うだけで手一杯、動揺を収めるために一喝する余裕もなかった。


 優男はアーリーに古くから仕えるお守役ナゼムが曲刀で打ち払おうとするが、今一人老いた神官と思われる男がそれを邪魔する。


(このままでは……っ!)


 アーリーの焦りが最高潮に達した時に、ラネアタの声が響いた。


「ベルシス・ロガの最後を見よ!」


 その言葉こそ、アーリーの策が成った証だった。


<続く>

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