3.レヌ川の戦い 変わりゆく作戦

 ベルシスが立てこもるロガ領の様子を偵察させていたアーリーは恐るべき情報を耳にした。


「それは誠か?」

「はい、ロガ軍はレヌ川上流で水を堰き止めている模様です」


 アーリーの問いかけに偵察兵は繰り返し告げた。


 川を堰き止めたとなれば、これは水攻めであろう。


 レヌ川はロガ領に流れる川の事、ロガ領の主要都市ルダイに近く最終防衛ラインにしていると予測されていたが……まさか、そこで水攻めとは。


「顔の割にはえげつない戦法を取る」


 アーリーのくぐもった呟きにお守役のナゼムが答える。


「なりふり構っておれんのでしょう、何ゆえにかは知りませんが大帝国に反旗を翻したのですから」

「そう、だな」


 頷きを返したアーリーだったが、ゾス帝国最高の戦術家と目されるカルーザス将軍の言葉が脳裏によみがえった。


「ベルシス・ロガは今や大海に放たれた竜だ。縦横無尽に動き、並みの攻勢ならば逆に食らう」


(ベルシス・ロガとは長年の友人関係だったとか。やはりカルーザス将軍の買いかぶりだったようだな)


 アーリーは敵将に関してそう結論付けた。


 何故ならば水攻めのタイミングや情報の保持が上手くいっていないのだから。


 結論付ければ後は早い。


 全軍に進軍速度を緩めると通達したのである。


 水を堰き止めているのならば、堰き止めればよい。


 下手に溜めすぎれば決壊の恐れすらある状況に持ち込んでやれば水攻めは諦めるだろう。


 諦めないにしても、敵が辿り着く前に水が溜まってしまえばどこかで放流せねば自軍に被害が出る。


 その状況を観察させ、放流に至るまでの日数などを割り出せば安全に戦うことが出来る。


 ロガ領に至るまでまだ道半ば、結局のところはベルシス・ロガは水を堰き止めさせるのが早すぎたのだ。


 それが恐れから何か分からないがタイミングを誤り、秘すべき水攻め等の手札はもこうしてバレてしまっている。


(情報がこうも漏洩している様では、ベルシス・ロガはやはり凡将か……)


 アーリーは先日まで感じていた不安が消えていくのを感じた。


※  ※


 川を上流で堰止め、渡河中に放水し分断する作戦。


 分断後には司令部に少数の精鋭ぶつけると言う古典的な作戦をベルシスは立てた。


 ベルシスには相手の将軍の名前に心当たりがないので不安はあったが、それを表に出すほど彼は初心うぶではない。


 軍の行軍速度はどうしてもゆっくりになる、その為に行軍速度を計算して工作を行った。


 その甲斐があってかロガ軍は無事に川を堰き止める事は出来たし、アーリー将軍の行軍は想定ルートを大きく外れてはいない。


 ただ、想定より遥かにその速度が遅かったのだ。


「如何する、ベルシスにぃ、堰き止めた水が溢れそうだと報告が来てるぜ」

「流石に敵の動きが遅すぎる。放流するしかないな」


 アントンの報告にベルシスは苦々しく答えた。


 意図しない決壊など起こせば、領民に被害が出かねない。


 アーリー将軍は、通常の行軍速度より少し遅い速さで進んでいた筈が、途中で更に速度を落とした。


 水を貯めるのには、事前に速度を想定して工事を始めるのだが、それが完全に裏目に出た形だ。


 と言うよりは、水攻めには事前の準備が必要なのを見抜かれた形か。


「手足の如く動かせる軍ならば、進軍速度は早める事が出来るが、任されたばかりの軍では出来ない。普通はそれでも急ごうとするものだが、敢えて遅く移動か。アーリー将軍とやらは中々にできるな」


 その戦術のセンスは、少なく見積もって自分以上であろうと、ベルシスは当りを付ける。


(カルーザス程ではないが、セスティー将軍と同程度かな?)


