2.レヌ川の戦い 帝国軍の接近
ゾス帝国歴二三八年七月に行われたレヌ川の戦いで、帝国軍の指揮官アーリーはベルシス・ロガと戦った。
砂大陸と呼ばれる異大陸のガームル王国の生き残りであり、王族であるアーリーはこの戦いで勝利することで祖国の復興を夢見ていた。
だが、ベルシス・ロガにより敗れた。
とは言え歴史の流れは思いもよらない事態を引き起こすが、それは先の話。
まずはレヌ川の戦いの推移を見てみよう。
※ ※
黒づくめの鎧を身に着けて、軍団を率いてアーリーは戦場に向かっていた。
幼いころに国を失い、ゾス帝国のトウラ将軍に匿われて過ごしてきたアーリーは自分が軍を率いてここに居ると思うと目頭が熱くなっていた。
だが、一方で仕官してから日が浅い自分に一軍を任せるゾス帝国の在り方が不気味だった。
アーリーを秘かに援助してくれていたのは異大陸バルアドに長年駐屯しているトウラ将軍だ。
本国での影響力は低いと当人も言っていた筈なのに、彼の推挙を得てゾス帝国軍に仕官して一カ月も経たずに将軍を任せれたのだから不気味に思うのは当然だった。
無論、トウラのおじさんとアーリーが呼ぶトウラ将軍が色々と手を回してくれたのだろうし、祖国と同じ信仰を持つ者がいる商人たちの国テス商業連合も動いてくれての事だと思うのだが……。
「何をお考えですか?」
不意に幼い頃より生活を共に過ごしているラネアタが声を掛けて来た。
自分とは違いフードを目深にかぶるだけで女であることを隠してもいないラネアタは、フードを後ろに流して素顔をあらわにしながら微笑んで問いかけて来た。
アーリーと同じく褐色の肌に白い髪の幼馴染は凄腕の魔術師。
戦争指揮において遠くに即座に指示が飛ばせる彼女が居るのと居ないのとでは雲泥の差を生む。
その微笑みに視線を向けて、アーリーはかすれた声で答えた。
「帝国の在り様を」
顔の全てを覆うフルフェイスヘルムから零れ出る声は大分くぐもっている事だろう。
だが、ラネアタは慣れたものでそうですかと頷きを返す。
「それと、カルーザス将軍の言葉だ」
続けた言葉にラネアタがとび色の瞳を見開くのが見えた。
すぐに驚きを打ち消して、僅かに考えるような間をおいてから。
「カルーザス将軍は確かに有能。ですが、随分と敵を買いかぶっておられる」
「本気でそう思うか?」
思いのほか鋭い問いかけを放ってしまい、アーリー自身が困惑した。
ゾス帝国で最も優れた将と言えばカルーザス将軍であることは誰しもが認める所。
その彼が告げたのだ、アーリーが戦いを挑む相手は大海に放たれた竜であると。
「ベルシス・ロガは一見凡庸だが、その内実は恐るべき男だ。帝国を追放された彼は言わば大海に放たれた竜、貴公に倒せるだろうか」
アーリーを見ながらも、ここにはいない誰かを見るような様子を見せてカルーザスはそう告げたのだ。
そこには新参者に対する脅しや嫌がらせは無かったように思える。
いや、カルーザスと言う将軍はそう言った世俗とは無縁であるかのような印象を与えていたので、そう思えただけかも知れない。
その浮世離れしたカルーザスが高く評価する敵とは、元ゾス帝国将軍の一人ベルシス・ロガ。
帝国軍の中でもその評価は分かれていた。
凡夫と評する者もいた。彼らが言うにはベルシスは凡庸、人の好さだけが取り柄、
一方で高く評価する者達もいた。彼らが言うにはベルシスは直言の臣、兵站の達人、情報の魔術師、そして鉄壁と言う評価が並んだ。
凡夫と評する側の発言を見ても、悪口と言うよりは温厚そうなイメージが先行する。
そのベルシスが帝国に反旗を翻したのである。
アーリーはかつてベルシスを見た事がある、彼もアーリーが匿われていた別の大陸バルアドに駐屯していたことがあったからだ。