 セスティー将軍は、肝が据わればかなりの才能を発揮できるだろう。その彼女に匹敵し、将軍職を引き受ける程に肝が据わっているのならば強敵に違いない。


 そんな敵将の評価は脇に置いて、ベルシスは新たに対策を講じなければならなかった。


「こうなればロガ領に引きずり込んで戦うよりないでしょう」


 伯母ヴェリエは覚悟を決めてそう告げたが、ベルシスは首を左右に振った。


 領民が早々覚悟を決める訳がない、と。


 それに引きずり込んで戦う、言うは易しだが行うのは被害が大きい。


「領民を巻き込みかねない戦いは危険ですよ、伯母上。彼らとてロスカーンの狼藉に頭に来ていますが、その怒りの矛先が此方に向くようになる」

「とは言え、こっちは兵の数が少ないんだぜ、ベルシスあにぃ。伯母さんの言うとおりにするしかないんじゃないか?」


 アントンのビターな表情にベルシスは頷きを返した、その思いは良く分かると。


 現状で出来るだけ安全に、兵を損なわずに戦うにはそれしかない事はベルシスとて承知している。


「でもな、アントン。そいつをやると泥沼にはまる」


 ロガ領が戦場になるばかりか、追い込まれると誰が敵で味方かと疑心暗鬼が蔓延り確実に人心が荒廃するだろうとベルシスは静かに語った。


 生まれ故郷とその地に住む人々がそんな事になるのは見たくないとも。


 そんな時だ、ベルシスの脳裏に先帝の言葉が甦ったのは。


「戦果が少ない安全な作戦と、戦果が多い危険な作戦があるが、時には後者を選ぶ必要がある。良いか、ロガ。最大戦果を求める者にしか到達しえない栄光と言うのは確かに存在するのだ」


(今が後者を選ぶ時でしょうかね、陛下? ……そうだな、負ければ終わり、それだけだ。一族の興亡に兵だけではなく領民まで巻き込んだ泥沼に突入する事も無い)


 ベルシスは覚悟を決めた。


「当初の予定通り、レヌ川で迎え撃つ。民を巻き込めば、背後から刺されかねないし、何より、ロガの地が荒廃する」

「――非常に不利な一戦に全てを賭ける、と」

「伯母上とて覚悟も無く、皇帝に弓引いたわけではないでしょう?」

「……確かにそうですね。敗れるにしても、一矢報いてやりましょう」


 元から覚悟は決めていたであろう叔母のヴェリエはすんなりとベルシスの賭けに乗った。

 

 ロガ領の統治をおこなってきたヴェリエの言葉は重い、ベルシスが説得する相手はこの場合伯母だけで良かった。


「どちらにせよ、敵の司令部を叩く精鋭が要るな。私についてきた馬鹿者たちだけでも行けるとは思うが……」

「じゃあ、それアタシもやるよ!」


 バンッと扉が開いたかと思えば、意外な人物が能天気な声をあげて入ってきた。


 三柱の神に選ばれた三人の勇者の一人コーデリアだった。


「コーデリア殿!? カナトスへ向かう馬車を用意したではないですか!」

「アタシはカナトスに行かないよ、将軍の力になる」

「何故……」

「ベルシス将軍がさ、トルバ村を助けてくれたことアタシは覚えている。だから」

「それは……。その後の政情不安で村は野盗に」


 無邪気な様子で力添えを伝えるコーデリアは年齢相応の姿に見えた。


 だが、続いたコーデリアの言葉にはベルシスをハッとさせるような大人びた声で告げるのだ。


「皇帝のせいだよ。ベルシス将軍のせいじゃない。みんな将軍には感謝していたんだよ」


 その言葉がベルシスには何より堪えた。


 皇帝を正す自分の力の無さが今の混乱を招いたのかも知れないと思えば、将軍職に在っても何もできなかった自分を恥じ入るより他にはない。


 だが、そんな姿を見せるベルシスだからこそ、勇者コーデリアは力を貸したくなったのだと言う事に当の本人は気付いていない。


※  ※ 


 紆余曲折を経て、ベルシスの新たな策の準備は進んだ。


 そして半月もすれば帝国軍はロガ領で最も栄える都市ルダイへ向けての最短ルートで進軍してきた。


 両軍はレヌ川を挟んで着陣し、戦いが始まる。


<続く>

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