その時の彼はそれこそ温厚そうな年若き将軍にしか見えなかった。
家柄だけで将軍になったような男と思っていたが、恩人のトウラ将軍の評価は違った。
「穏やかな男だが芯は強く、部下をよく見ている。いずれ将となるならあの男を見習うと良い」
ゾス帝国の本国に赴く際にそうアーリーに告げたのだから。
トウラ曰くカルーザスの真似は誰にもできない、だが、ベルシスの模倣はある程度可能だと。
本国を離れ長く前線に駐屯しているトウラの言葉は重い。
そして、カルーザスの大海に放たれた竜と言う言葉の意味は何を意味しているのか。
それらを考えると、並々ならぬ相手である。
心してかからねばならないだろう。
※ ※
一方の大軍を迎え撃つベルシスやその他の面々は苦渋の決断を強いられていた。
最初から領地に籠る訳には行かない。
立て籠もれば、流通を止められ兵も民も飢えてしまうのは確実だからだ。
だからと言って、真正面から戦ったって勝てる数ではない事をベルシスを始め皆が承知していた。
頭数を揃えるのに傭兵団を雇おうにも、この戦力差で契約に応じる傭兵はいないと言う事も。
「偵察の者が言うには六万前後の軍勢とのことです」
「ありがとうございます、伯母上。思ったほどの数ではありませんね」
なるほどと頷きながら、ベルシスは地図を見つめた。
ロガの領兵とベルシスを慕って脱走した兵士を合わせて精々一万二千、五倍の兵を食い止めるならば平野で戦うのは論外だ。
起伏の激しい山道とか谷とかで迎え撃ちたいが、相手は此方を平野に引きずり出したいと考える。
敵の部隊を望む戦場に引きずり出せた方が、戦いの主導権を握る。
(カルーザスならばどう戦っただろうか。或いは父ならば、先帝ならば……)
ベルシスの脳裏にカルーザスがかつて教えてくれた言葉がよみがえった。
「戦いとは単純な物だ、兵が多い方が勝つ。これは兵の総数と言う意味じゃない。
分かるか、ベルシス? こちらの兵数が劣るならば、敵の弱点……司令部や王族の居る場所を探り当て、そこに兵力集中させるんだ。その場限りでも相手兵力を上回り、その勢いで司令部を瓦解させれば、多数の兵は烏合の衆へと変貌する」
当たり前のように告げていた親友の言葉にベルシスはぞっとする。
兵の集中、兵の分散。
自軍の兵を集中させ、相手の兵を分散させるような地形、状況……。
勝ちを意識すれば、どんな奴も考えが甘くなる、そこに付け込むには……。
「アントン、ロガ領の防衛ラインはどの辺りだ?」
頭をフル回転させながらベルシスは従兄弟の一人にして領兵の指揮を執っていたアントンに問いかけた。
「ここの川、レヌ川沿いが最終防衛ライン。ここを抜かれると後は遮るものがない」
「大いなるレヌ川か。……雨季は近いと言えば近いが、戦いの最中に雨が降る事はまだない。上流を堰き止め、川の流れを緩やかにできるか? 兵をそのまま進ませたくなるほどに」
「……やってみなくちゃ分からない」
「伯母上は商人たちに川を使わぬように伝達してください。雨不足で川の流れが悪いと言って」
「川を敢えて渡らせると?」
伯母ヴェリエが訝しげに呟くと、ベルシスは頷きを返す。
「半ばまで渡らせ、堰を切り水攻めをします。ロガ領に上陸している兵士達は、取り囲み降伏を促し、駄目ならば殲滅するしかないでしょう」
「帝国人同士でそれを行いますか、ベルシス」
叔母の言葉にベルシスは頷きを返す。
馬鹿げた内乱だがそれだけに勝たねば意味がないし、何より守るべき者を守るためにはやらねばならない事がある、十八年に及ぶ軍歴がそうベルシスに教えていた。
<続く>
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